シモン・ペレスの葬儀雑感(2016年9月30日記)

イスラエルの元首相、元大統領、ノーベル平和賞受賞者であるシモン・ペレスが93歳で亡くなり、今日(2016年9月30日)エルサレムで葬儀が行われた。米国からはオバマ現大統領、クリントン(夫)など、英国はチャールズ皇太子、パレスチナからアッバス議長、フランスのオランド大統領など各国首脳が参列。一方でハマスはペレスの死を喜び、イスラエルに対する攻撃を呼び掛けているためもあって、エルサレムは今なお厳戒体制が敷かれている。葬儀の席で各国首脳による外交が行われているなか、日本の外務省のHPには、「我が国からは,深い哀悼の意を示すため,中谷元日本イスラエル友好議員連盟会長が総理特使として同葬儀に参列します」と書かれている。日本の世論では、日本とイスラエルが接近しすぎていると考える向きもあるようだが、これを見るかぎり、日本にとってイスラエルとの関係及び中東和平外交はさほど重視されていないようなので、まずは安心してもいいだろう;-)。

弔辞を述べたのは、リブリン現イスラエル大統領、ネタニヤフ首相、ビル・クリントンなどだが、ネタニヤフの弔辞は、(私はネタニヤフという人が、特にあの嘘っぽいスマイルがどうしても好きになれないのだけれど)、ある意味で彼のしたたかさを示すものであった。

ネタニヤフは、まず自分とペレスは政敵であり、多くの点で意見が合わなかった(みんな知ってるよ!)と述べ、それでも数年前には、一種の友人関係になれたという。ネタニヤフはある夜、ペレスとエンテベ空港奇襲作戦について語り(その作戦にGoサインを出したのは、故ラビン首相とその政権にいたペレス、そしてネタニヤフの兄はその作戦で戦死した)、またセキュリティと平和の関係についても長く議論を交わしたという。当然ペレスは「平和こそがセキュリティの基礎だ」と言い、ネタニヤフは「セキュリティなしに平和はない」という立場を崩さなかった。この混沌とした中東の地においては、強いものが勝つという原則が貫かれており、セキュリティなしに平和はない、というのがネタニヤフにとっては譲れない一線であった。しかし議論が深まるにつれ、二人のあいだには奇妙な理解と合意、自分たちは結局同じことを言っているのだと感じる瞬間が訪れたのだという。まあそういうのはネタニヤフのレトリックにすぎず、また意見を全く異にする陣営の人にとっては、ペレスもネタニヤフも同じ穴の貉のシオニストに過ぎないのだろうけれど、戦争と兵役というものが自身の人生に深く関わっているこの地の人々の関係性においては、政敵といえども、ある種ののっぴきならない、一種の敬意を含むような個人的な関係に至り得るのかもしれない、それはおそらく外からは見えないものかも、と思った。

また作家アモス・オズが、ペレスの遺言によって、弔辞を述べた。要はイスラエルとパレスチナの共存しかない、というものである。アモス・オズとペレスは、毎週金曜日の午後5時に、必ず電話で話したのだという。オズは慎重に「二つの国家」という表現を避け、つながった二軒の家(訳が難しいのだけれど、税金や建蔽率で有利になるため、一つの壁-壁でなくてただ屋根が何メートルかつながっているだけでいい‐を共有した二軒の家の建て方がこちらにはあるのです。日本の二世帯住宅とはかなり違うコンセプトで、まったく他人どうしの二軒の家の屋根どうしがつながっている、うちとお隣もそうです)という言葉を使っていた。オズは昔から、国民国家というシステムの限界にきわめて意識的だったので、納得の言葉遣いであった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?