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いらないけど、絶対いるんだよ…!

自分や人が作った作品の所在について謎の負担を感じることってありませんか。
私は過去に作ったものを片付けているときに、出てきた自分の絵や撮影で使った人形とかを見ながら、美術館に行って展示されてる作品、建築や遺跡を見ながら、原因不明の心の負担と虚しさに襲われる時があります。
これは制作と向き合うようになってから時折訪れる感覚であり、今だ解消できない負の感情です。

大事に作品を作っていたはずなのに、埃が積もっていくそれらが重荷に感じて、そう思ってしまう感情に虚しさを覚える。
あまりに美しい作品をうっとりと眺めて、幸せな気分になったあと、その帰り道に突如心が沈んで虚無感に襲われてしまう。
素晴らしい作品は誰かが価値を持って年月をかけて残さなければガラクタ同然に捨てられていたはず。その崇高さと負担の大きさが同時に襲ってくる感覚です。 

作品はたった一本の価値観の境界線を超えただけでガラクタにも宝物にもなるとても危うい存在で、「物」である作品は、誰かを幸せにもするし物質的な重荷にもなり得るのだ。
私はそのガラクタと宝物の間にある一本の境界線を眺めながらグラグラと不安になっているのでしょうか。

以前友人と増え続ける本をどう片付けるかの話をしていた。
「読まなくていらない本は手放しますよ、でも読まないけどお前はそこに居なきゃいけないんだよって本があるじゃないですか、そういう本は残します。」
それはハッとさせられる一言で、自分が今まで言葉にできなかったモヤモヤを、言語化してもらえた感じだったから「わかる!そうだね!」と激しく同意した。

「読まないけど必要」って自分にも絶対にある感覚で、それは一体何なのだろうとぼんやり考えます。
使わないし、必要ないし、役にも立たない、何なら場所を取る
作品というのはともすると「いらないけど、そこに居なきゃいけないもの」なのかもしれないと思って。
「いらないけど、絶対いるんだよ…!」
不安は完全に消えてないけど、今はそれでいいんだと思えた瞬間、少しホッと肩の力が抜けたというお話。








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