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開けてみれば何事もなし


町の不動産屋に勤めていた。
サザエさんでいう花沢不動産みたいな。


「女性ひとりで案内していて怖い思いとかしたことないんですか?」


強いて言うなら、まぁ、今ですかね。

という言葉を飲み込んで

「ないですねぇ。みなさんいい人で。」
と斜め後ろを振り返り笑顔で返事をした。

6階建て単身者向けの物件。
最上階のお部屋を案内するために乗り込んだエレベーターの中。
お客さんは30代男性、2人きり。

移動の車中でもろくな世間話をしてこなかったのに、このシチュエーションで急に出すお題ではないやろ。

男性は坊主頭。朴訥、ともとれる外見でアンケートの職業欄を見れば料理人。
来店時から口数少な目で
「転職でこちらに来ることになりました。」
とお部屋を探しにこられた。
物件へ車で向かう道すがら
「この辺りにお住まいの方はあのスーパーをよくお使いですね」
とか
「コンビニはここが近いですね」
の話に
「なるほど」
「はい」
など言葉短めの返事だけを返してくれていたので『世間話はしない派のお客様』として接していたのに、よ。


結論を言えば彼はただの会話の運びが下手な料理人でその後、契約もしてくれたし入居後も退去までなんの問題もない良い人だった。


他にもスナック店舗を案内中。
窓のない真っ暗な物件内でお客様の男性と二人きり「ブレーカーあげてきますね」という私に「一緒に行きましょう」とゼロ距離で真後ろを歩かれる時、とか考えようによっては怖いようなことはまぁ、あった。


だけど、私がいつも本当に「怖い」と思っていたのは押入れの襖を開ける瞬間、だ。

募集開始まえの物件写真を撮りに行くとき。
一人。
閉まっている押入れの中を想像してはいけない。
と考えている時点でもういけない。

どうせ開いても何もない。
ルームクリーニングだって入っているので、変な忘れ物もあるわけない。
前に住んでいた人も、なんならその前に住んでいた人も知っているし、建物にも土地にもなんの事情もない。

そこには部屋より少し薄暗い空間が閉じ込められているだけ。


−−−−−−−−−−−


貸家として造られた物件ならまだいい。


今まで住んでいた家を貸出したい、と言われ見に行った家にある押入れ。
「魂は抜いてありますから」
と言われても和室の仏壇の存在が気になる。
照明器具は外されているので部屋に明かりはなく、外は晴れているのに室内はなんとなく薄暗い。

開ける押入れはきっともう一段暗いだろう。


こんなところで「なにか」を見てしまったら私はもうこの仕事を続けられないだろうな、などと思いながら押入れを開け、中を点検していく。

「だったら開けなければいい」

そうは思っても閉じたままの押入れはそれはそれで気になる。


隅の色濃い暗闇にうずくまっているかも
襖に耳をつけこちらの様子を伺っているかも


何もないことを確認するために開けなければならない。



案内時
「魂は抜いてあるそうです」
と言ったところで存在感抜群の仏壇のせいか、またはどこか薄暗い部屋のせいか、なかなか入居者が決まらなかったこの物件にある日
「オレ社長の親友」
という気のいいおっさんが内覧を希望して
「気に入った!」
と入居申込み用紙を持って帰ってくれた。
後日入居申し込みに来てくれるそうだ。

ついに決まったか。

と事務所に戻り
「社長のお友達らしいですね」
と最初に記入してもらったアンケートを当の社長に見せると
「みついさん、あんたこれヤクザやが」
と言うなり
「もう他で決まった、って断りの電話しといて。あと物件に貼ってある『入居者募集中』の張り紙も外してきて」
とテキパキ指示してきた。

何をもってヤクザというのか純真無垢な私には分からないが、とにかく部屋を借りてもらってはややこしい人で「オレ社長の親友」というのは嘘であるらしい。

ホームページまではチェックしないだろう、ということでネットの中だけでひっそりと募集を続けたその物件は結局入居者を見つけることが出来ず、家主さんが「他の不動産屋にお願いすることにします」とカギを持って行ってしまったのでうちでの募集を終了した。



私はそれから幾つも押入れを開けてきたけれど、結局そこには薄暗い空間があっただけでここで披露するようなエピソードは持っていない。

良かったな、と思う。

押入れなんて割とどこにでもあるから。

そんな話をしてしまったら、私だけじゃなくあなたも押入れを開けることが怖くなってしまうかもしれないから。









気に掛けてもらって、ありがとうございます。 たぶん、面白そうな本か美味しいお酒になります。