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戯曲『わんだふるらいふ』

登場人物&イメージキャスト  

大野浅子  柴田理恵
大野慎也  ムロツヨシ
大野明美  橋本愛
金太郎   塚地武雅
こころ   杉咲花
ムサシ   山田裕貴

郊外の庭付き一戸建て。築40年といったところだろうか?
縁側に腰掛け浅子がお茶を飲んでいる。
その隣には眠たそうな顔をした金太郎。

浅子  そうそうお隣の西條さんとこの息子さん会社辞めたらしいよ。
何でも有機栽培で食の安全を守るんだとか言って山梨の何処かで農業始めたんだってさ。
だけども四葉商事って言ったら大手じゃないか、折角課長さんにまでなったのにどうしちまったのかね?
まあ昔っから頭のいい子だったから何かしら考えがあるんだろうけど、天下の四葉商事だよ?もったいないねえ。うちの慎也じゃ逆立ちしても入れないよ。
あら、あの子は運動音痴だから逆立ちも無理か、あはははっ、ちょっと金太郎聞いているのかい?

金太郎  ふぅわぁあああああ~

浅子  大きな欠伸、もう少しこう品良くできないもんかね。

電話のベルが鳴りそれに誘われたようにこころがパタパタと登場。

浅子  はあい、はいはいはい。

こころ  何だ何だ?誰?誰だれだれ?

浅子  これこころ、おとなしくしてなさい。

叱られても尚こころは浅子の周りをグルグルしたり飛び跳ねたりして、落ち着かずに出入りを繰り返している。

浅子  はい大野でございます・・おや明美かい?随分と久しぶりじゃないか、元気にしてた?うんうん、でどうしたの今日は?・・うんうん・・ええ~何だって急に・・駄目なことはないけどさ・・うんうん・・いや実はね慎也も帰ってきているんだよ・・それが情けない話で・・あら良く分かるね・・確かにそうかもしれない・・まあいいさ、久しぶりの親子水入らずだ。それでいつ来るの?・・うん日曜日の、二時過ぎだね、はいよ分かった。・・えっ?一人じゃない?・・あらま慎也と同じだね・・そうなのよ、これがまたお転婆で・・はい、いいよ分かった。それじゃ日曜日待っているから・・はいはい、それじゃね、はい、はい。

浅子に相手にして貰えないこころは金太郎を蹴飛ばして遊んでいる。

こころ  えい!えいえいえい!

金太郎  痛っ!いていていて!

浅子  これこころ!お行儀が悪いよ。金太郎ももういい歳なんだから優しくしておあげ。

こころ  お腹空いたよ~ご飯ご飯ご飯!

浅子  本当に落ち着きのない子だねまったく。

こころ  ご飯ご飯ご飯ご飯!

金太郎  うるさいなぁ毎度毎度いい加減にしろよ。

こころ  何よ私に逆らう気!えい!えいえいえい!

金太郎  痛っいててててっやめてよ~

浅子  ああもうわかったわかった、お腹が空いたんだろう?ご飯にするからおとなしくおし。

こころ  やった~♪ご飯ご飯ごっ飯♪ご飯ご飯ごっ飯♪ご飯ご飯ごっ飯♪

変な歌を歌いながらクルクルと踊りまわるこころに唖然とする浅子と金太郎。

浅子  慎也も随分と面倒な子を連れて来たもんだよまったく。

金太郎  浅子さんおいらもご飯頂きたいっす。

浅子  なんだいあんたもお腹が空いたのかい?仕様がないねえ、ちょっと早いけどまとめてご飯にしましょうか。

縁側の湯呑を片づけながら奥に消える浅子の後をこころが飛び跳ねて着いていく。残った金太郎は大きな伸びをして空を見上げながら。

金太郎  行く河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず、淀みに浮かぶ泡沫(うたかた)は且つ消え、且つ結びて、久しくとどまりたる例なし、世の中にある人と栖(すみか)と、またかくの如し。か・・生々流転、蓋し名言だね。ふわぁぁぁあぁあぁあ。

浅子  金太郎ご飯が出来たよ、おいで。

浅子に呼ばれ金太郎はどっこいしょと重い腰をあげる。

浅子  さあ召し上がれ。こらこらもっとゆっくりと味わいなさい。

舞台の袖から賑やかな食事の音が聞こえる。しばらくするとこころが姿を見せ再び彼方此方をクルクルと飛び回る。

こころ  食べた~♪食べた食べた食っべた♪

少し遅れて浅子と金太郎も戻って来る。

浅子  食べてはしゃいで、本当にお前は元気だねえ。さあ金太郎食後の運動に出かけるよ。

こころにちょっかいを出されながら金太郎は縁側の下に降りてゆく。

浅子  さあさあ、こころもちゃんと準備して。

浅子はこころにリードを付け庭に降り、金太郎にもリードを取り付ける。

浅子  これで良しと。それじゃ散歩に出かけるよ、おいでほら。

こころ  散歩~♪散歩散歩散歩っ♪

こころが浅子を引っ張る様に飛び跳ね、金太郎は浅子の少し前をゆっくりと歩いている。

浅子  コラこころ、もう少し落ち着きなさい。

こころ  ♪散歩散歩散歩っ♪

一度姿を隠した浅子と二匹が再び登場。浅子は土手っぷちのベンチに腰を下ろし金太郎もその足元に座り込む。こころはリードを持つ浅子の手が激しく上下するくらい飛び跳ねている。

浅子  はあ~こころと散歩をすると疲れるねえ。金太郎、お前はもう少し運動しないと最近太り過ぎじゃないのかい?

金太郎  牛になることはどうしても必要です。我々はとかく馬になりたがるが、牛にはなかなかなりきれないのです。うんうん、名言名言。

流石に少し疲れたのか、こころが浅子の足元に来て座り込む。

浅子  おやおとなしくなったね、それじゃ少し休んで帰りましょうか。

浅子は、青が燃え炭色に変わっていく空に向かい鼻歌を歌い出す。

♪夕げ支度の匂いと音が

思い出させるあの頃を

小石けりけり歩いた家路

首筋寒いおかっぱ頭

いつでも大人は怖くって

いつでも大人はあたたかかった

僕は大人になれたかな?

あんな大人になれたかな?♪

金太郎  はっはっはっくしょん!

浅子  少し冷え込んできたね、帰ろうか。

浅子が腰を上げると、こころは再び跳ね回り始める。一度姿を隠した浅子と二匹が庭先に現れると縁側で慎也が待っている。

慎也  こころ~お帰り。

満面の笑みで駆け寄る慎也を避けるように逃げるこころ。

慎也  もう照れちゃってかわいいなあ。

こころ  やだ~うざい臭い臭い臭いうざい~!

慎也は逃げようとするこころの肩をしっかりと掴み縁側に連れて行き、こころの手足を雑巾で拭きだす。

浅子  随分と早いお帰りだね?会社の付き合いとかないのかい?

慎也  ああ、俺がいない方が皆も酒が美味いだろうし、それにこころちゃんに早く会いたかったんでちゅよ~さあ綺麗になったからお家に上がろうね。

こころは慎也の手から逃れると一目散に奥に駆け込んでいく。

浅子  いい歳した大人がでちゅよはやめなさいって言っただろう?親の私でさえ鳥肌が立つんだから。

浅子は金太郎のリードを外すと慎也の用意した雑巾で太く短い足を拭いてやる。

慎也  ほっといてくれ、俺はもう自分の好きなように生きるって決めたんだ。サービス残業も休日出勤も全部辞め!家族の為に身を粉にして働いて来たっていうのに・・ああ馬鹿らしい。あっそうだ俺明日から有給とったから。

浅子  有給ってどのくらい?

慎也  取り敢えず2週間、月変わりには一応出社してそこからまた考えるよ。

浅子  2週間て、あんたまさかずっと此処にいるつもりかい?

慎也  年寄りの独り暮らしは物騒だからね。母さんだって男手があった方が助かるだろうに。

浅子  大きなお世話、一人の方がずっと気が楽だよ。離婚協議中だかなんだか知らないけど自分の都合だけであれこれ決められたんじゃたまったもんじゃないわよ。
第一なんであんたが自分で買った家を追い出されなきゃいけないの?嫁さんと子供がアパートでも借りれば済む話じゃないか。

慎也  うるせえな、色々あるんだよ。

浅子  まあ、まるでお父さんみたいだね。

金太郎が欠伸をしながら二人の間でごろんと横になる。

慎也  ・・悪かった。

浅子  別に謝ることなんてないけどね、あんただってむしゃくしゃしているんだろうし、溜め込み過ぎるのは良くないからね・・そうそう、明美が電話を寄こしたのよ。

慎也  明美が?珍しいこともあるもんだな。

浅子  いろいろ言ってやりたい事もあるんだけど、まあ日曜日に家に来るっていうから。

慎也  家に?まさか何かやらかしたんじゃないだろうな?

浅子  何かって何を?

慎也  分からないけどさ、このご時世痴情の縺れから警察沙汰なんて話も多いいじゃねえか。

浅子  よしておくれよ、例え胸を張れた人生じゃなかったとしても、あの子が人の道を外れる様な事をする筈はないでしょ。

慎也  いつまでも男をとっかえひっかえしてふらふらしているんだから、何があってもおかしくないだろう?

浅子  いい加減身を固めてくれればいいのにねえ。大学の時の彼氏があの事故であっけなく死んじまってから、あの子はずっと本気の恋が出来ていないのよ。

慎也  じゃあもう無理だな、三十路を過ぎて本気の恋もないだろうから。

浅子  何を言っているの、恋をするのに年齢なんて関係ないわよ。五十路になっても還暦過ぎても、女は恋をするべきなのよ。

慎也  母さんやめてくれなんか吐き気がする。

金太郎  愛することにかけては、女性こそ専門家で男性は永遠に素人である。三島先生の仰る通り。

浅子  兎に角、明美が来たらちゃんと話を聞いてあげるんだよ慎也。

慎也  何で俺が?

浅子  二人っきりの兄妹でしょうが。

慎也  そんなの母さんが聞いてやれよ。

浅子  勿論聞くわよ、当たり前じゃないの。

慎也  ならいいじゃねえか、俺は今自分の事で精一杯なんだから。

浅子  そんなこと言って、何があったのかちっとも話してくれないじゃないか。

慎也  色々だよ、色々。

浅子  あんたが話したくないならそれでもいいけど、明美の事は何とかしてあげたいと思うだろう?

慎也  別に。あいつが自分で選んだ道だろ?

浅子  あんたは!もう何時からそんな薄情者に成り下がったんだい。

金太郎  弱き人こそ薄情である。本当の優しさは強き人にしか期待できない。

浅子  ほらほら、金太郎だってちゃんと話を聞いてやれって言っているじゃないか。

居眠りでもしていたのか今まで静かだったこころが飛び込んでくる。

慎也  ああもう分かったよ、ちゃんと話を聞けばいいんだろう。

こころ  ねぇなに何してんの?こころの噂?そうでしょ?こころの話題で持ちきりなんでしょ?

慎也  こころちゃん、おやすみしてたのかな?可愛いでちゅね。

抱きかかえようとする慎也から必死で逃げるこころ。

こころ  いや~うざい臭い臭い臭いうざい~!

浅子  だからでちゅはやめなさいでちゅは。そっちの方がよっぽど吐き気がするわ。

慎也  こころちゃんが可愛い過ぎるから仕方ないでちゅよね。

逃げ回るこころを何とか捕まえ、頭にちゅっちゅする慎也の膝に金太郎がどしっと座り込む。その拍子に脱出するこころ。

金太郎  ふわぁぁぁあぁあぁあ。

こころ  おお金太郎ナイスアシスト。

慎也  こら金太郎重いよ、どけってばこらっ。

浅子  金太郎もでちゅが気に入らないんだねきっと。おっほほほほほほ。

賑やかな声を残しながら舞台は徐々に暗くなり・・暗転。


薄明かりの中金太郎が寝転んでいると、こころがちょこちょこ寄って来る。

こころ  おい金太郎起きてるか?

金太郎は狸寝入りを決め込むがこころは金太郎の背中をゲシゲシと蹴り出す。

金太郎  痛い痛い、何するんだよお前は。

こころ  何だよ起きているじゃないか、ちゃんと返事しろよ。

金太郎  起こされたんでしょうが!まったく。

こころ  ねえねえ、さっきは何で助けてくれたの?

金太郎  はあ?別に助けたつもりなんてありませんけど。

こころ  またまた、隠さなくったっていいよ。こころはちゃんと分かっているから。

金太郎  何を?

こころ  金太郎はこころの事が好きなんだろう?

金太郎  思い上がりは下り坂。株やる人なら常識だぞ。

こころ  株って何だ?それにこころは人じゃねえし。

金太郎  ああそうだった、俺らは立派な犬だった。

こころ  金太郎は時々訳のわからない事を喋るよな。あれなんだ?

金太郎  名言格言文学さ、まあお前には理解出来ないよ。

こころ  金太郎は何でそんな事を知っている?

金太郎  浅子さんの亡くなったご主人が教えてくれたんだ。本が大好きな人でさ、毎日おいらに読み聞かせてくれたっけ。

こころ  大好き?本ってこころよりも可愛いのか?

金太郎  ちょっと何言っているか全然分からない。

こころ  金太郎は馬鹿だなぁ、本とこころどっちが可愛いかって聞いているんだよ。

金太郎  ああそう、ごめんおいらが悪かった。もうこの話はやめよう。

こころ  やめない!本とこころどっちが可愛いか答えろ!

金太郎  だからさ、本は可愛いとか言うものじゃないんだよ。

こころ  なんだ、じゃあやっぱりこころの方が可愛いんだな。

金太郎  ・・はい、もうそれでいいです。

こころ  そうかぁやっぱりこころは可愛いのか。

金太郎  お前はなんでそんなに可愛い事にこだわるんだよ?

こころ  可愛くなければ捨てられちゃうからだよ。

金太郎  はぁ?

こころ  こころは一度捨てられたんだ。それで仲間がいっぱいいる大きな処に連れていかれた。世話をしてくれるおじさんはとても優しかったけど、でも暫くすると可愛くない仲間がまとめていなくなるんだ。時々可愛い子達もいなくなったけど、それは優しい人たちに貰われていったっておじさんが教えてくれるんだ。でも可愛くない子たちの事は黙ったまんまでさ。どうしてだと思う?

金太郎  ああ、それはきっと。

こころ  きっと何? 

金太郎  えっ?いや・・おいらには分からないな。

こころ  やっぱり金太郎は馬鹿だな。可愛くない子たちはまとめて捨てられちゃったんだよ。きっとみんなして今頃夜空に吠えているんだろうな。お腹空いたよ~って。

金太郎  あ、ああそうかもしれないな。

こころ  だからこころは可愛くなくちゃいけないの。此処に連れて来てくれた慎也の為にも、こころはもっともっと可愛くなるの。

金太郎  お前さあ・・

こころ  何?

金太郎  お前馬鹿だけどさ・・

こころ  馬鹿は金太郎じゃん!可愛いの大切さも分からなかった癖に!

金太郎  そ、そうだな。おいらの方が馬鹿かもな。

こころ  そうだよ、だって金太郎は生まれてからずっと此処にいるんでしょ?

金太郎  ああ、物心ついた時からずっとね。

こころ  そういうのを石鹸知らずって言うんだよ!

金太郎  石鹸ねえ・・

こころ  こころは可愛いだけじゃなくてお勉強も出来るんだからね、凄いでしょ?

金太郎  ははっ・・凄い凄い。

こころ  どう?こころの事もっと好きになっちゃった?

金太郎  だから好きじゃねえし!

こころ  いいからいいから。慎也みたいにべたべたされるのは困るけど、こころが可愛い過ぎるのがいけないんだし、金太郎がこころを好きになることを許してあげよう。

金太郎  はいはい、それはどうもありがとうございます。ってかお前慎也さんの事露骨に嫌ってないか?

こころ  え~慎也の事は大好きだよ。

金太郎  そうは見えないけどな。

こころ  だから金太郎は馬鹿なんだよ。慎也はこころを引き取ってくれた人だよ?大好きに決まっているじゃない。

金太郎  それにしては逃げ回ってばかりでさ。

こころ  ちょっと愛情表現がうざいし臭いから、べたべたしたくはないけど、でも逃げ回ってばかりじゃないよ。慎也が悲しそうな眼をしている時はちゃんとくっついていてあげてるもん。

金太郎  そうなのか?

こころ  そうだよ、いくら可愛くったってそこら辺はちゃんとしてあげないとね。

金太郎  お前凄いんだな。

こころ  それはもう聞いたよ。

金太郎  ああ、そうだけど。なんか見方変わったわ。

こころ  金太郎それ恋って言うんだよ。

金太郎  ああ撤回。今の無しね。

こころ  金太郎は馬鹿の上に照れ屋さんだなぁまったく。

金太郎  お前は年上に対する言葉遣いがなってない!

二匹のお喋りが飽きることなく続く中、明かりが段々と暗くなり・・暗転。


日曜日のお昼過ぎ、無人の舞台に車の音が響き家の前で止まる。玄関で呼び鈴がなるが応答がない。暫くして明美が庭先に回って来る。

明美  母さん、母さん・・なんだ誰もいないじゃない。

明美は一度車に引き換えし後部座席からムサシを連れて戻って来る。

明美  ほらムサシ、ここが私の育った家だよ。あんまりいい思い出は無いんだけどね。

ムサシ  なんか犬臭いな、それも随分と生意気な匂いだ。

ムサシは庭中をクンクンと嗅ぎまわる。

明美  どうしたのムサシ?そうか金太郎の匂いがするのか。

明美は縁側に腰掛け煙草を吸おうとするが、ライターの火を暫く見つめ結局吸わずにバッグにしまう。

ムサシ  金太郎っていうのはこの物知り顔の鼻につく匂いだな。それじゃこっちのお姫様気取りの生意気な奴は・・・

浅子と慎也、金太郎、こころの声が遠くから近づいてくる。

慎也  こんなに買い込むんだったら車で行けば良かったんだよ。

浅子  それじゃこの子らの散歩にならないだろ?

こころ ♪おっ買い物~おっ買い物~おっ・・!金太郎。

金太郎  ああ、何だか嫌な匂いがするな。

こころ  うん何だかすご~く乱暴な匂い。

散歩がてらの買い出しから戻ってきた皆に唸り声をあげるムサシ。

ムサシ  これはどうも初めまして。そっちの太っちょが金太郎さんか。でこっちのくそ生意気そうなのが?

こころ  ああ~なんかムカつくこいつムカつく!金太郎、ねえムカつかない?

金太郎  落ち着けよこころ。

明美   こらムサシ!ダメでしょ!いい子にしなさい!

慎也  へぇムサシって言うのか、こいつはまるで・・

浅子  ヤマトそっくりだね。

明美  まあね。

慎也  お前二時過ぎの予定じゃなかったのか?

明美  思いのほか道が空いていてね。ファミレスで時間潰そうと思ったけど見た顔ばかりいたからさ。

慎也  知り合いにはなるべく会いたくないか。

明美  なによ、久し振りに会ったってのに喧嘩売るつもり?

浅子  何じゃれあっているんだい、さあとにかく家にお上がりよ。今開けてくるからさ。

浅子は縁側に荷物を置いた慎也にリードを預け玄関へと向かう。こころとムサシはずっと睨み合っている。金太郎はこころが飛びかからない様にさり気なく二匹の間でウロウロしている。しばらくすると浅子が雑巾を二枚持って出てくる。

浅子  さあさあ金太郎、足を拭いてやるよ。ほら慎也こころの足も拭いてお上げ。

慎也  はいこころちゃんあんよふきふきちまちょうね。

こころはムサシをしっかりと睨んだままだ。

明美  ちょっとなにそれ?気持ち悪すぎない?

浅子  でしょう?ほらやっぱり気持ち悪いってさ慎也。

慎也  うるせえほっとけ。はい綺麗になりまちたよ~

こころは縁側から動かず、金太郎もそれに付き合う形でいる。

明美  ムサシも上げていいかな?

浅子  えっあんな大きい犬をかい?

慎也  どう見たって室内犬じゃないだろう?

明美  あら、欧米じゃ普通でしょ?

慎也  ここは日本だっていうの!

浅子  そんなに広い家じゃないんだから勘弁しておくれよ。

明美  まあ仕方ないか。ムサシ残念だけどお庭でおとなしくしていてね。

ムサシ  俺がそばにいなかったら明美を守れないじゃないか!何かあったらどうするんだよ。俺は明美のそばにいるよ!

明美  言うこと聞きなさい!いい?ちゃんと出来るわね?

不満げなムサシは庭からずっと明美の姿を追っている。

こころ  女に叱られてシュンとしてやがんの。大した事ないねあいつ。

金太郎  飼い主なんだから当たり前なんじゃないの?お前と慎也さんの方が異常だよ。

茶を運んできた浅子がテーブルの両端に陣取った二人に苦笑いをする。

浅子  昔は仲が良かったのに、いつからこう捻くれちまったのかね二人とも。

慎也  俺は何にも変わってないけどな。

明美  変わってない?じゃあ昔っからでちゅね~なんて話し方してたんだ。へ~知らなかったなぁ。

浅子  明美、突っかかるんじゃないよ。で?使ってたのかい慎也?

慎也  そんなわけないだろう!

明美  どうだかね、案外そのせいで由香さんに愛想つかされたんじゃないの?

慎也  何だと!

浅子  おやめよ明美。

慎也  俺はお前みたいにいい加減な人生をおくってきたわけじゃないぞ!家族の為に必死になって働いてきたんだ、いつまでもふらふらしているお前とは違うんだよ。

浅子  慎也も。

明美  まあご立派な人生ですこと。毎日毎日せっせと働いてお金を運んで、その挙句に放り出されて実家に出戻りなんてご立派以外の何物でもないわ。

浅子  明美。

慎也  何にも知らないくせに勝手なことをほざくな!いい歳して独り者のお前に家族の何が分かるって言うんだ!

浅子  慎也、ちゃんと話を聞いてあげる約束でしょう?

慎也  ああ、そのつもりだったけど。

大声を荒げる三人の様子に反応し吠え続けるムサシ。

ムサシ  明美、平気か?大丈夫か?おいこらっ!明美に何かしたらただじゃおかないぞ!

明美  独りの何が悪いのよ、誤魔化しながら傷つけ合って暮らすよりよっぽど気が楽じゃないの。

慎也  だったらちゃんと独りで暮らせ、誰とも関わらず誰にも迷惑かけず、たった独りで暮らしてみろ!

明美  何よ・・何よ人の気も知らないで!

ムサシ  明美、大丈夫か明美!

今にも飛び込んで来そうなムサシだが、庭の木にしっかりと結ばれたリードがそれを許さない。そんなムサシの勢いに、こころと金太郎も吠えだす。

こころ  明美~明美~だって。カッコ悪いたらありゃしない。

金太郎  そんなに暴れると庭の木が痛んじゃうじゃないか。

明美  あんただってちゃんとした家族を作れなかったから離婚するんじゃないの?

慎也  兄貴に向かってあんたとは何だあんたとは!

ムサシ  明美!明美!

こころ  明美~明美~ははははっ。

金太郎  ああ~もう庭がボロボロだ。

ムサシ  明美、明美!

浅子  うるさぁぁぁぁぁぁぁい!

浅子のひと声に思わず犬たちも静かになる。

浅子  あんた達につられてあの子らも騒ぎ出しちまうじゃないの、ご近所に迷惑だろ?もう少し落ち着いて話せないもんかね。

慎也  だけどこいつが・・

浅子  確かに明美が良くないよ、始めっから喧嘩腰で。何か話したいことがあって来たんだろうけど、そんな調子じゃこっちだって聞く耳持てるはず無いでしょ。

しゅんとした様子の明美を見て再び吠えだすムサシ。

ムサシ  明美!大丈夫か?明美!

浅子  ほら明美。あの子は慣れない場所で興奮しているみたいだから、散歩にでも行って落ち着かせてきておあげ。話はその後だね。

浅子の言葉にうながされてムサシの元に向かう明美。

浅子  あんたも少し頭を冷やして来るんだよ。

ムサシ  明美、苛められたのか?大丈夫か?

元気の無い明美を気づかうムサシ。明美は庭の木からリードを外し、ムサシの背をポンと叩く。

明美  ムサシ散歩に行くよ。

明美とムサシを見送る様に明かりが絞り込まれて行く。
一度姿が見えなくなり、別の明かりの中に再び登場し土手のベンチに腰掛ける明美。流れる雲に誘われたのか、浅子と同じ鼻歌を口ずさむ。

♪夕げ支度の匂いと音が

思い出させるあの頃を

小石けりけり歩いた家路

首筋寒いおかっぱ頭

いつでも大人は怖くって

いつでも大人はあたたかかった

僕は大人になれたかな?

あんな大人になれたかな?♪

明美  私だってちゃんとした大人になりたかったなぁ。

ムサシ  何だか寂しそうだぞ明美、俺がそばにいるから元気だせって。

明美  見た目はヤマトそっくりなんだけどな。でもお前はヤマトじゃないんだよね。

ムサシ  大丈夫か明美?俺はムサシだぜ。

明美  ヤマトっていうのはね、私が子供の頃に飼っていた犬なんだよ。小学校四年生の時から二十歳になるまでずっと一緒だった。だからあの時も旅行に連れてったんだ。大好きな彼との初めての旅行。ヤマトも彼の事が大好きで、私以上に懐いていたから。

ムサシ  泣いてんのか明美?俺はちゃんとそばにいるぞ。

明美  ああ・・歳とったなぁ私。さてと、帰ろうかムサシ。

明美がムサシの頭を撫で立ち上がろうとした時、目の前にすっと缶コーヒーが差し出される。

慎也  さっきは悪かったな。

ムサシ  何だお前、明美をいじめたら承知しないぞ!

明美  こらムサシ!吠えちゃ駄目でしょ。

ムサシ  だってこいつ明美をいじめにきたんだろう?

明美  大丈夫だから大人しくしなさい!

ムサシ  明美がそう言うなら・・・

慎也  随分と嫌われたみたいだな。

明美  人見知りするのよこの子。

慎也  そうか。良く似ているけどヤマトとは違うんだな。

明美  うん。比べちゃいけないって事は分かっているんだけどね。

慎也  お前の命の恩人だもんな、比べようがないさ。

明美  母さんまだ怒ってた?

慎也  ああ散々怒鳴られた、近所迷惑もいいとこだって。

明美  そっかぁ失敗しちゃった。

慎也  犬達も一緒になって騒いじまったからな。

明美  あの子は?何て言ったっけ?

慎也  ああ、こころ?俺よりも母さんに懐いちまった。

明美  こころちゃんかぁ・・それってやっぱり心音ちゃんから?

慎也  まあな。でもいくら可愛くても心音の代わりにはならないな。

明美  可愛いもんね心音ちゃん。

慎也  小さかった頃はね。だけど中学卒業するくらいから俺の前じゃ笑わなくなっちまってさ。

明美  あんなに仲良かったのにどうして?

慎也  ・・・お前、父さんの事好きだったか?

明美  何よいきなり。当たり前でしょ。

慎也  あんなに殴られたりしたのに?

明美  そんな事あった?確かに怒ると怖かったけど。

慎也  覚えてないのか?俺が中二の時部活サボって。

明美  ああ、レギュラー外された時ね。

慎也  そうだよ、止めようとした母さんやお前まで殴られて。

明美  そうだったかな?確かにもの凄く怒ってはいたけど。

慎也  俺のせいでお前たちまで殴られたのが納得できなくてさ。

明美  ずっと気にしてたの?馬鹿みたい。

慎也  馬鹿みたいってなんだよ、人のトラウマを。

明美  トラウマって、大袈裟ね。

慎也  俺にとっては大事だったんだ、だから怒れなかった。

明美  誰を?

慎也  いや・・・お前こそどういう事だよ。

明美  何が?

慎也  さっき言っていたじゃないか、人の気も知らないでって。

明美  ああ・・何でもない。

慎也  何でもないって感じじゃ無かったぞ。母さんも心配しているんだ、この際溜まっているもの全部吐き出しちまえよ。

明美  ・・・千鶴って覚えてる?

慎也  千鶴?

明美  山村千鶴。

慎也  山村?・・ああ、お前が事故った時にずっと見舞いに来てた子か。

明美  うん、私の数少ないお友達。60になったら二人で家をシェアしようなんて約束してたんだけどね・・彼女が今度結婚するの。

慎也  何だよおめでたい話じゃないか。

明美  そうなんだけどさ、いろいろ考えちゃったわけよ、孤独な老後になるんだろうなって。

慎也  そんな事で悩んでるのか?自業自得だろう。

明美  何よ、慰めてもくれないの?

慎也  甘えるな、俺こそ慰めてもらいたいんでちゅよ。

明美  気持ち悪い。

顔を見合わせてくすくすと笑いだす二人。

ムサシ  !明美、雨が降って来るぞ。

ムサシの言葉が呼び寄せた様に、大粒の雨が落ちて来る。

明美  大変、ムサシ帰るわよ。

慎也  何だって急に、まいったなぁ。

ぽつぽつと降り出した雨は瞬く間にザーッと勢いを増し、走りだした皆の姿を包み込み・・・暗転。 


明かりが点くと大野家の居間。犬達の姿は見えない。食事を終えたのだろうか、慎也が一人新聞を広げている。暫くして、洗い物を片づけた浅子と明美が入って来る。

浅子  それにしても凄い雨だったね。

明美  あんなに濡れたのは学生以来かもしれない。

慎也  このところ当たらねえよな天気予報。

浅子  予想しづらくなっているんだろう?異常気象とかでさ。天気予報でさえそうなんだから、人生が予定通りに行かないなんて当たり前の事なんだよ明美。

明美  ありがとう母さん、ごめんね心配かけて。

浅子  別に心配なんかしちゃいないけどね。

慎也  よく言うよ、心配し通しなくせに。

浅子  あらそうかしら。

明美  ねえ兄さん、さっき言ってた事だけど。

慎也  何か言ったっけ?

明美  怒れなかったって。

慎也  ああ、もういいじゃないか。

浅子  何?なんの話だい?

明美  母さんは聞いているの?何で離婚するのか?

浅子  色々あるんだってさ、その一点張り。

慎也  だって色々あるんだよ、俺が浮気をしたとか仕事をクビになったとかいう単純な問題じゃないんだから。

明美  私にはともかく、母さんにはちゃんと話しといた方がいいんじゃないの?

浅子  そりゃそうさ、いくら息子でも訳も分からずここに置いとけはしないよ。

慎也  俺だって良く分からないんだよ、由香や心音の話を聞いてもさ。ただ何となくそういう事なのかなって思うだけで。

浅子  いいじゃないの、どういう事なのか話してみなさいよ。

慎也  ・・・母さんは何で父さんと別れなかったんだい?

浅子  何だいいきなり。

慎也  俺のせいで理不尽に殴られてたりしたじゃないか。

浅子  そんな事あったかね。

慎也  ほら、俺が中学の時。

浅子  ああ、あの時ね。

明美  兄さんのトラウマなんだってさ。

慎也  だってそうだろう、母さんや明美は何も悪くないのに。

浅子  そう言えば、父さんも同じ事を言ってたよ。

慎也  えっ?

浅子  お前達にまで手をあげてすまないって。

明美  そもそも私は覚えてないしね。

浅子  あの人も随分と落ち込んでいたから、子供と同じ痛みを感じられたんだから気にするなって言った気がするよ。

明美  何だか母さんらしいな。

慎也  父さんも気にしていたのか。

浅子  当たり前じゃないか。そんなことより慎也の話は?

明美  そうだよ、誰を怒れなかったの?

慎也  俺は・・・怖かったんだ、怒り出したら父さんみたいになるんじゃないかっって・・だからあの時も怒れなかった。

浅子  あの時って?

慎也  心音が万引きで補導された時。

浅子  万引きって!あんたそんな事があったなんて一言も!

慎也  わざわざ恥を知らせる訳ないだろう?それに心音は友達に付き合わされただけだったから。仕事が忙しくて身元の引き受けも由香に任せっきりだったし、家に帰って心音の顔を見たら叱るに叱れなくて・・母さんに迷惑かけるなとしか言えなかった。

こころが勢い良く飛び込んでくる。少し遅れて金太郎も登場。

こころ  ああ~♪良く寝た良く寝た寝倒した♪

金太郎  ふわぁぁ。今後のことなんかはぐっすりと眠り忘れてしまうことだってのはシェークスピアだっけか?

浅子  そりゃ殴るのはよくないけど、それでも叱って貰いたかったのかもしれないね。

こころ  金太郎、なんかみんな変だぞ。

金太郎  ああ、ちょっと離れてた方が良さげだな。

慎也  どうもそうみたいなんだよな、由香も心音もそれからどんどんよそよそしくなって。

明美  嘘でしょ?そんなもんなの?たったそれだけの事で壊れちゃうもんなの?

慎也  勿論それだけじゃないんだろうけど、俺にはもう分からないんだよ。

浅子  思い出してごらんよあんた達が結婚した時の事。世間じゃ子供が子供を殺す様な物騒な事件が起きてさ。

明美  あったあった、由香さん子供を作るのが怖いって言ってたっけ。

浅子  それでも心音ちゃんが出来た時にはそんな不安はふっとんじまっただろう?

こころ 浅子は何言ってんだ?ちんぷんかんぷんだぞ。

金太郎  親思う心に勝る親心さ。

こころ  こころは親なんか知らねえし、全然分からないよ!

浅子  その気持ちが大切なんだ。子供が失敗するのと同じように親だって失敗するとしてもね。

慎也  親だって失敗する?

浅子  そりゃそうだよ、人が人を育てるのに正解なんてありゃしないもの。

金太郎  親はあっても子は育つって旦那さんは良く言ってたよ。こんなろくでもない親のもとでもちゃんと逞しく育ってくれたってさ。

こころ  こころもちゃんと育っているしな。

明美  さしずめ私は失敗作ってところかな。

浅子  明美は成長が遅いだけ、学生の時から止まったまんま。

慎也  親が失敗しても子供はちゃんと育つって事か。

こころ  おっ金太郎と同じこと言ったぞ。

金太郎  おいらの言葉じゃないよ。

浅子  そりゃもし成功すれば子供の人生は苦労が少ないだろうけど、果たしてそれがいいのか悪いのかは微妙じゃないかね。

明美  じゃあ教えてよ母さん、何時までも消えないこの悲しみは一体何の役にたつのか。

浅子  甘ったれるんじゃないよ明美。

こころ  誰かに優しく出来るためじゃん。

金太郎  お前凄いな。

慎也  答えは自分で見つけるしかないんだよ明美。

ムサシ  明美~雨がやんだぞ、明美~

徐々に明かりが暗くなり・・暗転。


薄明かりの中金太郎が寝転んでいると、こころがちょこちょこ寄って来る。

こころ  金太郎、おい金太郎てば。

相も変わらず金太郎をゲシゲシと蹴飛ばすこころ。

金太郎  痛い、痛い痛い痛い。もう蹴るのはやめろって。

こころ  あんなにお昼寝したのに良く眠れるな。

金太郎  睡眠は最高の瞑想だからね。

こころ  また訳の分からない事を言ってら。

金太郎  まあ理解しろとは言わないから安心しなさい。

こころ  ねえねえ、あいつ起きているかな?

金太郎  えっ?昼間随分と暴れていたから寝ているんじゃないか?

こころ  金太郎ちょっと見てきてよ。

金太郎  はあ?何でおいらがそんな事しなくちゃいけないの?

こころ  だってこころがいきなり襲われたら悲しいだろう?

金太郎  誰が?

こころ  金太郎が。

金太郎  どうして?

こころ  こころの事が好きだから。

金太郎  誰が?

こころ  金太郎が。

金太郎  何で?

こころ  もう!いいから早く見てきてよ。

こころは再び金太郎をゲシゲシと蹴り出す。

金太郎  痛いってば!分かったからもう蹴るなって。

のそのそと縁側に近づく金太郎。ガラス戸に鼻をこすり付けるように庭を覗き込んだ時、いきなりムサシが飛び起きる。

金太郎  うわぁぁびっくりした!

ムサシ  何だよ、何か用事でもあるのか金太郎さん?
金太郎  いや、別に用事って程の事じゃないけど。
こころ  あははははっ。金太郎凄いびっくりしてた。ああ可笑しい、あははははっ。

金太郎  お前が笑うなお前が。

こころ  だってこ~んなに飛び上がってたよ。まるでバッタみたいにさ、あっははははは。

金太郎  ああ~もう知らない。もうおいらは寝るからな。

こころ  ごめんごめん、もう笑わないからさ。くっくっくっく。

金太郎  じゃあ何?そのくっくっくっくは?

こころ  はあ~よし!もう大丈夫、治まったから。

ムサシ  随分と仲がいいんだな。

こころ  あれ?妬けちゃう?こころが可愛いから?

ムサシ  はあ?

こころ  あんたムサシって言ったっけ。残念だけどムサシはこころの事好きになっちゃ駄目だからね。

ムサシ  お前何言ってんだ?

金太郎  こういう奴なんだよこいつは。

こころ  だってムサシは明美~明美~って情けないもんね。

ムサシ  馬鹿にするな!

こころに飛びかかろうとするムサシだが、リードに阻まれてガラス戸までも届かない。

こころ  ムサシって明美の事が好きなんでしょ?

金太郎  それは飼い主なんだから当たり前だろう?

こころ  違うよ金太郎、ムサシは女として明美の事が好きなんだ。

金太郎  まさか、そんな事あるわけ・・・

ムサシ  女として明美を好きになっちゃいけないのか!

金太郎  あるのね、びっくりだな。

こころ  ほ~らやっぱり。そうだと思ったんだ、気持ち悪い。

ムサシ  俺が誰を好きになろうとお前にとやかく言われる筋は無い。

金太郎  いや筋違いなのはお宅の方だと思われるわけで。

こころ  別に誰を好きになったっていいけどさ。

金太郎  おいおい、良くはないだろう?

こころ  ムサシ今のままじゃ捨てられちゃうよ。

ムサシ  ふんっそんな事あるわけがない。明美にとって俺は必要な存在なんだ。

こころ  だってムサシは自分の気持ちを押し付けているだけだもん。明美が一人になりたいと思った時にちゃんと気付ける?

ムサシ  明美はいつも俺がそばにいてやらなくちゃ駄目なんだ。一人になるといつも悲しい顔をするから。

こころ  ほらね、ムサシは何にも分かってないよ金太郎。

金太郎  ああ、人間てもの凄く複雑でそんでもってもの凄く残酷で。

ムサシ  何だよお前ら、俺と明美の事を何にも知らないくせに知ったかぶりするんじゃねえよ!

こころ  あ~あせっかくアドバイスしてあげようとしたのにな。

ムサシ  何も知らないくせに!何も知らないくせに!

こころ  分かった分かった。もう何も言わないよ。

ムサシ  何も知らないくせに!何も知らないくせに!

こころ  ああ~うるさいなぁ。金太郎もう放っておこう。

金太郎  お前がちょっかいを出したからじゃないか。

ムサシ  何も知らないくせに!何も知らないくせに!

ムサシの遠吠えがいつまでも続く中・・・暗転。


明かりが点くと三人と三匹が散歩に出掛ける準備をしている。

金太郎  ふわぁぁぁあぁあぁあ。

浅子  ほら金太郎、欠伸ばっかりしていないで散歩に出掛けるよ。

こころ  何だか寝不足みたいだけど大丈夫慎也?

慎也  こころちゃ~ん、何々?早く散歩に行きたいの?

こころ  散歩は浅子と行くから休んでればいいのに。

慎也  も~う今日も可愛いでちゅね。

明美  ムサシ、今日はみんな一緒だから仲良くするんだよ。

ムサシ  明美、明美は俺を棄てたりしないよな?

明美  ちゃんと仲良くできるよね?ムサシ。

ムサシ  俺だって仲良くしたいのに・・あいつらには分からないんだよ俺たちの事。

浅子  さて、みんな準備出来たみたいだから出発しようか。

金太郎  ふわぁぁぁあぁあぁあ。

浅子が皆に声をかけ庭を出ようとした時、突然立ち止まり振り返る。

慎也  何だよ母さん急に止まるなよ。

浅子  ごめんなさい、西條さんとこに回覧板持っていくの忘れてたのよ。ちょっと先に行っていておくれ、すぐ追いかけるから。

明美  待っていようか?

浅子  いいわよ、金太郎は乗り気じゃないけど、その子達は早く散歩に行きたいだろうからさ。

慎也  じゃあいつもの土手で待っているから。

浅子  ほい了解了解。

回覧板を取りに戻る浅子と金太郎を残して、二匹と二人は退場。

浅子  金太郎ちょっとだけ待っていておくれね。

金太郎  ふわぁぁぁあぁあぁあ。欠伸をしても一匹・・か。

程なくして回覧板を手にした浅子が戻って来る。

浅子  お待たせお待たせ、さあ行こうか金太郎。

金太郎と浅子が庭を出るのに合わせて明かりが変わり、袖から二匹と二人が登場する。

こころ  あ~あ早く金太郎来ないかなぁ。

ムサシ  あんまりお前とは絡みたくないみたいだけどな。

こころ  絡みたくない訳ないじゃん、金太郎はこころが大好きなんだから。

ムサシ  へえ~俺には迷惑がっているように見えるけどな。

こころ  馬鹿なムサシには分からないだけだよ。

ムサシ  ふざけるなよお前!

明美  こらムサシ仲良くしないと駄目でしょ!

慎也  おいおい、大丈夫かよこいつ。

こころ  やぁいやぁい怒られた。

ムサシ  うるさいんだよ!

明美  ムサシ!

慎也  こころちゃん可愛そうに、怖かったでちゅね。

ムサシ  だって明美、こいつ本当にむかつくんだ。

慎也  見た目はそっくりでも中身はまるっきり違うんだな。

明美  そうでもないのよ、ただちょっと気が荒いだけで。

ムサシ  なあ明美聞いてくれよ。

明美  ムサシ痛いよ。

こころ  明美痛がっているじゃん、可愛そう。

ムサシ  あっごめん明美・・

慎也  このガタイにこの気性じゃ手に余るんじゃないのか?

明美  最近特に人見知りして、本音を言うとちょっと困ってる。

慎也  マンションで飼っているんだろう?苦情出ないのか?

明美  うん、お隣の犬や奥さんは平気なんだけど、旦那さんとか宅配便の人にはもう大変。

慎也  何だよ男ばっかり吠えるのか?どうしているんだよ、そのぉ・・彼氏さんが来る時とか。

明美  悔しいけど来ることないんだなこれが。

慎也  何だよ彼氏もいないのか。

明美  もう愛とか恋とかする歳じゃないしね。

慎也  女は還暦過ぎても恋するべきだって母さん言ってたぞ。

明美  嘘、なんかちょっと怖い。

慎也  お前もしかしたら実家に帰るつもりで?

明美  そう出来ればいいかなって正直思った。綺麗ごとじゃなく、母さんの事も心配だし。

慎也  お前がやり直す為だったら母さんは反対しないだろうけどな。

明美  だけどやっぱり甘え過ぎかな・・母さん随分と歳とったよね。

慎也  そりゃ何年もまともに顔出さなきゃそう感じるだろ、俺でさえそう思うんだから。

明美  親不孝だね私・・・

慎也  やめろよ、耳が痛い。

明美  兄さんはそんなことないじゃない。

慎也  一緒だよ。自分の家がこんなになっちまうまでは、盆と正月に義務で顔を見に来たくらいだったからな。

明美  寂しかったかな母さん。

慎也  一人の方が気が楽だってこの前言ってたけど、きっとあれは強がりだと思うよ。

ムサシ  明美、何か悲しそうだぞ大丈夫か?お前明美に何をした!

慎也  何だよいきなり。

明美  ムサシ!

こころ  まったく無神経だよねムサシは。

ムサシ  うるさいなお前!

こころに飛びかかろうとするムサシの勢いに押され、二人はリードを放してしまう。慌ててリードを取ろうとする二人。

慎也  こころ!こころ!

明美  やめなさいムサシ!

こころ  ムサシになんか捕まらないよ。

ムサシ  お前もう許さないからな!

二匹が追いかけっこをしながら姿を消し、二人もその後を追って消える。と、けたたましい車のブレーキ音が響き、ドンっと鈍い音が聞こえる。

慎也  こころ!こころぉぉぉ!

明美  嫌ぁぁぁぁ!

一瞬の静寂の後、浅子と金太郎が姿を見せる。

浅子  あれ?二人とも居ないねぇ。つい話が長くなったのは悪かったけど、待っていてくれてもいいんじゃないかい。

金太郎  浅子さん、これ・・この匂い・・

浅子  どうしたんだい金太郎?

血だらけのこころを抱えた慎也と、さすがに大人しくなったムサシを連れた明美が戻って来る。

浅子  慎也!一体何があったんだい?

金太郎  こころ・・冗談だろう?なあ冗談だろうこころ?

慎也はこころを降ろし、頭を抱えて悲しみを噛み殺している。

浅子  何があったんだい明美?

明美  車が・・事故で・・車が・・

浅子  大丈夫かい明美?

明美  事故で・・車が・・車・・

浅子  分かった、もう分かったよ明美。

放心状態の明美の頭を抱き寄せ何度も大丈夫だからと繰り返す浅子。金太郎はぐったりしたこころのそばを離れない。

金太郎  悪ふざけはやめろって、こころ・・目を開けろよこころ・・

こころ  ・・き・・金太・・郎・・

金太郎  こころ!大丈夫か?大丈夫だよな?

こころ  どう・・かな・・ねえ・・金・・太郎・・

金太郎  何?何だいこころ。

こころ  こころ・・・可・・愛い?

金太郎  ああ、ああ可愛いよこころ。

こころ  ・・嘘・・ばっかり・・・

金太郎  嘘じゃない、可愛いよこころ。

こころ  ・・あ・・りがとう・・

金太郎  お礼なんてお前らしくないよ。

こころ  ・・おね・・がいを・・聞いてくれ・・る?・・

金太郎  お願い?ああ何だって聞いてやるさ。

こころ  ・・慎・・也の・・こと・・助け・・てあげ・・てね・・

金太郎  それはこころの役目だろう?ちゃんと自分でしなくちゃ!

こころ  ・・家族・・仲良く・・して・・・

金太郎  こころ?こころ!こ・・こころ・・

金太郎の遠吠えに溜まらずにムサシが吠え返す。

ムサシ  明美、違うんだ俺はただ・・

明美  ヤマト・・無事だったんだねヤマト。

浅子  明美あんた・・

明美  良かった、良かったねヤマト。

浅子  その子はムサシだろ?しっかりおしよ明美。

明美  良かったねヤマト。

慎也  何がヤマトだ、そんなバカ犬をヤマトと一緒にするな!

明美  どうしたの兄さん?

慎也  どうしただと?ほらよく見ろよ、そいつのせいで心音が・・

明美  心音ちゃん?

浅子  あんたまでどうしちまったんだい慎也、心音じゃないこころだろ?

慎也  今の俺には心音の代わりだったんだ、それを・・それをこのバカ犬が!

明美  やめて!やめて兄さん!

ムサシを蹴飛ばそうとする慎也にしがみつく明美。

ムサシ  大丈夫か明美!この野郎!

吠えながら慎也に飛びかかるムサシ。

明美  駄目!やめて、やめてヤマト!

明美の叫びも虚しくムサシは慎也を押し倒し押さえつける。必死で抵抗する慎也だがムサシの勢いは止まらない。

浅子  金太郎!

浅子の呼び声が早いか、金太郎がムサシに体当たりをする。

金太郎  何やってんだムサシ!

ムサシ  邪魔するな!俺は明美の為に。

金太郎  あんなに怯えさせてどこが明美さんの為なんだ!

ムサシ  あ、明美?

明美は、一歩近づこうとするムサシから思わず後ずさり浅子にしがみつく。

金太郎  何やってんだよムサシ、何やってんだよ!

ムサシ  俺は・・俺は明美の為に・・明美、明美ぃぃぃぃ!

ムサシの悲しみを覆い隠すように・・・暗転。


明かりが点くと三人がテーブルを囲んでいる。金太郎は何かぶつぶつと呟きながら縁側でぼんやりと空を眺めている。

浅子  本当に保健所に頼んで良かったのかい明美?

明美  うん、仕方ないもの。ごめんね兄さん。

慎也  いいんだよ、お前のせいじゃない。それよりお前こそ大丈夫か?思い出したんだろう事故の事。

明美  大丈夫よ、もう大丈夫。

浅子  無理はするんじゃないよ?落ち着くまで、いや何ならずっとこの家にいればいいんだから。

明美  ありがとう母さん。

浅子  よしておくれよ礼なんて、もともとあんたの家じゃないか。

明美  でも、親不孝ばかりしてきたのに・・

浅子  そんな風には思っちゃいないけど、だったらこの先ずっと孝行してもらわなきゃね。そうそう慎也にも。

慎也  ああ、分かっているよ母さん。

浅子  この間西條さんに言われたわよ、色々ご事情はおありでしょうけど、この歳になってお子さんたちが戻って来られるなんて大野さん幸せですねって。

慎也  何だよそれ皮肉かい?

浅子  自慢の息子が田舎に引っこんじまったからね、西條さんも寂しいんだと思うわよ、随分と教育熱心だったから。

明美  あの子いい人に貰われてくれないかな。

慎也  あれだけ気性が荒くちゃ難しいだろう。

明美  ペットでさえちゃんと躾けられない私が、家庭なんて持てるはずがないよね。

浅子  馬鹿な事言うんじゃないよ、それが甘えだって事にいい加減気づかなきゃね明美。

慎也  まああれだ、きっとヤマトの影を追いかけ過ぎたんだな。

浅子  それはあんたも同じだよ慎也。いくら似ていたってムサシはヤマトじゃない、いくら可愛くたってこころはペット。二人とも自分の寂しさを紛らわしたかったんだろうけど、いつまでもそんなところに逃げ込んではいられないんだからね。

三人の話を縁側でぼんやりと聞いていた金太郎がトコトコと近くに寄って来る。

金太郎  慎也さんいくら時間は掛かってもいい、あなたは必ず幸せにならなくちゃ駄目です。だってこころは、最期の最期まであなたの事をあなたの家族のことまでを気にしていたのだから。あなたにとっては娘さんに会えない寂しさを埋める為だけの存在だったかもしれないけれど、親の顔も知らないこころにとっては、あなたは大切なたった一人だけの家族だったのですから。

慎也  何だよ金太郎珍しいな。

浅子  お腹空いたのかい?さっき食べたばっかりだろう?

金太郎  明美さんあなたもです、あなたも必ず幸せにならなくちゃいけない。ヤマトの事は良く知らないけれど、あなたの身代わりになって亡くなったんですよね?そんなヤマトと比べられている事も気付かない馬鹿な奴だったけど、あいつは・・ムサシは真っ直ぐにあなたの事が好きでした。ただ不器用過ぎて気持ちの伝え方が分からなかっただけなんです。きっとあなたに甘えたかっただけなんです。

明美  なぁに?どうしたの金太郎?

金太郎  浅子さん、いつもいつも感謝しています。おいら以上に浅子さんの愛情を注がれたお二人なのだから何にも心配することなんてありませんよ。きっといつまでも逃げ込んではいないでしょう。ただ、ひとつだけ分かって欲しいんです。仰る通りおいら達は所詮ペットです。人間の都合で捨てられようと文句なんて言えた義理ではありません。でもおいら達は心の底から願っているんです。あなた達の人生がどうか素晴らしいものになります様にって。こころもムサシもそしておいらもね。

浅子  最近賑やかだったから、きっとこの子も寂しいんだろうね。

慎也  こころと仲良しだったもんな。

明美  そうか、ごめんね金太郎。

金太郎  忘れないでください。おいら達と違って、あなたたちは選ぶことが出来るんだ。自分の意志で自分の力で、その人生が希望に満ちた素晴らしい物になるための道をね。

金太郎はトコトコと庭へ下り空に向かって遠吠えをあげる。いつしか遠吠えはメロディーに変わっていく。

♪夕げ支度の匂いと音が

思い出させるあの頃を

小石けりけり歩いた家路

首筋寒いおかっぱ頭

いつでも大人は怖くって

いつでも大人はあたたかかった

僕は大人になれたかな?

あんな大人になれたかな?

ノスタルジックな言葉を並べて

ただ逃げ込んでいるんだろう?

誰にも傷つけられない場所に

メランコリックな自分に酔って

ただ漂っているんだろう?

いつかはきっとと言い訳をして

割と最近誰かが言った

凄く身近な誰かに聞いた

カオスの巷に進んで行けと

傷つく事には意味がある

悲しむ事にも意味がある

必要なのは踏み出す勇気

ただ一歩一歩だけ

一握の砂こぼれぬうちに

ただ一歩一歩だけ

そして   また一歩♪

メロディーのフェードアウトと共に明かりが絞り込まれて行く。          終劇



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