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【活版】オランダを代表する書体を作った人の話ー1

トーマスさんが来日中に行ったレクチャーのテーマでもあった、
ブラム デドーズというオランダの活字デザイナーの話が
とても面白かったので、すこしご紹介。

ブラム デドーズ(Bram de DOES)は1934年アムステルダムで印刷工の家に生まれる。
彼は印刷の技術高等学校を卒業すると、1958年に、当時世界的に名を知られた出版社でもあり印刷会社でもあったヨハン・エシェデアンゾーネンにアシスタント タイポグラフィカル アドバイザー、今のアシスタントグラフィックデザイナーとして就職する。

やがて彼はアートディレクターとして、さまざまな書籍や多くの企業のアニュアルレポートなどのデザインから制作までを監督するようになる。

デドーズは、いつも非常に細かくデザインの指示を出すので、文字組み担当人たちから冗談で‘Puntje erin, puntje eruit’ (1ポイント足して、1ポイント引く デザイナー).と呼ばれていた。

ここで、彼は非常に重要なプロジェクトを手がけることになる。
1908年に出版された「文字キャラクターのファンドリー」の復刻版とも言える、「オランダのタイプファンドリー」の出版が決まり、彼がその制作のアートディレクターに指名されたのだ。

彼のこだわりはここでも徹底していて、書籍で使う全ての文字サンプルは、1908年に初版が出版された当時のオリジナル活字で印刷され、足りなかったいくつかの文字は、この書籍のためだけに新たに鋳造させた。こうして1978年「オランダのタイプファンドリー」が出版される。
そして、この本を最後に、手で文字組みした版を用いた活版印刷から、写植印刷へと移り変わっていくことになる。

印刷技術が文字を組んで印刷する活版印刷から写植印刷へと移行すると、デドーズは大きな問題にぶちあたることになる。
デドーズが大好きだったローマン書体がそのままでは使えないのだ。
ローマン書体は1930年に生まれた歴史ある書体ではあるが、サイズごとに微細な調整を加えて使用することを前提につくられており、1つの書体マスターを異なるサイズで機械的に展開すると、時として字間がつまったように見えてしまうのだ。
印刷工が丁寧に一文字一文字調整しながら印刷する活版印刷であれば問題のなかったことが、技術革新とともにうまれた機械による印刷では大きな課題となってしまったのだ。

そこで、デドーズは、次々と技術革新が進む写植機のためにローマン書体にかわる新たな書体作りを手がけることとなる。
そして1979から3年の月日をかけて開発した新しい書体Trinitéを発表する。こうして、アートディレクダーだったデドーズは、書体デザイナーとしての第一歩を記すことになる。

Trinitéは、そのアセンダー(小文字の飛び出た部分)とディセンダー(小文字の下がった部分)の長さの違いで3種類のバージョンがあったり、合字や文字飾りの少なさから大文字への転換が簡単な書体として、広くうけいれられることとなる。

その後も彼は、新しい技術に対応し、デジタルでもより線が美しく表示できるポストスクリプト書体として、その書体デザインを改良しつづけた。その結果、Trinitéはオランダのブックデザインでもっとも好まれる書体となった。

非常な成功を収めたTrinité書体であったが、実は辞書のような細かな出版物ではやや読みにくいという難点があった。そこで、デドーズは新しく出版されるオランダ語辞書のための全く新しい書体を考案することになる。
そうして、3年の月日をかけて開発され、1992年にオランダ語の辞書に採用された書体がLEXICONである。この書体はその読みやすさから、オランダの大手新聞にも採用されることとなる。

デドーズは2015年12月に他界したが、彼の書体への深い情熱は今も見ることができる。
Trinitéの初期のドローイングはハーグのメアマンノ美術館に、LEXICONの初期のドローイングはアムステルダムの大学図書館に、現在もそれぞれ大切に所蔵されている。

彼のような文字の美しさへの、徹底したこだわりと熱意と何年にもわたる努力があってはじめて、今も広くつかわれている書体が生まれてきたんだということに、あらためて気付かされたレクチャーだった。
もし、ご興味のある方があれば、ぜひオランダを一度訪ねてみてはいかがだろう?

さて、次の記事では、デドーズが生涯かけて取り組んだあるプロジェクトについて書こうと思う。






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