7章【5】 「周りが悪い」か、「自分に改善するところがある」か

 依存させることとは、相手の自己責任能力、内省する力を奪うことである。

 自分の悩みに対して、相手がただ、

「そうなんだ」

 と感情的なワードを入れずに返してきたら、ただその出来事があったのだということで、その後は自分の好きなように内省できる。

 相手が

「それは酷いね」

 とか、

「それは相手が悪いよ」

 と言ってきたらどうだろうか。弱っているときにはこの人は自分の気持ちを分かってくれると思うかもしれないし、調子が良いときには、聞き手が自分の話を相手に非がある方向に勝手に解釈していると判断するかもしれない。

 自分に責任の所在を求める限り、人はある状況をいかに打開すべきか、今後はどうするべきかと考えることができる。しかし、他人や環境が悪いと考え始めると、自分に責任の所在を求めなくなってしまい、出来事の中の自分の在り方を考え直すというよりも、他人や環境を責めて自分を現状のままに留めるための自己肯定をしてしまう。

 他人や環境が悪いと思うように促せば促すほど、内省する力を失って、安易に自分の味方をしてくれる他人や、自分が楽をしてうまくいく方法を探し、それに依存してしまう。

 しかし、「あなたのここが悪い」と言えば良いかというとそうではないところが難しい。悪いところを直接指摘されてしまうと、自己嫌悪になって、そのことに捉われて、かえってうまく進めなくなる。そして、より悪いところを指摘してきた人に答えを求め、依存することもある。

 悩んでいる人、弱っている人は答えを求める。できるだけ他人のせいにしたり、また自分自身を見つめずともうまくいく表層的な解決方法を教えてもらいたいと願っている。「あなたではなく周りが悪い」と言う人、アドバイスを与えてくれる人、悪いところを指摘してくれる人に依存してしまう。

 これは依存させる人間が用意周到に、そのように行っているとは限らない。依存したい人間が、他人に答えを必死に求め、求められたことに応じてしまった人間が、求めてきた人間に依存されてしまうこともある。一概にどちらが悪いとも言えないものである。

 悩みを抱えた人間は自ずと誰かに依存するべく動いてしまう。

 では、悩みを抱えた人が目の前に現れたとき、依存させず、自ら答えを見つけてもらうためにはどうすればいいのだろうか。

『あなたは、なぜ、つながれないのか:ラポールと身体知』より)

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