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読書量で殴っても当たるとは限らない

うっかりするとすぐモラハラと自信のない女の生涯みたいな話になってしまう。
 私が書きたかったのは、私は低学歴なので自分の知力に自信がなく、卑屈になりがちという話だった。
 ネットを見ていると稀に、学生というわけでも研究者でも専門家でも小説家でも批評家でもない人が自分の読書量を根拠に「私は教養がある」と発言していて戦慄を覚える。暴力の予感にだ。文系オタクの陰湿さは、自分が大層詳しいことを「あまり知識がないので教えていただきたい」等と装って相手の知らない事を指摘して大恥をかかせるようなところにあるのだが、怖くないのだろうか。他人事ながら心配になる。その陰湿さを知らないはずはないと思う。だって私もそうだけど自制してるだけだし、多分その人自身も周りのひとも、あいつもこいつも全員大体そうじゃないか。
 そして同時にどうすれば「私は教養がある」と口に出せるようになるのか大変な興味を覚える。私は自分が教養とは程遠いと思っているし、高校生くらいで読んでおく本や知っておく事など全く出来ていなくて足りないと思う。まあでもオタクは戦闘的な人もめずらしくないから挑発発言なのかもしれない。むしろそんな挑発に乗って出てきたアホを叩き潰す趣味なのかも。文オタは怖い。

 ちなみに何が私にとっての「高校生くらいで読んでおく本」かというと、文系なら、図書館にある世界文学全集あたりだ。ほとんど読んでいない。
 中学生なら新潮夏の100選を目安に思うが、見てみると、うーん、最近は古典少なすぎるのでは。これも私読んでない本結構あったりして恥じ入る。ついでに偉そうで悪いが読んでも読まなくてもいい本も多くないですか。日頃本を読まなくても読めるし率直に楽しめる本なんていくらでも出てるのだから、夏100はもっとゴリゴリのセレクトでもいいのでは、と、思ってしまう。

 しかしこういう事を言うのは暴力なのかも知れない。
 世の中には確かに、中学生くらいで世界文学全集はとうに読み終えていて、どんどん高度な文芸に挑んで読みこなしてプロの文筆家になる人達もいる。そういう人に限って「誰でも読めるよ」と自分を特別視せずに普通だと思っておられたりする。ただただ頭が下がる。しかしそういう人はやはり特別なのだ。
 ネットを開くととんでもない難解な本をスイスイ読んで「あー面白かった」と楽しんでいる人がいっぱいいる。そういう人達を認識した上で、「私はよく本を読みます」とはとても言えない。世の中読んだことない本ばかりでござる。
 私が読んだことのない本がすごく多いのは事実で、読書家の中では読解力があるとはいえない類いなのも事実なのである。しかししかし、世の中には本にじぇんじぇん興味がない人、本がなくても──いや、文学や思想書がなくても生きていける人というのはそれはまたたくさんいるのだ。そしてその事はおかしくない。正直人文学の必要性はもっと重要視されろと常々思ってはいるが、「おかしくない」と言いたいがそうも言ってられないほど日本の知的水準は危機的状況(これは大本の国自体に人文学と国民の知的水準の高さを必要とする意識がないという意味)だけど。でも、人の姿勢として本をたくさん読んだから即えらいわけではない。絶対にない。
 キニャールやベルンハルト読んでないと読書家とは言えないみたいなのは一定水準を突破して本が好きな人達の話だと思うよ。私も読んでねーよ。キニャールやベルンハルトに興味を持たない人の前で「いやいや読めてなくてー」とかいうのはただの嫌な人かも知れない。キニャールファンの前でする態度だそれは。
 このあたりを私はごっちゃにしていたように思う。いかんかった。
 でも相手の興味がわからない間は、大体とんでもねえ大物を読みこなす人かもという想定で話すものだよね……。

 ついでに話題にするけども。確かに私は読書量の多い人に会う機会はあるけど、それだけに、本を読んでも読んでもそんなにそんなに読んでもそんなに物を知らないんですねと思うことは、割と、あります。読書量は指標にならない。本当にならない。読む根気はあるのに読解力に乏しい人というのはいる。本をたくさん読める事は文化資本に恵まれているとか、文化資本て最近気軽に使われている言葉のようだけど、本当に運用はあっているのだろうか。つまり、ブルデューにもとづいているのだろうか。そこはとても気になるのでこれも読まなくてはだよ……。
 ただし、物知りで応用力も高いのに全然本読んでないみたいな人はいない。本読んでないのに物知りぶる人は大体インチキさんだ。悪質なのになるとマウント取りたいために他人に嘘を吹き込んでも平気だ。主に飲み屋のカウンターにいる。こう思うから、私もあまりあれこれ身の丈を超えて語らないように、と、思ってはいる。いるのでこういう発言は自分で自分を追い詰める行為なのだけどね。どうしようね。なのでせめてちょっとでも勉強しようとは思っているのではあります。本当は修士以上の方々が文筆もして下さればいいのにとも思っております。なので私の書くものは妄言または体験談なのです。

 私は実際に会うと慣れるまであまり喋らないし、びしばし喋る方でもないし、頭の回転も遅いので大体馬鹿な人の枠に入れられて頭悪い人対応を受けるのである。これが馬鹿にされるのなら怒るのですが、頭悪い人対応は必ずしも馬鹿にされるわけでなく、「この人に負荷のない話題にしよう」と気遣ってもらえるという親切対応です。じゃあ客観指標に従うか、と思うことは多いのだが、それをやる場を間違えると時々暴力になるから気をつけなくては。私も親切対応してもらっているのだから。なので、気遣いは大切だという話でもあります。


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