「」
コンピュータはゼロとイチの信号のみで動いてるということを知った時、人間も同じなのではないかとふと思った。
痛い、痛くない
眠い、眠くない
空腹、満腹
あらゆる言葉に対義語があることがこれを証明していると言ってもいいだろう。
私はあまりにも寒すぎて目を覚まざざるを得なかった今日そのことに気がついた。
同じ季節を何度も繰り返すことで、
色んな事に気づく。
それと同時に過去に発見した気づきを忘れてしまっている気がする。
クーラーのリモコンを消して、昨日買ったグラスにコーヒーのポーションと牛乳を入れる。
夏の夜は蒸し暑く、クーラーが欠かせないが
朝目を覚ます頃には身体は冷え切り、喉を痛めるであろうことは過去何度も気付かされたことである事を昨夜は忘れていた。
きっと私の頭は、保存できる気づきの量がオーバーすると一粒のポップコーンのように弾け飛ぶようにできているのだ。
これも容量がマックスではないというゼロの状態と許容を超えたイチの状態が上手く組み込みされているように感じる。
コンピュータも人間もゼロとイチで構成されているからか、どちらも曖昧を嫌う。
そして何につけても名前をつけたがる。
私は曖昧が好きだ。
何故なのかを考えるのは曖昧が好きという
根底を覆してしまうのが怖くて考えるのを辞めた。
気づいた時には、一人称に自分の性別が分かるようなものを使うことを辞めていた。
トイレも自宅でしか使わないようにしている。
外のトイレは男女が明確に分けられているからだ。
自分が持っている全ての属性をない事に
したいと思っていたら、こんな事になっていた。
グラスに入ったコーヒーとミルクを混ぜた物を一口飲み、もう一度ベッドに潜り込む。
身体にほんの少し汗を滲ませながら
横たわると頭は起きているが、身体は起きていない。
閉じているノートパソコンみたいだと思いながら身体から光を遮断した。
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