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テスト モノローグの為の断片小説〜平成から令和へ〜


 トゥルルルルルル、ガチャッ。 
 「はい、いのちの電話です」
 
私がこのボランティアを始めてからもう何年経つのだろう?アメリカ同時多発テロの翌年からだから十七年?十八年?我ながら随分と長く続けられたものだと思う。

初めの一二年は本当に大変で、相談者の負のエネルギーに引きずり込まれそうになったり、なかなか電話を切ってもらえずシフト時間を過ぎてしまう事も少なくなかった。それでも続けてこられたのは、誰かの助けになっているから。
というのは綺麗事だなやっぱり。今でも後味の悪い電話は沢山あるし、切りぎわに「お陰様で決心がつきました。ありがとう人殺し」なんて囁かれた日には中々次の電話を取ることが出来なかったりするしね。
世間でよく言われる様な自己満足の綺麗事だけではとてもじゃ無いけど続けられないって言うのがのが現実。

研修に参加する為のアゴ足枕は全て自前だし、勿論給料が発生する訳でもなんでもないから、慢性的な人手不足。
これは結構深刻な問題なんだよね。電話をかけるお金も無い人達の為に、月に一度だけだけれどフリーダイヤルの日を設定したり、東日本大震災の時には専用のダイヤルを振り分けたりと、それこそ猫の手どころか犬でも猿でも馬でも牛でもコツメカワウソの手でさえも借りたいような状況なのに、善意のボランティアだけに頼るしかないなんて…。ああ歯痒い。

行政を巻き込んでしまうと政治的な意味合いが付いてしまう懸念はどうしても拭えないけれど、それならばデンマークみたいに、臨床心理士の資格を取る為には一定期間のボランティアを経験しなければならないみたいな仕組みを考えて、先々の裾野を広げる取り組みをするとかはもはや必要不可欠な事だと思いまくっているのは私だけでは無いはずだと思うのですよ。

国が絡むならばそんな間怠っこしい事はせず金を出せ金を!なんて貧しい声が聞こえて来そうだから一応断っておくけれど、たとえお金があったとしても人との繋がりが無い人は生きていくのが辛いと思うよ。
いやいやそんな事は無い!なんて言う人はある日突然地下鉄で毒ガスを吸わされてみればいい。友達と遊ぶはずの校庭で刃物を持った殺人鬼に追いかけ回されてみればいい。自分の故郷を一瞬のうちに波にさらわれてみればいい。

嗚呼いけないいけない、こんな事を言うとまた研修で怒られてしまう。ネットで他人を傷つけてばかりいるような人は、此処に電話を掛けてくる人達と同じなのだからと諭されてしまうねきっと。

もうすぐ日付が変わる。
私にとってみれば、昭和よりも激動だった平成が終わろうとしている。
新しい時代は私に何を見せてくれるのだろう?
例えどんな出来事があったとしても、私は令和を真摯に歩んでいきたいと思うのであった…まる。
 
 トゥルルルルルル、ガチャッ。
「はい、いのちの電話です」

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