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双極症と共に歩む人生(11)

いつの間にか5月に入り、GWも終わった。
仕事で帰りが遅くなったり(といっても18時)目の調子が悪かったりでアメブロの方もあんまり更新していない。
Twitterだけは相変わらず高浮上(?)だ。
すとぷり垢と趣味一般垢。

闘病垢もあるがあんまりツイートしてない。時々、「今日の約束(7つの習慣を参考に決めた自分との約束)」や「今日の予定」をツイートしたり、TLに流れてきたFFさんの悩みや愚痴にリプしたりする程度だ。

すとぷり垢は12月頃かなり低浮上だった。
表向きは「仕事が決まって忙しくなったから」と言っていたが(事実ではある)もう一つの理由は、これまた7つの習慣を読んだのがきっかけでマルティン・ルターの伝記的な本を読み、とにかく聖書を読み続けていたというルターに影響された(すぐ人に影響されやすい性格)のが理由だ。

聖書を読めば読むほど、「偶像礼拝(俗に言う偶像崇拝)は悪」というメッセージ(?)が伝わってくる。
神様ファーストなんだから当たり前だが。
偶像礼拝ダメなら、当然推し活もどうなの?って話になる。

「キリストにはかえられません」という讃美歌があるのだが、その歌詞は

「世の楽しみよ、去れ、
世のほまれよ、行け」

などと、ノンクリから見たら(いやクリスチャンから見ても)かなり過激なものである。

でもそれに感化されてしまった私は、いわゆる「ゆる推し」状態になってしまった。

そこまで聖書や讃美歌に言われても、完全に推し活をやめることはできなかったのだが。

でも、1月に入って体調が優れなかったり、週末仕事の疲れが溜まっていたりで日曜日の礼拝に出れなかったり、平日の集会も仕事と重なることが多く聖書の学びができなくなったりで、あまり神様に心が向かなくなってしまった。

そして礼拝を休むと、牧師先生からLINEが来る。
(この件についてはアメブロにも書いた)
先生は良かれと思ってというか、心配してくれてるんだとはわかっているが、私には苦痛だった。
責められてるみたいで。
私だってサボってる訳じゃなく、疲れてて朝起きれない(礼拝に出るためには朝9時に家族に送ってもらわなくてはいけない)から行けないのに…。

そうこうしているうちにいよいよ礼拝に出づらくなり、礼拝に間に合うように着いた日も教会に入らずタリーズでコーヒー飲んで図書館寄って帰るという始末。

やっとおととい礼拝出たけど。

クリスチャンになったのが2005年のイースター。
その数年前(双極性障害を発症した直後)から求道者だったから、もう20年以上教会に通ってるということになる。

だから礼拝に出れば、しばらく休んでても違和感なく過ごせるんだけど。

教会学校の礼拝と主日礼拝合わせて2時間以上あるからなかなか疲れる。身体はね。

寝不足でもないのに途中睡魔に襲われたし…。

それでもおとといはそんなに長くなかったから良かった。
(説教する牧師によって長かったり短かったりする)

説教は勉強になる(っていう言い方でいいのか?)けど基本的に長時間かしこまってるのが嫌いなラテン系人間なので、長々とした説教は苦手だ。


閑話休題。


生きてれば嫌なことは毎日ある訳で。

こないだなんか財布(2万円)落とした。
全力で祈ったけど出てこなかった。

そういうことがあると失望する。

「神様がいるなら、私を神の子としてくれてるなら、どうしてこんな目に遭わせるの?」って。

クリスチャンは永遠の命を保証されていて、その代わりこの世では試練があるけど耐え忍びなさいよ、っていうのが聖書の教えだと私は理解してるけど、神様は私を愛してるならこの世でも苦しめなきゃいいじゃん。とか思う。

この世で幸せじゃいけないのかよ。

そういうことがあると(財布の件は一例であって、日頃家庭内やら職場やらで傷つくことはたくさんある)肝心な時に助けてくれない神様やイエス様より、毎日ツイートしてくれて週に何回か配信も取ってくれる推し様の方が私の声を聞いてくれてる気がしてしまう。

神様の御声が直接聞こえる人はいいけどさ。

インマヌエルの主(インマヌエル=主は私と共にいる、という意味)を信じてないわけじゃないんだけど、肝心な時に呼びかけても答えてくれないから絶望する。

職場では元気にしてるけど、家ではモラハラやら何やらで私はしょっちゅう泣いてるっていうのに。

お金もないし、旦那は浪費家だし。

なんでこんな苦しい目に遭わされるんだよ。


私なんかまだいい方だ。

いわゆる敬虔なクリスチャンの先輩が、重い病気にかかって長いこと礼拝に来れなかったりしている。

どうしてそういうことが起きるのか。


ノンクリの人からしたら「ほら、やっぱり神様なんかいないんじゃん」で終わりだろうけど、そうスッパリとクリスチャンやめられないんだな。


「あなたの人生幸せですか?」と問われたら、私は「はい、幸せです」とは即答できない。

かといって悲惨な人生ってほどではないけど。


久し振りに思うままつらつら書いてみた。

今日の莉犬くん。

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