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ありがとうは聞こえない

町の不動産屋に勤めていた。
サザエさんでいう花沢不動産みたいな。


不意に事務所にやって来るお客様がお部屋を借りたい人なのか、お家を買いたい人なのかわからないのでとりあえず私が
「いらっしゃいませ」
と要件を聞く。

借りたい、というならばそのまま賃貸担当の私の出番だ。


自動ドアがウィーンと開き一人の女性が事務所に静かに入ってきた。
うつむき気味で70代くらいだろうか、藤色の毛糸の帽子をちょこんと被っている。
「こんにちは、いらっしゃいませ」
で座ってもらいカウンターを挟んで話を聞く。
「今日は賃貸ですか?売買ですか?」
「………」

無言ではない。
何かは言っている。
だけれど全然聞き取れない。
声が小さすぎる。

すごくすごく顔を近づけて、やっと
息子と2人で住む家を借りたい
と聞こえるので希望のお部屋の広さ、家賃、地域などを書き込んでもらう為アンケート用紙を渡す。

が、お名前の欄を埋めたあと手が止まっている。
大貫さん、というらしい。

「お部屋のイメージやこういう感じがいいとかありますか?」
と聞くと
「全然わからないんです」
という。
この耳が慣れたのか、大貫さんが私に慣れたのか先程より声が聞き取れるようになったのがありがたい。

「お二人で暮らすのなら」
と2DK、2LDK、3DKのお部屋の資料を出して築年数や駐車場の説明をする。
「車はないんですけど。その分安くなりますか」
やっと聞き取れるようになった小さな声で聞かれた。

私が生まれ育って働くこの町は九州の田舎で自動車は成人になると「一人一台」などと言われる。
ほとんどの貸家は当然のように駐車場込の家賃設定となっているけれど、これが不要だからといって家賃は下がらない。

「すみません、このままなんです」
というと
「いいんです、いいんです」
と言い資料の一枚一枚を手に取りじっくりと見始めた。
「LDKっていうのがよく分からなくて」
と次の質問が来た。


入社当時私もどこからがLDKでどこまでがDKか分からず先輩に質問したら
「ご飯食べるテーブル置ける広さがあったらLDK。なければDK」
とものすごく簡潔に教わったのでそのままを大貫さんに伝えた。
なのでうちで扱っている物件では同じLDK表示でも12帖程の文句なしの広さのものや
「これでLDK名乗られても」
と戸惑うような5帖程しかないものまで幅広いんですよ、と。

「難しいですよね、実際に見てみますか?」
と聞くと
「はい、引っ越しは5月を予定しているんです」
と言う。

今は11月。

多分、今日紹介する物件は異動時期の3月には埋まってしまうこと。
今気に入った物件があっても予約できないこと。
予約できたとして、どんなに家主に交渉しても住まない間の家賃が最低でも4ヶ月分は発生しまうこと。
今は一旦、止めておいてお引越しの一、二ヶ月前にお家探しをした方がいいこと。

を説明したけど、大貫さんがそこは譲らず入居出来なくても内覧がしたい、と小さな声でしかし熱く言うのでその日暇な私は2DK、2LDKのアパートと3DKの戸建てを巡ることにした。

案内車にカーナビなんて立派なものは付いていないのでどのルートで回ろうかな、と道順を考えながら大貫さんと事務所を出た。

各物件を静かにじっくりと見て、1時間半ほどで案内を終え事務所に戻ると
「それでは、また来ます」
と小さな声で来たときと同じように大貫さんは静かに出ていった。


四月。


本当に大貫さんはやって来てくれた。
今度は息子さんと一緒に。
冬に渡した物件資料も大事に持参してくれたけど、やっぱりあの時回ったお家はみんな埋まってしまっていた。

今回は初めての息子さん登場なので、あなたのご希望は、とお話を振ると
「べつに」
「なんでも」
「どうでもいい」
すぐに分かる。
この四十代男性、物件探しとか引っ越しとかに全く興味がない。

二人の温度差
困るぅ。

どういう事情で、母親が半年前から物件を探して、どういう事情でこの息子はここまで付いて来ておいて非協力的なのか。

とりあえず前回同様、何軒か内覧行きますか
と誘うと大貫さんは行きたそうなのに息子は
「いやいいです。帰ります」
と席を立ってしまった。
大貫さんも静かに後を付いて出ていった。

これは契約にはならないだろうな。
とその後、営業をかけることもなく過ごしていると半月ほどして大貫さんが再び来店された。
「引っ越しはしないことになりました」
「色々お世話になったのにすみません」
それだけの為に。

そんなの電話で良かったのに。
いや、電話すらいらない。
断りの報告をしてくれるお客さんは少ない。
こちらからお電話しても迷惑がられたり無視をされたり。
それが普通。


やっぱり大貫さんにその後どうですか、と営業の電話かけておけば良かった。
わざわざ出向いてもらってしまった。
しまった。

私はただの不動産屋なので、大貫さんが引っ越すために一生懸命だったこととそれを諦めたことしか知らない。
どうしてですか?どうしました?
と聞くことはない。

だけど、ただの不動産屋なのでやっぱり上手く仲介して「すみません」より「ありがとう」を聞いてみたかった。

干渉、好奇心、お節介、ノットユアビジネス、その狭間にある温かい気遣いの気持ちだけを上手にまとめて
「お手伝いできることはありませんか」
と聞ける人になれればよかった。

なれなかった。









気に掛けてもらって、ありがとうございます。 たぶん、面白そうな本か美味しいお酒になります。