行ったつもりの世界遺産(※更新中)

世界遺産検定3級を5日で突破したので、次は2級を受けようと思う。

ところで、俳優の鈴木亮平さんが『行った気になる世界遺産』という本を書かれている。

世界遺産検定1級を持つ鈴木亮平さんが、行ってない世界遺産に行った体で、知識と妄想だけで旅行記を書いたエッセイである。
人は旅行に行かなくても旅行記を書けるらしい。

私も世界遺産の旅行記というか、そんな大層なものではなくとも、何かしらの記録を残したいなと思った。
世界遺産検定2級では、3級で学んだ知識も出題される。
3級で学んだ世界遺産に関する知識を忘れないために、備忘録として、行ったことのある世界遺産も行ったことのない世界遺産も、とりあえず行ったという体でここに記録します。

姫路城

デカい。
デカすぎるため、姫路駅の新幹線ホームからバッチリ見えていてかなり面白い。
姫路駅から姫路城に向かうのに迷子になる観光客はひとりもいないだろう。
随分前に、旧Twitterで「観光客に優しい姫路城」としてバズっていた。

姫路駅の展望台からの眺め

こんなに大きく見えているので、きっと姫路城と姫路駅はすぐ近くにあるだろうと思ってしまうかもしれないが、全然バスの距離である。徒歩でも行けるが、バスも通っている。

スカイツリーがデカデカと見えているからきっと近くだろうと思って徒歩で行こうとしたら全然辿りつかないのに似ている。
大きすぎる建造物は人の感覚を狂わせる。

姫路城全体の敷地の面積は233ヘクタール、と言われてもピンとこないと思うが、ディズニーリゾートよりもちょっと大きいくらいだ。とんでもなくデカい。

今でこそ日本一の名城といわれることもある姫路城だが、苦難も多かった。

明治時代の廃城令で危うく打ち壊されそうになったがなんとかなり、太平洋戦争では姫路空襲を受けるがこちらもなんとかなった。現在の姫路城周辺一体型焼け野原になっているにも関わらず、ポツンとほぼ無傷に近い状態で佇む姫路城の写真は印象的だ。

「高橋秀吉コレクション」より、空襲後の姫路城

空襲後、姫路城だけ無事建っていたため、「アメリカ人も姫路城の美しさを認め爆撃するのをやめた」ということを言う人すらいるが、これは完全に間違いである。戦後、姫路城からは不発弾が見つかっている。本当にたまたま無事で済んだのだ。

無血開城、廃城令、姫路空襲など幾多の困難に遭遇した姫路城だが、持ち前の悪運の強さでなんとか生き残り、今や日本の木造城郭建築の傑作として世界にその価値を認められるに至った。

前に何かで見た外国人から見た日本の世界遺産ランキングでは、1位の富士山に次いで2位だという。

世界遺産検定キーワード
・赤松則村 姫路城のもととなる砦を築いた
・池田輝政 姫路城築いた
・本多忠刻 姫路城の西の丸を築いた

平泉

極楽浄土ってあればいいと思いませんか?思いますよね?

現代の我々も極楽浄土を望むように、平安時代の人々ももちろん望んでいた。

とはいえ現代の我々はあまり極楽浄土を作ろうとは思わないのだが、平安時代には実際に「俺の考える最強の極楽浄土」をつくった人々がいた。
奥州藤原氏である。

京の都で繰り広げられる戦に嫌気がさした奥州藤原氏は、東北の平泉に移り、極楽浄土を体現した平泉一帯をつくりあげた。そこではいかなる争いもなく、みな平等である。貧しさも苦しみもない。

平泉で最も有名な建物といえば、なんといっても中尊寺金色堂である。
奥州の名産である金と螺鈿をふんだんに使って建てられた中尊寺金色堂は、個人的には金閣寺よりもよほど豪奢だと思う。
ただ、金色堂は現在室内に安置されており、写真を撮ることはできない。実際に訪れて金ピカのお堂に驚いてほしい。バブル時代なんて屁でもないくらいの豪勢さがある。

奥州藤原氏が平泉をつくれたのは、なんといっても金があったからだ。「かね」という意味でも「きん」という意味でも。
奥州は金が取れた。貿易で莫大な利益を得た藤原氏だからこそ、極楽浄土を体現することができたのだ。
極楽をつくるのにもお金がいるらしい。

毛越寺の庭園

この写真は実際に過去問に出てきた写真と同じアングルで撮ったものなので、検定を受ける人は見て覚えていってほしい。

世界遺産検定では出てこないが、平泉や源義経ゆかりの場所でもある。
奥州藤原氏が源頼朝から逃れて平泉に逃げた源義経を匿ったことで、平泉は滅ぼされてしまった。

平和な世界を望んでも、戦も苦しみもない極楽浄土を作っても、圧倒的な強者に外から攻められてはひとたまりもない。なぜなら外からの襲来者は平和など望んでいないからだ。
その残酷さを教えてくれるのが平泉だ。夏草や平ものどもが夢の跡というやつである。

かつての戦場。今は田んぼ

世界遺産検定キーワード
藤原清衡、藤原秀衡、藤原基衡 三代奥州藤原氏。平泉をつくり発展させる
源頼朝 平泉を滅亡させる
松尾芭蕉 『おくのほそ道』にて平泉の歌を詠む

原爆ドーム

原爆ドーム

1945年8月6日、アメリカ軍によって広島市街地に原爆が投下された。

現在「原爆ドーム」と呼ばれる建物は、もとは広島県産業奨励館であった。原子爆弾投下によって、投下当時に内部にいた人々は全員死亡したが、建物は残った。それが保存され、現在の原爆ドームとなった。

戦後、原爆ドームは打ち壊しを求める声も多かった。凄惨なトラウマを思い出させるものだからである。
しかし、最終的には原爆ドームは戦禍を後世へ語り継ぐための重要な史料として残されることが決まった。そして世界文化遺産、負の遺産として登録された。

「負の遺産」は、ユネスコにて厳密な定義がされているけではない。
しかし、戦争または人種差別の記憶をもつものが負の遺産として登録される。戦争の負の遺産として原爆ドームやアウシュヴィッツ収容所、人種差別の負の遺産としては奴隷貿易の拠点として栄えたセネガルのゴレ島などがある。

世界遺産検定キーワード
負の遺産 戦争、人種差別の記憶をもつ世界遺産
産業奨励館 原爆ドームのもととなった建物

厳島神社

厳島神社は、宮島という島にある。
宮島へは船で渡らなくてはいけない。「訪問税」がひとり100円かかる。

訪問税は、宮島の環境整備やオーバーツーリズム対策に充てられる。
古い時代につくられた遺産の多くは、オーバーツーリズムに耐えられるキャパシティを持っていない。京都やヴェネツィアなどもオーバーツーリズムに悩まされている。

船から見た厳島神社

宮島にはめっちゃ鹿がいる。
奈良の鹿ほど甘やかされてはいないので、紙袋の底を食い破ってくるような鹿はいなかった。
ただ、ベビーカーに乗った子どもが鹿に手を舐められてギャン泣きしていた。

揚げもみじ。鹿に狙われがち

厳島神社は飛鳥時代創建だが、整備したのは源頼朝である。
そのため、神社自体は寝殿造という平安時代後期に流行した造りになっている。

厳島神社の大鳥居

鳥居は両部式である。両サイドに柱が建っている。
鳥居の柱は地下に埋められておらず、自重で立っている。
色付けの方法は「古色塗り」という。外国人観光客がthe orange gateと言っており、オレンジ?オレンジか?と思っていたが実物を見たら確かにオレンジに見える。朱色ってオレンジに見えるらしい。

世界遺産検定キーワード
オーバーツーリズム 観光地に観光客が来すぎること
両部式 厳島神社大鳥居の様式
古色塗り 厳島神社の塗装技法

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?