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Memory 珈琲の香り

*この記事は再掲です*


 珈琲とは便利なもので、人をお洒落にも退廃的にもしてくれるし、男を伊達にも紳士にも変えてくれる。「苦い」と顔をしかめた幼き日は忘却の彼方へ。今や苦いと思うのもゴーヤくらいだろうか。

 昨年12月頃から寝つきが悪くなり、毎朝同じ時間に起きるので、必然的に睡眠時間が短くなった。冬はいつもこうだから仕方がない。とは言え何とかならないものかと思い、意を決して珈琲断ちというものを始めてみた。
 カフェインが効きやすい体質らしく、一口飲めばすぐに目がらんらんとしてくる。情報の宝物庫であり吹き溜まりでもあるインターネットさん曰く、カフェインの分解酵素の活性は個人差がかなり大きいらしい。カフェインの半減期(血中の最大濃度の半分の濃度まで代謝・排泄するのにかかる時間)は、およそ5時間。人によっては12時間超も覚醒作用が持続するとのこと。思い当たる節がいくつもあったので、まずこれを断ってみることにしたのだ。

 もともとは少なくとも朝、昼、夕方に1杯ずつの珈琲を飲んでいたが、スッパリとやめられた。習慣は変えにくいと言うが、全てがそういうわけではないようだ。とりたてて禁断症状のようなものもなく、生活から珈琲の香りが消え、そして3週間が過ぎた。狙い通り、寝つきはだいぶ良くなったようだった。

 さて昨日。突然、人から珈琲をご馳走される状況に出くわした。断ったり、紅茶などに代替してもらう暇もなく、僕のデスクに珈琲が置かれた。少し躊躇はしたものの、こういった「◯◯断ち」はフレキシブルに、と思っている。僕は頂いた珈琲に口を付けた。
 はぁ、やはり美味しい。
 3週間やめたくらいで、味覚が少年期に戻ったりはしないのだ。「たまになら良いかな〜」「午前中に飲むくらいは良いかな〜」などと思っていたのだが、1時間ほど経って……
気がつくと動悸がして、指が震えていたのだ。 おぉ、これは明らかにカフェインの作用。やっぱり僕はカフェインには弱かったのだ! と、逆に感動してしまった。もちろん大した症状ではない。きっと珈琲を飲んだ後には、いつもこうだったのだと思う。ただ比較的長い期間断っていたから、この変化に気づけたのだろう。

 ……とかいう、つまらない薬理の話はそろそろやめにしよう。

 珈琲はやはり雰囲気を作るのに最も卓越したアイテムだと思う。僕にとっての珈琲とは、日常と非日常の狭間にいるような存在。愛だの恋だのを彩る存在。愛の場において毎朝の食卓に置かれもすれば、恋の場においてその香りの向こう側の世界に惚れたりもした。

 初めてお付き合いをした人が、まだ高校生だというのに「行ってみたい珈琲屋がある」と言った。当時はドトールもスタバもなく、僕は学校帰りにはマックか吉野家にしか行ったことがなくて……だからそう言われた時、大人の空間に足を踏み入れるような緊張感を覚えた。加えて指定された店は、薄暗いレトロな喫茶店で、気難しいマスターがいるような……そんな場所だった。今となっては典型すぎて笑えるのだが、あの頃の僕にとっては異空間だったのだ。
 そして1杯600円の珈琲はやはり苦かった気がする。マックセットにアップルパイも付けられる価格。もし友達と一緒ならば、それで数時間、はしゃいだり騒いだりできる価格だろう。おそらくそんなことはいっさい考えてもいなかったけれど。
 甘美な空間とは不釣り合いに、僕の胸は高まっていった。その後の記憶はない。覚えているのは、店に入った瞬間の光景と「¥600」と斜体で印刷された数字だけ。あの日僕が600円を払ったのは、自分を忘れるという初体験を買うためだった。後に何度も恋をしたけれど、あれほどに自分を忘れた時間はなかったと思う。

 5年後もその店はその場所にあった。

 10年後には、向かいにスターバックスができていた。しかしやはりその店はあり、中には明かりが灯っていた。

 20年弱の時が経って、その通りに古くからある店は、軒並み閉じてしまっていた。しかし、銀灰色のシャッターが並ぶ手前に、やはりその店はあった。


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