(七十四)子規が高く評した佐藤紅緑の俳句を味わおう

先に、子規が漱石の俳句を評した俳句を紹介したが、子規はこの他にも、明治生まれの小説家であり、俳人でもある佐藤紅緑の俳句も評している。その中で、評点は、◎〇無印、天地無印と2種類が混在している。◎や天の評点を付けた俳句の中からいくつか紹介しようと思う。
  ◎雨一日木蓮きたなくなってけり
   木蓮が汚くなるのを詠む句は珍しい。雨一日が時間の経過を表している。雨が降る前から、木蓮を見ていたのである。木蓮は紫紅色を連想するが、この木蓮の花は白色かもしれない。長雨で木蓮の清楚な白がきたなく見え、それを残念に思っている。
  ◎葉桜の雨となりけり二三日
   注に「原句、雨になりしを、子規翁“と”に改む」とある。つまり、「雨になりけり」では、本意が正しく伝わらないので、「雨となりけり」に改めたという意味である。
「雨になりけり」では、葉がすっかり落ちた後に雨が降ったように解釈出来るが、本句は雨の中次第に葉が落ちてゆくのを作者がここ二三日観察してきたのである。それを正確に表現したいがために「に」を「と」に改めたのである。子規はこの様な細部にまで気を配り、正鵠を得た修正をしている。
雨が降り、次第に桜の花が散っていき、遂には葉桜になってしまったとの意であるが、雨が降らずとも、次第に葉桜になって行くのである。雨の為に2、3日の間に次第に花が落ちて葉桜になり、花の命が短くなったのを惜しんでいる。
桜の枝から花が次第に減っていき、遂には葉桜になったのを誰しも淋しく感じた経験があると思う。降り続く雨がより寂しさを増幅している。
  ◎喜びは少し飛び得し雀の子
   雀の子が羽をばたつかせて飛ぶ練習をしている。作者はなかなか飛び得ないことにハラハラしている。そんなとき、遂に、少しだけ飛び得たのである。まだ一人前に飛ぶことはできないが、わずかの進歩を素直に喜んでいる。長い間、子雀を観察していた作者の優しい気持ちがにじみ出ている。


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