靴の器@ネタニヤフ首相官邸

この連休中に中東を駆け足で訪問した安倍首相夫妻との夕食会で、イスラエルのネタニヤフ首相官邸で供された靴の器が、イスラエルのSNSやメディアで炎上している。あまり日本人の生の声が聞こえてこないようなので、私の雑感を記しておきたい。

靴を、しかも畳の上に置いた靴を、日本からの重要なゲストとの夕食のテーブルに器として供するというのは、まあだれが見てもリスキーというか、悪趣味と取る人が出てくるのは確実だと思う。

SNS上ではイスラエル人の多くが、これを失礼だと批判しているのだが、それは当然だと思う。その一方で私がこれを一方的に失礼だ批判できないのは、個人の見解ですが、以下の理由である。

まず他文化というのはなかなか自分の判断力からは知りえない領域があるのであり、日本文化から見てとんでもなかったとしても、その文化においては何か意味があるのかもしれない、という文化相対主義的な観点。そして文化の爛熟期においては、最先端を求めるあまりぐるぐるし過ぎて、結果スベってしまうことがままあるということを自国での過去の苦い経験からわかっているという点。そして、あまりにも日本文化における靴の忌避ということを強調されすぎると、いやそこまで日本が靴の捉え方において独自なのか?それはそうかもしれないけれど、それは今後とも維持していくべきものなのか?ともやもやしてしまう点。最後にこれは本当に個人の見解ですが、イスラエルでは他にもっと不愉快なことがあったので、悪意がないなら靴の形の器ぐらいならさほど怒ることもないんじゃないかと思ってしまう点。

さらに、ネタニヤフ批判をする日本の人々は、概して安倍首相にも批判的なので、ここでネタニヤフ批判に加担するということは、なんだか安倍首相の尊厳が汚されたと言っているような具合になり、ひいては安倍首相やその近辺の人々が言う「美しい日本」を守るみたいな立ち位置になってしまうのが、もやるのではないか。

そしてこれは純粋に歴史的関心なのですが、靴と食物の組み合わせがNGなのに、なぜサンタの長靴に入ったお菓子セットは世界中で受け入れられるようになったのか。サンタの長靴のお菓子の広がりと受容について調べてみたい。


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