『バンズ・ヴィジット』観劇感想

日生劇場での東京公演をちょうど両手で足りるくらい観劇。その後twitterでは思うように表現できなかった感想などをつらつらとこちらに書き残しておきたいと思います。これはもう性分で、ついつい文章が長くなってしまうので誰が読むんだろうかと思いますが、自分自身のための感想の整理と記録です。昨年11月の制作発表には観覧させていただきましたが、ここに書き起こすまで、まだ公演パンフや他人の感想等は読んでおらず、原作映画も観ていません。なので多少作品の意図するところと解釈が違っていることもあるかもしれませんが、まっさらで得た自分自身の感覚です。でも後からパンフ読んだら結構まっすぐ感じ取れてたかな、とも思います。

【感覚的感想】
観劇後、やはりまずふっと浮かぶのは、この一言につきてしまうのですよね。「いいもの観たなぁ…」。そして正直、そこからうまく言葉が続かない感覚ばかりがふつふつと心に残りました。細かく検証していくと、自分の琴線に触れたシーンがいくつもいくつもあるのですが、それは順を追って思い返していくとして。そう、舞台を観ながら、これまで経験したいろんな記憶や想いにリンクしていった気がして、「あ、この気持ち、この状況、なんか分かる…」って都度つど体感していたようでした。だから観劇後、心とか記憶とかが耕されたような掘り起こされたような感じがあって、それらがうわーっとないまぜになって、感じたことをうまく言葉にできなかったのです。でもその思い起こされた感覚がとてもきゅんとする心地よさで、漠然とはしてるけど、大切な想いの存在を改めて自分の中で感じられる温かさが残りました。最初のうちは、自分が体験してきたことに基づいてると思っていたのですが、公演期間終盤、ふと、「あぁ、私個人のことだけじゃなく、これはみんな、本来人間にある”良い部分”の気持ちなのかな」と思い至ったのです。この作品、良い人しか出てこない、いわば夢物語(こういうことは確か製作発表会見時に演出の森さんがおっしゃっていたかと思います)。音楽隊とベイト・ハティクバの人たちが見せてくれた景色は、本来人が持っている良い部分をくすぐってくれているような気がしました。国やら言葉やら文化やらが違っても、ただ人と人が向かい合うのってこういうことだよね、って単純なこと。違いがあっても、だからこそ共通点を見つけ出そうとするし、それで分かり合おうとするし。それってとても自然なこと。で、結局意外とみんなベースは同じ。誰かを恋する気持ちや、家族や子供を慈しむ思い、音楽でもなんでも特別大切なものを持つこと、とか。あの一晩に私が見ていた人たちはみんな、それぞれに”共通点”を見出していたんですよね。共通点があれば、人は境界を越えられるし、それを知っていればゆくゆくは”平和”ってことにならないだろうか…。なんて、身近な体験から大きな平和のレベルまで、寄せては返す波のように観るごとにいろいろ思います。
…と、観劇後の感想は漠然としすぎるので(笑)、以降は舞台の進行に沿いながら。

 【日生劇場】
余談でもありますが、今回の日生劇場、雰囲気は作品にとーっても合っていて、その点も大好きでした。劇中、よく海という単語も出てきますが、海の中に居るようとも言われる日生劇場で観られるのはとても心地良かったです。劇場のサイズ云々は別として。

【はじまり】
冒頭からあの音色でオリエンタルな風が吹いて、幕が開くと空港なのでジェット音が鳴りますが、あれでもうすっかり中東に意識が旅しますね。そして現れる音楽隊の面々。制服が良いですよねぇ。…この辺りから個人的に新納さんを贔屓する目線の感想がたくさん出ることと思いますが悪しからず(笑)。ビジュアルが出たときから「新納さんめちゃくちゃ制服似合ってて素敵!」って思ってましたけど、あの外見でさらにキャラクターも二枚目で、それが動いてしゃべって歌って…ってもう目が離せませんでしたよ。でもこの冒頭のシーンで、いろいろと予習があると分かりやすいよ、っていう緊張感ある情勢が表現されていましたね。一瞬、イスラエルの軍服を見て緊張が走るエジプトの音楽隊。それなのに、軍人でも女性と見るやナンパしにいくカーレド。さらにチケットカウンターでもまったく同じ口説き文句を使うカーレド。用心のない彼だけが音楽隊の中では若くて(対イスラエルの感覚も年配者とは違うのかな?)軽くて、トゥフィークは事あるごとに”厳しく当たる”(実際は”口うるさい”くらいに見えるものですが) 。後に”厳しく当たる”という表現がトゥフィークの口から出たときに、カーレドに対する態度の意味とか関係性に符合してくるのですよねぇ。

 【ベイト・ハティクバ】
そんな彼らが間違ってたどり着く田舎町。セットの盆が1週半するだけで街のすべてが見えていそう。小さくて閉ざされてて、住人たちの距離も密接で。真っ赤なセットのベイト・ハティクバに、あのスカイブルーの制服の一団がずらりと居並ぶ光景は象徴的。何も起こりえない街に異質なものが突然現れた衝撃。でもそれをすごくナチュラルに受け入れたディナのwelcomeマインドはかっこいいですよね。ただ、そのマインドが悪い方に開かれていたこともあったようで、人の性質は良い方にも悪い方にも響くよね、って後々思ったり。
ディナの店で何か食べようと提案したカーレド、一度帽子を取って、また整列するときに前髪を上げずにそのままポンっと帽子を頭に乗せるんだけど、あの雑に帽子の下から髪がのぞいてるのも妙に色っぽくて好き。その後、店のテーブルについて、もうバスが無いと知ってだらっと椅子に座るときも、普段なかなか見られない角度の新納さんが見られるのが良き(たぶんみんな思ってるよね笑)。ゲーム中に毎回違う仕草が見られるのも楽しみの一つ。そしてディナが独り身と分かって変わる目つきね(笑)。ここの表現って初めの頃はほとんどなかったような気がしたのですが、観ていた位置のせいかなぁ。期間後半はすごく顕著でした。

【ディナ邸】
ディナのお宅にお邪魔して、コーヒーでも、って言われたときのカーレドとトゥフィークの反応、息ピッタリで大好き。反発しあってるのに息は合ってしまう。最初にカフェで「大使館に電話…」ってなったときにも、二人は同じタイミングで真逆の対応をしてるんですよね。カーレドは勝手に人の家を見て回りそうな無礼さも若さの表れだったし、それをすぐさま注意するトゥフィークは危なっかしい子供から目が離せない親みたい。ディナにまったく相手にされずちょっとふてくされるところや、ディナと出かけるよういたずらっぽく勧めるカーレドはまたトゥフィークの前で子供っぽくて可愛かったなぁ。

 【イツィック邸】
ここでのシーンには私自身の海外経験を思い出させられました。英語圏じゃないところで、現地のご家庭でご馳走になった時はやはり簡単な短い英語で、なんとか繋がる話を探してみたり、お酒が入れば現地の方がギター弾いて歌いだして、言葉関係なく盛り上がってみたり。やっぱり音楽は共通言語ですよね。あのシーンでは演奏者であるという共通点から一気に距離が縮まる男性陣でしたが、大変な時に勝手に赤の他人を自宅に招かれたら迷惑っていう家庭の事情も世界共通なんですね、と思ったり(ちょっと昔の日本でもありがちな光景でしたよね、酔ったダンナが勝手に深夜に部下連れてくる、みたいなやつ)。それぞれの事情でディナみたいに歓迎できる人ばかりではないから、イリスの不機嫌もすっごくよく解ります(でもいくらなんでも看護師が授乳期間中にお酒もたばこも!?って思ったけど、まぁ時代もあるのかな)。

【電話男】
カマールが去った後も彼女からの電話を待ち続ける電話男。その哀愁に盆の周る音が被りますが、あれさえも不思議と砂漠のにむなしく吹く風の音のよう。風と犬の他に音がなくて、待ち望む呼び出し音も鳴らず、何もなくて静かすぎるベイト・ハティクバの夜は騒音がひどいアレクサンドリアとは対照的ですね。

 【夜の街を見物に】
でもそんな田舎町にも当然夜の遊興場はあるわけで。「出かけるの?」とパピの元に突然現れたカーレド。あの着崩し感は反則じゃないですか?ただでさえ制服姿が素敵だったのに、さらに着崩したことで遊び人の色気が溢れ出ちゃってましたねぇ。その色っぽさにひぃぃってなったかと思ったら、不意に「お楽しみ?」なんてナイトフィーバーで笑わされちゃったり(笑)。そしてツェルゲルとのやり取りでのノリと反応の良さ、壁の無さが、まんま新納さんぽくもあり(笑)。かっこよくて楽しいって、ズルいキャラのやつー!キャラと言えば、楽隊のみなさんのキャラもそれぞれ立ってましたが、ここでの立岩さんのキャラが良いですよね。静かにパピを応援して送り出すところ、好きでした。そして彼らが音楽隊の一員として舞台上で演奏していることによって、単に伴奏やつなぎの音楽ではなく、きっとこの夜長、残った面々で誰からともなく演奏を始めて気を紛らわせていただろうな、とうかがえて、転換中も途切れないのが心地良さのひとつだったと思います。

 【レストラン】
トゥフィークとディナのレストランでの「オマー・シャリフ」。やっと共通点を見つけて、自分の大好きなことでこの異国の人と話ができる高揚、自分の”好き”を語って分かってもらえる喜び。この高まりから歌になる辺りが、この作品がミュージカルである理由のひとつだろうなぁとも感じました(歌唱がめぐさんによることでより一層)。そしてここでもやはり知っている感情をくすぐられているのですよね。きっとこの文章を読んでくださっているような方々は観劇が好きで、好きな作品のことなどを語りたいことってよくあると思うんですよね(事実、今の私)。でもそれができる相手って結構限られてて。好みや温度が近くないと、語られた方がしらけちゃうから。だから話せる相手がいると熱が入っちゃいますよねー。話したい相手に話したいことを話せたら、それこそ歌いだしたいくらいでしょう(笑)。ましてやディナはあの閉塞感ある街に居て、それを異国(それも憧れの国)から来た人に聞いてもらえたんだから、トゥフィークへの好感度も急上昇ですよね。
ちなみに、今回のきっかけで唯一覚えたイスラエル語は「ベンゾナ」でした(「マ?」も覚えたかな笑)。せっかく楽しかったディナーがベンゾナサミーの登場により壊されたわけですが、このレストランでのシーン、周りからの視線や、おそらくしばらくはサミーに相手にされていなかったであろう感じから、ディナの孤独が浮き彫りになったようでした。

 【回転盆と公演中止時の話(余談)】
この後の楽隊演奏中、盆が回転しての転換で、定かではないのですが、ある日盆が途中で止まっていたように思った日があったんですよね。席位置で観てる角度が違ったからかもしれないけど、「あれ?ここで止まったっけ?」って思った翌日に機構トラブルで公演中止だったのです。でも盆の位置まで覚えてて答え合わせできる人が周りに居なかったので本当のところは分からずです。そう思った日もそれ以降はちゃんと動いていたので、あれは気のせいかなぁ。本編から話は逸れますが、本当にこの中止の1回は残念でしたね…。キャストスタッフ全員が元気に公演を駆け抜けられたのに、機械(?)が不調になってしまうとは。でもロビーでの特別演奏会を間近で聴けた方はそれはそれでレアな体験として、特別な思い出ができましたよね。通常通りの観劇しかしていない立場からすると、逆に羨ましかったです。私はたまたまそこにお友達が居合わせていたので、リアルタイムで報告をいただけたのはラッキーでした。あのときロビーでは2曲演奏されたようですが、通常カテコで披露される演奏は1曲だけ。その演奏に参加している新納さんは、カテコとは違う曲(ハバナギラ?)もロビーでは演奏されてたということになりますよね。一般人の目(耳)からしてみれば危なげなく(失礼笑)2曲目も演奏披露された新納さん凄い!もしかしたら練習中にその曲に触れることもあったのかもしれないけど、プロのみなさんに混ざってその場のノリで合わせてたんだとしたら本当に凄い。そしてご自身が姿を現して「それでもせめてもの」というお気持ちがまた、ね。その後はまた無事に再開できて本当に良かったです。

【スケートリンク】
本編感想に戻ると、個人的クライマックスに差し掛かりますよ。パピ達のデートシーンです。あそこにカーレドがまさかのへっぴり腰で現れるのは可愛くて笑っちゃいます。「お金払ってくれなきゃ」は絶対指先に目が行っちゃう。ここは短いシーンだけど、カーレドが最初はきちんと丁寧に応対しようとしてるのが、そっちが威圧的ならこっちもこう出るよ、ってなるのがすごくカーレドっぽくて良き。良くも悪くも対人スキルの幅広さと若さね。パピが止めてくれなかったら、あの警備員さんに殴られてただろうけど(笑)。その警備員さんがカーレドを一瞥して去った直後、カーレドの一瞬の暗い表情も気になりました。とてもフラットな気持ちであの街を楽しもうとしていただけなのに、差別意識を感じさせられたからなんだろうな…。きっと彼はそういう意識が残念でならないのでは。そしてそんなことがあっても「ありがとう。ここに連れてきてくれて」と言えるパピへの気遣いも、彼の人徳の高さをうかがわせました。靴を履き替えてるときに来たツェルゲルが戻っていく際、期間後半はわりと反応薄めに微笑んで見送ってたカーレドだけど、前半の頃は指さして返したりしてたこともあったのですよね。あれは単に靴紐結ぶタイミング次第とかではなく、その差別トラブルの余韻もあるということなのかなぁ(考えすぎ?)。続いてジュリアを前に固まるパピを見てすぐに察するカーレド。そんなふうにスマートに自由にさらっと生きていそうなカーレドもじつは国では望まない結婚が控えていて、彼なりに鬱屈としたものが片隅にあったのですね。「この旅から帰ったら…」と一瞬淋しそうな表情を見せるカーレドはきっとできるだけ誰も(両親やあてがわれた婚約者など)傷つけたくない人で、だから悩みも迷いも心に秘めてしまっているようにも見えました。その憂いがちらつくとまた色気が増しちゃうんですけどね。そこはあの首吊り真似で加減されていたようで。でも、はっとして明るく切り替えるカーレドはちょっと切なかったです。お見合い結婚のことは、もしかしたらパピにしか話していないのかなぁ。でもこういう打ち明け話をすると、自然と急に相手との距離が縮まるものですよね。とはいえ、両腕を挙げて腐った豆の臭いで迫るパピから本気で逃げるカーレドの画も面白かったです(笑)。あのパピの歌、新納さんがお稽古期間中のツイートでちらっと書かれてましたけど、本当におしっこおしっこ言ってるから初回びっくりでした。「え、だってこれ、この後にあのカーレドソング、だよね??」「ここからどうやってあのムードに行くの?」と。あとあの海鳴りの歌後半、結構喉大変そうなのに、いつも振り切れてるくらいに見えて、永田くん凄かったです(笑)。

 【カーレドの愛の歌】
コミカルだったところからでも、もう音の力で雰囲気が変わりますね。私としてはあれを生で聴けるのは毎回心臓バクバクでした。個人的クライマックスですから。そうやってガチガチに覚悟して臨んでいても、歌声を聴いているといつの間にかうるさい鼓動も周りのこともみんな忘れて、すっかりカーレドワールドに引き込まれました。そう、カーレドの世界だと思ったんですよ。きっと少しナルシストでね、あれはカーレドの思考の中。ミラーボールのキラキラも相まって。この曲だけが異質、って新納さんもおっしゃっていたけど、きっとカーレドという人がこの作中でちょっと異質だからなのかも。この歌詞でも境界がなくなるって言っているように、カーレドは境界とか壁とかがない人だと思えるんですよね。とてもフラット(その辺も新納さんご本人に近いと思うのですが)。この作品内では、対立していた国の人同士や、どこか壁がある人たちの織り成す光景があって、基本的にはどの人も多かれ少なかれ、敵意であれ好意であれ、何かしらの境目を意識してる(この”夢物語”ではほとんどの人が上手に力を抜いてそれを乗り越えていっているわけだけど)。でもきっとカーレドだけが最初から境界線を意識していない人。境界線がなければいいと思ってる人。でも本来、それこそが人があるべき姿なのかも。本当はそれが求められるべきなのかも。生きている地域や文化や言葉でどうしても境界線は存在してしまうけど、大げさで夢物語でファンタジーかもしれないけど、根本は分け隔てなく繋がってる海のようにいられたらいいな、というのが、カーレドの愛の歌なのかも。大きな意味での愛。深堀りしすぎかもしれないけど(笑)。そしてもちろんこんな深堀は実際劇場で観劇している時点では必要ないけど。この作品を観た後からね、じわじわと思考がリンクしていくんですよ。そういうじわーっと広がっていく余韻もあったのかな。でもこんな歌が、他でもない新納さんに歌われて劇場に響き渡って包まれるから、なんだかこう、すごく解されて、それこそ身体の境界線が無くなって溶け出しそうでしたよ。本当に心地良くて、ずっと聴いていたかったです(新納さんの歌声はいつもだけど)。あまりに聴き惚れて、次の公園のシーンに移る間中ぼんやりしちゃいがちでした(笑)。

【公園】
ディナは別の世界の風を運んできたトゥフィークにどんどん惹かれていくけど、トゥフィークはそれに対してとても大人で冷静で、そのギャップがなんだかもの悲しくもありました。そして怒鳴り込んできたサミーとの口論に割って入って言う「許すんです」というトゥフィークの力のこもった言葉。なぜそんなに、と感じたことが後に明かされる彼の息子のことと繋がると、重く響いてきます。2回目観劇以降、知ってて観ていると、これが過去のトゥフィークへの訴えのように聞こえて切ないです。(でもサミーとディナの話の場合、それってサミーだけが悪いの?って思っちゃいけなかった?私。笑)
ただ個人的にはこのシーンでのディナが最終週くらいから、少し動きが暴走めに見えてしまったのですよねぇ。単に欲情的というか。情熱は分かるけど、若干欲求不満の暴走にも見えちゃって前半の頃の方がロマンチックで好ましかった印象。でもそれがあっての帰宅後の出来事につながると言えばそうかぁ…というところでもありますが。

 【コンチェルトのエンディング】
イリスが帰宅して堰を切ったように泣き出すシーンでは思わずもらい泣きしそうに。こういうのも、なんかちょっと分かりますよね。何もかも自分だけがいっぱいいっぱいで、なのに助けはなくて、分かってもらえなくて。イリスはさらにお誕生日なのにいきなり見ず知らずの外国人客まで泊める羽目になって。イライラ爆発させて出て行ったのに、その客人が簡単に穏やかに子供を落ち着かせたのを見たら感情溢れますよね。たぶん、当たってしまった申し訳なさとか、不甲斐なさとか、無力感とか、感謝とか、温かさとかで。ごくごく穏やかで普通に見える家庭でも本当は互いに我慢もわがままもあるんですよね。ほんと、日常のこと。結婚して家庭を持つことも、子供をはぐくむことも、だいたいは万国共通。大それたことじゃない。そういう中に、何気ないきかっけがあって、ちょっとしたことで前に進むこともあるのですね。

【大使館からの電話】
電話がかかってくるくだりはもうお約束通りでしたが、カマールの太田さんが日々自由なので(笑)、先に電話を取り合うシーンではバリエーションを楽しみました。些細な関りを持った二人でしたが、電話を待つ共通点があって、片方にだけその結末が訪れてしまったことで、電話男さんも、少し、疲れてしまったのでしょうね…。カマールが切った電話に飛びつく電話男さん、2度目は一瞬の間があるように見えるのです。一瞬だけ、待っていたことを忘れていたのかな、というような。

 【トゥフィークの過去】
そしてデートの最後に明かされたトゥフィークの過去。トゥフィークのどこか一歩引いた開かれない雰囲気は、そんな過去があったからなんですね…と衝撃を受けつつ、それが最初に書いたようにカーレドに対する態度に符号した点。ディナ宅へ帰宅後、カーレドへの態度が軟化したのは、きっと久しぶりに息子のことを人に話したからなのかな。許さなければならない、という過去の後悔のことも思い出したから。チェット・ベイカーのアルバムを最初から最後まで全部持ってる、というのが、好きだということの証明であるとともに、最初から今までちゃんとお前のこと見てきているよ、っていう意味のようにも取れました。それに演奏で応えるカーレド。もしかしたら、厳格なトゥフィークは古典音楽をやる音楽隊の場でチェット・ベイカーを吹くことを許していなかったのかな。この日、初めてちゃんとトゥフィークに演奏を聴いてもらえたのかな。二人ともかっこいい。そして自分が部屋を去ったらどうなるか分かっていておやすみを言うトゥフィークに、カーレドは察しがついたのかな。打ちひしがれる様子のディナに向けられるのは、軽い誘惑や愛ではなくて同情だったように思います。だからただシンプルに決まり文句をかける。若い彼はそれしか慰める方法を知らないから。壁の向こうで、カーレドの言葉を聞いてから去るトゥフィークの背中も淋しかったですね。

 【声を聞かせて】
そうしてまた街は静かすぎる夜が訪れて。開幕前からキャストの方々がこの「声を聞かせて」が名曲、一番良い、歌いたい、ズルいなどとおっしゃっていましたが、まさに。こがけんさんは初めましてでしたが、声がとても歌の雰囲気に合っていてすごく好きでした。正直、高音部分とかもっと上手に歌える人はいると思いますが、あの絶妙なハスキー具合とか気持ちがずーんと乗ってる感じがとても良かったなぁ。期間中盤、ちょっとキツそうに聞こえたこともあったのですが、最終週入ったら、何かまたレッスンしました?ってくらい1音1音丁寧に言葉が乗ってソフトになって、心打たれました。回転するセットの中央で手を広げる姿がメッシュ越しに見えるのもすごく好きな景色だったな。そして諦めかけたときに鳴る電話。こっちまで気持ちが電話に駆け寄りました。じつは電話男はてっきり彼女に捨てられたんだと思って見ていたので、彼女との優しいやり取りに感涙。「セーター!そういうことだったのね!」って。最初に見たときからこがけんさんのシンプルなスタイルがセーター姿を強調していたから、そのセーターに意味があったと知った瞬間、感動でした。いつかかってくるか分からない電話を待つ、って今現在ちょっと大人の世代だったら経験ありますよねぇ。そういう記憶もくすぐられて、心の奥がきゅんとしました。(“静かすぎて耳が凍えそうさ”って歌詞がとても好きだったな)
この曲後半でのコーラスもじーんと響いて好きでした。染み入ってうっかりぼーっとしちゃうほど。回によってこの曲終わりに拍手があったりなかったりしたのですが、私の場合、聴き入っちゃって気づいたらシーン進んでるってことが多かったのです。拍手起きるとはっと我に返って拍手できましたけど、いつもそんな感じでした。。
ここで再びカーレドとディナは並んで出てきているけど、このときの二人は元の服装で、カーレドもしっかりネクタイを締め直しているんですよね。この二人はやはり朝は別々に迎えたんだろうな。目が覚めれば、ひとり。

【別れの朝】
翌朝、前日来た時と同様に真っ赤なセットの中にスカイブルーの制服の一団が並んでいるけど、いつの間にか、目にもすっかり馴染んでいるものですね。「大したことではなかった」一夜の出来事は、意外とあっさりと出発の時を迎えてしまう。だけどその景色はずっと心に残りそうな。言葉少なに、ただ目を見て手を振って。それで充分、それですべて、なのでしょうね。何もない日常にふと紛れ込んだだけの出来事は大したことではなかったんだろうけど、それぞれに新しいきっかけを得た一夜。案外、きっかけなんて大したことじゃなかったり、日常は大したことじゃないことの連続だったりするから。でもその大したことない日々って、こんなにも愛おしいのですね、と思わされるのがこのお別れのシーンでした。

 【アラブ文化センター】
ラストシーン、おそらく音楽隊が無事にアラブ文化センターにたどり着いてまさに演奏が始まる瞬間。あのライティングにももう胸がきゅーんとなって仕方ありませんでした。何事もなかったように演奏しようとしているこの人たちには、つい昨晩、ほんの少しのドラマがあって、その胸の中にはその思い出があって、いま音楽を奏でる。誰かに語るほどのことじゃない出来事が、誰の胸の中にもあるものですよね。それが何か、ってうまく説明できないのがこの作品なんだけど、あの一晩の出来事を見守ってきた後のラストシーンだから何かがぐっと胸に迫ってくるのです。あの感覚はちょっと特別。とても大事なものが胸の中に宿ったような、よみがえったような、その温かいものをずっと大事にしていかなきゃいけないような、そんな感じ。そしてその温かさが心地良くて。それを観劇後にしばらくそっとしておきたい感じがありました。帰路はまだ他の音楽を聴かなくていいかなって思ったり、SNSに溢れる情報におぼれたくないなって思ったり。何とも言い表しがたく、しばらくかみしめていたい余韻が、この作品の醍醐味でした。

 【コンサート】
カーテンコールでの演奏は音楽隊の中の本物のミュージシャンの方々+中平さん+新納さん。お稽古中から新納さんがレクの練習をとても頑張っていらしたのを見守っていたので、晴れ舞台、嬉しく微笑ましく拝聴しておりました。初日には「レクってそんなソフトな楽器だったのね」ってじつは思ってしまったのですが(笑)、回を重ねるとその音色も力を増してきていましたね。全身で他の楽器を聴いてレクを合わせる新納さんの集中しているお姿が印象深いです。通常の歌とお芝居のお稽古をしながら(というか前作の本番もやりながら)、レク(とトランペット)の練習まで…新納さん、本当にカーレドのために心血そそがれて。みなさんと演奏されているお姿にたびたび胸が熱くなりました。もう日本版「バンズ・ヴィジット」のカーレド役も新納さんしか居ないですね!素敵なお姿をありがとうございました。

以上、書き上げてからアップするまでも少々寝かせてしまいました。1万文字を超えた長文書き散らし、ここまで読破された稀有な方は果たしているのでしょうか(笑)。ご興味持ってくださった方、ありがとうございました。これが初のnote投稿でしたが、この後、パンフ熟読後、地方公演観劇後の感想レポなどももしかしたら、上げるかも、です。