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イスラエルのドラマ「Fauda」を見た(2)

 「Fauda」とはアラビア語で「混乱」の意味で、ネットフリックスで配信されているイスラエルが制作したドラマである。私は2018年にシーズン2までの感想を書いたが、今はシーズン4の撮影が行われているらしい。物語は、イスラエルの特殊部隊でアラビア語を話すチームがパレスチナに潜入し、そこで知り合った人々と様々な関係を結ぶというものである。
 それまでは「敵」としか認識していなかった人々も自分たちと同じ人間であり、彼らにも守るべき日常があり、愛し合ったり憎しみ合ったり、個人の感情が政治に押しつぶされたりしながら生きているということを、イスラエルのみならずパレスチナやアラブ社会に住む人々にもヴィヴィッドに伝えた娯楽作品として、画期的なドラマであった。

 シーズン4を楽しみにしながら、私がこのドラマのことを思い出したのは、最近ネットフリックスで配信されている韓国ドラマ「愛の不時着」を見たからであった。(以下ぼんやりとしたネタバレがあります)。

 このドラマでは、北朝鮮にたまたま事故で入り込んでしまった韓国人女性が、いわゆる「敵」とされる地に住む人々の生活に触れ、そのカルチャーギャップにとまどいながらも豊かな関係を互いに結んでいく様子が、韓国ドラマがこれまで培ってきた手法を全て用いつつ(時にはそれを戯画化しつつ)コミカルかつ感動的に描かれている。

 「ファウダ」のシーズン1、2においても、イスラエル人とパレスチナ人との恋愛関係が描かれていたが、それは悲劇的結末を迎えた。「愛の不時着」における韓国人と北朝鮮人の恋愛は、ファンタジー的ではあるが、ある意味ハッピーエンドに帰着する(帰着しないカップルも存在するが)。私はこの両方のドラマを見ながら、「愛の不時着」の場合は悲劇的結末は考えられない一方で、「ファウダ」のカップルがもしハッピーエンドを迎えていたら、「それはないだろう」という、かなりのフラストレーションが視聴者に残っただろうと感じた。

 この差はどこから来るのか。韓国と北朝鮮は、そうはいっても互いに理解可能な同じ言語を話し、文化を共有し、親族関係があるからか。韓国ドラマの「文法」が、ファンタジー的解決を許容する心性を視聴者に育てて来たからか。韓国と北朝鮮の場合は、たとえば対日本のスポーツ試合で日本という共通の「敵」が設定されるや、容易に連帯できるからか。

 私自身まだ答えが出ないのだが、きわめて良質で、しかも楽しみながら見られるこれらのドラマを比較しながら見るのはたいへん興味深い体験だった。

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