今日も言葉に救われた。言葉は私にやる気と勇気をくれる。とてもとてもありがたいし、私も言葉を大切にしていきたい。

私のとてもとても尊敬するドクターから
「プライマリヘルスケアの立場でソーシャルワークを実践している人」という紹介をしてもらった。涙出そうになるくらい、うれしかった。

まず、地域で看護師をやる、と思い立った時、
「ナースプラクティショナー」という職業(言葉)に出会った。
日本でも大学院で養成課程が始まる、かもしれない。というような時だったが、日本のNPのカタチは私にとっては「プチドクター」であるように感じた。
診療看護師、高度実践看護師という認定制度も出てきてはいるが、何かちょっと引っかかる。私は地域で、あくまでもナーシングをしたいと思っている。

次に、こちらもアメリカの言葉で「コミュニティナース」に出逢った。
それは沖縄の「公衆衛生看護師」にも通じているが、私はどちらかというとこっちかな?と思って、コミュニティナースを名乗りながら実践を続けている。

医療・介護・福祉の先輩方の実践を取り入れながら、常に「私にとって、看護とは?」を問い続けている。そして、実践して、感じて。また実践して。その繰り返し。正解は見えないし、ない。自分自身でずっと答えを出し続けなければならない。結構、孤独な作業をコツコツとしていたりする。

「プライマリヘルスケア」という言葉を改めて見てみる。

すべての人にとって健康を基本的な人権として認め、その達成の過程において住民の主体的な参加や自己決定権を保障する理念であり、そのために地域住民を主体とし、人々の最も重要なニーズに応え、問題を住民自らの力で総合的にかつ平等に解決していく方法論・アプローチでもある。

助産師までとりたい、と思っていたのもリプロダクティブ・ヘルス/ライツができるから。だと思っていたし、当時の担任の先生には「助産師になりたいけれど、分娩にはあまり興味はないのです」と言っていたが、「???」何言ってんの?という感じだった。私の根底にはここの「ライツ」の部分がとても大きく関心ごととしてある。

プライマリヘルスケアもリプロダクティブ・ヘルス/ライツも私が看護の前に学んでいた国際人権法も。「自己決定権」という概念を言っている。私が好きなのは結局、そこ、なんだと思う。

大きな大きな意味での公衆衛生をやりたいし、公衆衛生の実践をしていると自分では思っている。なんとかカタチにして、発表したい、という気持ちもある。



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