『バンズ・ヴィジット』地方公演観劇感想

東京でしっかり観た後、少し間をあけて大阪・愛知へも共に旅してきました。特に大阪初日は新納さんご登壇のアフタートークがあり、愛知は大千穐楽ということで、必須公演。どちらもそれぞれに日生劇場公演とは異なる趣があり、行けて大満足でした。

【大阪公演 シアター・ドラマシティ】
以前から何度もこちらで観劇したことはあったのでホールの規模は分かっていましたが、実際幕が開いた瞬間の第一印象は、「近!」でした。それでも1列目は省かれて最前列は”2列”。日生では盆のあるステージが少し端から奥まって1段高くなっていましたが、ドラマシティではその段はありませんでした。なので余計に実際の距離が近かったのかな。ステージいっぱいのセットで、よりベイト・ハティクヴァがぎゅっとなっていて小さな街らしくありました。そしてよく言われる通り大阪のお客さんは反応が良く、客席との近さのせいもあってか、客席の雰囲気もより舞台上に伝わっているようでした。特に本業がミュージシャンの方々は日頃LIVE慣れされているからか、演奏パートはとても乗っているように思え、グルーヴ感がすごくありました。役者陣は東京楽から少し開いたせいか、全体的にはいったん初心に帰ったようなピシッと感も感じられました。でもこちらの雰囲気を受け取りながら進んでいくような、劇場空間らしさも。なので、物理的な近さというだけではない密加減を感じられて、すごく没入感があったし、日生劇場ではベイト・ハティクヴァでの出来事を”見守ってる感”でしたが、ドラマシティではお隣を”のぞき見してる感”でした。
カーレドの言動をのぞき見していると、久しぶりに見たカーレドはトゥフィークへの当たりが以前より強めに感じられました。クビって言われた後なんか、「めっちゃ苛立ってる…」って思っちゃった。そしたら、この日のアフタートークでそれにも納得。東京の途中で、演出の森さんから注意があったそうで。「カーレドとトゥフィーク、仲良さそうに見えちゃうからもっと嫌って」と(笑)。実際の新納さんは、一緒にいるとどんどん風間さんのこと好きになっていっちゃうそうで、それが自然とカーレドにも移っちゃったようですね。そういえば東京の2週目あたりで、カーレドの仕草がひとつなくなっていたことには気づいてました。ラジオにノイズが入るところ。最初の頃はトゥフィークと一緒になって調整しようとしてたけど、途中からはチラッと目をやって小さくため息でも漏らすようにして面倒くさそうに無視するようになってましたね。でも意外と二人の絡みって多くはないから、その中で表現するのって結構難易度があったように思えます。ディナと2人でお出かけしてこい、と言ってるとこだけ見るとやっぱり仲良さそうだし。観ている側も、カーレドの小さなリアクションをキャッチしていないとね。にしても、フンっと鼻を鳴らしたり、あーもう!って苛立ってるカーレドは反抗期な青年ぽくて若々しかったですね(笑)。新納さん、「本当はもっと若い人の役だったかな」なんておっしゃっていたこともありましたが、しっかり若者に見えてました。
大阪初日のアフタートークでは東京同様のお三方がご登壇で、やはり新納さんがMCを務めましたが、東京の時の新納さんは比較的MC役に徹していらして、あまりご自身のことはお話しされなかった印象があったのですが、大阪では自ら進んでお喋りされていた印象。やはり西へ帰っていると自然とそうなるのかな。生まれも育ちも関東の私からすると、ちょっと羨ましい関西の地です。あと、トークの最後に一言ずついただいて、新納さんも客席と一緒に拍手をされてたのですが、拍手終わりで軽く指を折った両手を顎下につけてる仕草がめっちゃ可愛かったことをここに記録しておきます(笑)。
 
【愛知公演 刈谷市総合文化センター】
アレキサンドリア音楽隊が目指す”アラブ文化センター”と一部名称が被るホールが最終公演地だなんて、なんだかふさわしくて気持ちが良かったですね。私は初めて訪れる劇場でした。大阪と違って今度はまた大きなステージ。日生同様、盆は一段高くなっていました。最前列は2列目(客席は端とか隅とか空いていたようですが、もしかしたら見切れで販売されていなかったのでしょうか?)。日生よりも音は響いているような気がしました。みなさん、その響きをご自身で受け止めながら歌われていた感じ。そしてそれに合わせて若干歌い方も調整しているような。愛知ではちょっとソフトめで一語一語そっと置くように歌われていた感じ。「カーレドの愛の歌」ではときにささやくようにも聞こえたり(決して小さくささやいてるわけではなく、発声がささやきっぽい・ニュアンス)。歌の終盤辺りはあの歌い上げる美声に包まれて、もう別世界の心地良さでしたよ。
最後の別れのシーン、大千穐楽は特別でした。「さよなら…マダム」、このトゥフィークの一言。たまらなかったです。あの風間さんが感極まって声が少し上ずったのですから。この一言に、これまで毎回どんな想いをかけてきていたのか。もちろん、最後だからと言って芝居がブレていいわけではないかと思いますが、今回は最後だからこそ許されたあの一言だったように思えました。とてもとても優しいお別れでした。
その回その回の細かい描写レポはもう書き出しませんが、ひとつだけ。愛知初日(だったはず)、ディナのお家に招かれた後、帽子を取ったカーレドの後ろの髪が一束はねて変にひっかかっていたのですよね。かっこつけてディナの周りをうろつくのに髪はねててめっちゃ可愛かったこともここに記録しておきます(笑)。
 
【あたたかさと待ちわびること】
東京で観始めた頃、観劇後の感想で「電子レンジみたい」と言ったことがあります。自分の中のいろんな気持ちや記憶を思い出させられて、心や思考が耕されて解されて、震わされて温度が上がったように胸の中に温かいものが残ってる、って感じたので。今はもう少し優しく、キャンドルが灯っているように思えます。ここで登場した彼らも、あの一晩でキャンドルに火が灯ったかもしれないなぁとも思いました。"大したこと"ではなく、小さな灯を見つけたり再燃させたり。でもそれがきっかけで、消える前に本当の変化を起こすことができる…ようになるかも…しれない?ただ何かを待っていた彼らに必要だったのは、小さなきっかけ、なのかも。
そしてこれは愛知での最終日にして急に思い至ったのですが、トゥフィークが面白いと言う「釣り」。釣りって(やらないのでよくは分かりませんが)基本的には“待つ”ものですよね。その姿勢が釣りを全然楽しくないというディナ(ベイト・ハティクヴァの人たち)と重なったのです。でもトゥフィークは、釣りの最中に聞こえる浜辺の子供の声や水の音を楽しんでいる。”待つ過程”にも意味を見出していて、「面白い」と言うんですよね。「全世界がシンフォニーのように聞こえる」という視点が、ディナの目の前の景色を変えましたよね。なんか、深い。そして待って得た成果は、以前は持ち帰って妻に料理してもらっていたけど、妻を失った今はみんな海に返している…。同じように成果を待っても、状況次第でその成果を手放すこともある…。この辺を思うと、なんだかさらにさらに深いのです。結局、この物語の中で最終的に形としてはディナはトゥフィークと上手くいかず「何マイルも変わらない」景色に戻されてカーレドと慰めあってしまったわけですが…。でも翌朝彼らを見送った後のディナの表情を見ると、やはり景色は変わったのかも。もちろん、考えすぎかもしれないけど。でもちょっとこういう見方も面白いかなと。でも正直まだ自分の中でも全部の整理はついてないのですけどね。
待つことと、そこから見えているのかもよくわからない希望、そんなことにも全部思考を繋げていきたいのですが、そこにこの作品の舞台となった地域の状況とか平和とかまで想いを巡らせると壮大すぎて、もう今の私では言語化が追いつきません。。。でも、そんなことまでちょっと想いを巡らせるきっかけに、この『バンズ・ヴィジット』がなってくれたことに違いはありません。私もひとつ、きっかけを受け取りました。ときどき、いろんな場面でこの作品のことを思い出すことになりそうです。

『バンズ・ヴィジット』、心に残る素敵な作品でした。
また警察音楽隊やベイト・ハティクヴァの住人達に出会えますように。