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【出国直前@成田】朝から半ベソかきながら、二つの愛を感じてさらに泣いた話【KS①】

もう、一記事目から出国前の話。

脱線、得意なんです。

2016年11月22日、火曜日。

――出国の日。午前11時くらいの便で成田を発ち、アムステルダムで5~6時間のトランジットを楽しみ、優雅にナイロビ入りを果たす予定だった。

そう、予定だった。

その予定は、果たされなかった。午前6時頃、福島で大きな地震が起こったのだ。僕の住む横浜市もずいぶん揺れ、電車は遅延・運転見合わせの嵐。

嫌な予感は的中し、乗っていた成田エクスプレスは信号トラブルで止まってしまった。なかなか動き始める様子もないまま、30分、1時間、1時間半が経つ。

焦った。

ものすごく焦った。これまで何十回も飛行機を乗ったが、フライトに間に合わないかも、というのは初めてだったから。不安な中、航空会社、旅行代理店、保険会社、思いつく限りに電話を掛ける。しかしどれだけ食い下がっても、どこも冷たい反応ばかり。不安が高じて、親や彼女にも連絡をした。

必死で連絡しても、突破口が見つからない。

次の嫌な予感が胸をよぎる。

「あれ。俺、行けないんじゃね?」

2時間ほど遅れて空港に到着し、フライトには乗れないことが分かったとき、ベンチに座って徒然に想いを巡らせた。

この調査の計画は、無駄になるのかな。寝る間も惜しんでアイデアを捻り出したのも、何週間もかけて文献を読み漁ったのも、先生にボコされる度に「このくそ…」と燃えたのも。すべて無に帰すのかな。これまでの努力を思い出しながら、僕は空港で涙を流しながら強く思うことがあった。

ふざけるな。無駄にしてたまるか。

俺は行くぞ。絶対行ってやる。

「天災であろうと、電車の遅延は規約にありません」と何度言われようと、同じ番号に6回も7回も同じ要望を叫び続けた。無我夢中だった。

そして、おそらくこれが功を奏し、最終的には返金を受けて新しく旅程を買い直すことで渡航は叶うことになった。

不幸中の幸いか、変更後の航空券では、予定していた時間に目的地へ入れることになり、現地にいる会ったことのない知人が急きょ泊まれる部屋を手配してくれたのは、若干出来すぎだったようにも思う。

二つの愛を胸に いざ調査地へ。

研究に対して、ここまでアツくなれるなんて。

そんな自分の気持ちに気づけたのは、ちょっぴり誇らしく、嬉しかった。今まで、研究室のパソコンの前で、折れそうになりながらも耐え続けてきたことによって、こんな悪運に負けるか!という強いと志が、いつのまにか育っていたらしかった。

そして、不安半分に連絡した、親や彼女の応援。

様々な航空券を調べてくれたり、止まっている現在地から空港まで間に合うのか計算してくれたり、たくさん励ましてくれたりした。身近な人の。僕の本気の研究への、本気の応援だからこそ、これもまた、涙の勢いに拍車をかけた。

赤字ではあるものの、こんな素敵なことに気づけて良かった、と心底思った。研究や調査に対する覚悟がアップデートされる素敵なハプニングを経験し、ラウンジで一息つくと、僕は同日の夕方に日本を発った。

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