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女の生き方よしなしごと

 仕事依頼に繋がる経路がはっきりしているということで、noteは他のSNSとは違う印象を受ける。今どきはどのSNSで情報発信するのが届けたい人に話が届くのだろうか。私的にはnoteをきっかけに変な目に会い(高額情報商材の勧誘を受けた)、以来ここに文章を投げる事はごく簡単におかしな誘いを受けることだと印象している。
 そう思うとnoteの存在感が私にとっていささかうさんくさいものになっている。
 自分の好きな書き手もいるが、その中でもほとんどの人があまり熱心に更新していないようなので、なにかここにはあまりいい印象が持てないままでいる。じゃあ私がここをいい場所にするわ! などという意欲はない。おこがましいのは勿論の事だが、どちらかというと気分はECサイトなのだ。出品スペースにお金を払うことがその場所自体の利益になっており、ECサイトで物売る人の利益に全くなってない。むしろECサイトの運営者が金を投げ込む客なのだという。
 そう感じるということは、私は誰かに読まれるためのものを書けていないという事なのだろう。確かに書いていないな。
 当初、というか、もう5年位書こうと思って書けずにいるテーマが、「男性のモラハラから逃げる」「女性の自己肯定」なのである。おそらくフェミニズムの範疇の話題なのだが、どう書いたものかくねくねしている間に5年も過ぎた。もう書けないのではないかとすら思う。
 こういうテーマを持ったのは、私がそういった事例を体験したからなのだが、これをフィクションにするか、エッセイにするか、論じるか、どう表現しようか迷っている。迷いが深いのは、弱者男性問題もネットで割と目立つからだ。
 女は弱者男性問題に同情しがちである。おそらく明確にそう見えるケースはないだろうが、可哀想な男性に自己の悲惨を訴えられると同情的姿勢を見せるべきではと思う女性は、私は相当数いると思う。何故なら、女性は「男の悲しみの訴えはよほどのこと」「それは女の涙とは比較にならない重いもの」と教育されているから。
 同性なら冷静に観察出来るのに、相手が男となると、その涙が深刻なのかただのわがままなのか、区別が付かないのである。
 そして、その事に女の人が気付くのは、人生であれこれと痛い目を見た後なんだよ。それまで見えないの。単純に「男の人は一生働かなきゃいけなくてかわいそう」「女は結婚して養ってもらえる逃げ道があるものね」と女自身が思ってるから。
 いま一見男女平等に思える事例は多い。女の人自身が女らしいといわれる装飾や振る舞いを好む事も多いだろうし、特に若いうちは女の子はあまり生きづらい思いをしないケースが多い。(少数かもしれないが、すでに女であるために生きづらい思いを経験している人も確実にいるが)
 この状況で「弱者男性は本当に女が同情する対象かよく考えてみましょう」と言ってもこの声は届くまい。必要ともされまい。


 以前、モラハラ男性とのかかわりで死にかけるほどつらい体験をしたのだが、その相手が私にとって単なる彼氏であり、結婚も同棲もしていないといわかったら「それはそんなに深刻な問題になりうるのか」と言った反応を受けたことがあった。女性からだ。この件、結婚したから思うけど、一緒に暮らそうと暮らすまいとモラハラのモラハラは変わらない。一緒に暮らしたらその分相手の暴力性が増すだけで、実際に殴られ監禁されなくては事は深刻ではないというのは違う。だが、殴られず監禁もされなければ他人には説得力がないのだ。困ったな。
 殴られず監禁される事もなくても他人の人生はめちゃくちゃになるからモラハラは深刻だし、女性と男性の身に付ける社会性が非対称なのも問題なのだが。

 なにかいい方法はなかろうか、と、つらつら思うのだよ。あー、もう、教えてカント先生! 

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