見出し画像

詩を書く上で気をつけていること

Twitterのお題タグからです。技術的な自分ルールは日々更新されるものだけど、せっかくなので残しておきます(多少の改変を加えました)

1)視覚と聴覚とが揃うことで生まれるリズムを大事にする。

例としては、「伝わる」と「つたわる」にあるようなリズムの違いを見落とさないこと。
音数・文字数だけで決まるわけではない。
「湖」は流されるけど「みずうみ」には立ち止まる。「桜」には立ち尽くすけど、「さくら」は割とすぐ去っていく。
ここに挙げた例ははあくまで主観だけど、主観だけに留まらないように考えてはいる。
詩は楽譜を見るかのように書く。


2)固有名詞は極力使用しない。

読者に「頭」を使ってもらうことをできるだけ避けたい。
例えば「デネブ」とかいう決まった星の名前をあげると「っぽく」は見えるけれど、知識がイメージを限定してそこで終わりだ。読者に著者の経験や心情を推測させてしまう場合もある。
「デネブ」なら、「空駆ける白鳥が飲み込んだ宝石」とか「誰かの住む銀河を照らす太陽」と言い換えてみる。このような作業から詩の物語が広がる場合も多い。


3)自分のことも読者のことも置き去りにしない。

自分の気持ちを表現して一方向的に伝達するのがポエムだ(これが悪いわけではない)。
しかしこの場合、読者に共感を強要することになる。共感「できる」「できない」の二分論に帰結しがち。
一方で詩に必要なものは「共有」や「共鳴」する余地があることだ。
伝えたければポエムを書けば良い。
もし自分と作品が変わっていくことを恐れないなら、詩を書いてみると良い。優劣はないし、僕も両方書く。
そういう意味において、ポエムは「伝達表現」になるし、詩は「生き方」なのだと思う。


4)原色の詩は書かない。

詩の色彩は語の選択でほぼ決まる。縁のある語をそれっぽく並び立てると、原色になりがちだ。
間色や、原色だとしてもより深めた色の詩を目指している。そもそも原色で書けるような感情は詩情とは呼びがたいと思う。
ただし、原色を使う場合が全くないわけではない。それは2つ以上の色を対比させたり、マーブル模様にして表現するときである。


5)ひとつの詩の中にシンプルなところをひとつ置く。

シンプルさがなければ、読み手は退屈したり飽き飽きしてしまうことがある。
シンプルさとは、絡まったネックレスを解き始める端、メトロからの直通路線の終着駅、はたまた螺旋の交叉する点……


6)お披露目欲求をグッと堪える。

書くとすぐ出したくなる。詩は一回性の芸術だと思うし、鮮度の高いものは実際に良い。
しかし推敲を重ねて巡り巡って出発点に戻ったとしても、そこには新しい価値が必ず付随している。その価値はどんな理論や技術にも代え難いものである。


ご支援頂いたお気持ちの分、作品に昇華したいと思います!