イスラエルのドラマ「Fauda」を見た

最近シーズン2のテレビ放映がが終わったイスラエルのドラマ「Fauda」について、多くの人が周囲で見ているし、メモしておきたい。私がこのドラマを遅ればせながら見始めたのは、昨年(2017年)大晦日に二期の放映が始まった後、それまではアラビア語を聞くと身構えていたイスラエルのフツウのティーンエージャーが、このドラマのおかげでアラビア語はかっこいいと思い始めたというウワサを聞いたからだ。実際このドラマで話される言語はほとんどがアラビア語で、それにヘブライ語の字幕がつくという異例の仕様である。一期のストーリーはWikiでも出ているので、だいたいのことは分かります。基本は、イスラエル軍の特殊部隊で、アラビア語を話し、アラブ人に変装する人々が西岸地域に潜入し、一期ではハマスと、二期ではそれに加えてISと対峙するうちに、多くの命が失われ、またロマンスや家族愛、複雑な感情の揺らぎ、アイデンティティへの疑問などが生起する。

このドラマの一期はテレビ放映後ネットフリックスで配信されたため世界市場で視聴され、BBCワシントンポストでも評判で、NYTでは2017年度のドラマベスト10に選ばれている。Newsweekはトランプ大統領に視聴を勧めている。

またハマスのWebsiteでは「イスラエルのプロパガンダだから見てはならない」という記載と共に1話のYoutubeのURLが貼られており、結果的に立場を異にする多くの人が引き込まれて見ていることが明らかになった。創作者で主演のリオル・ラズもインタビューで、エルサレム近郊に住む右派の宗教派イスラエル人女性が、これを見て初めてパレスチナ側の人に共感したと自分に言ったし、またアラブ諸国から来たファンレターには、生まれて初めてイスラエル人に人間としてシンパシーを感じたとあったと語っている。
もちろんイスラエル人が書いたものでイスラエル目線だから、中立な視点で書かれているというわけではない。パレスチナ人を演じるのは主としてイスラエル国籍をもつアラブ人の俳優だが、脚本で「こうは言わない」「こうは考えない」というところがあると、彼らの意見を入れてその場で書き直したそうだ。

私は「あるある、これ、あり得るよ」というあまりの臨場感に引き込まれると同時に、見ているのがツラくなった。パレスチナ側、イスラエル側といった立場を問わず、どの登場人物にもその行動に至るまでの切実な個人的、かつ社会的な事情があり、また目まぐるしく展開する状況の中でのきわめて私的で微妙な感情や決断がある。どちらかを称揚したり貶めたりするのではなく、登場するだれにでも感情移入ができる構造になっていると私は思いました。ネット上の感想を読んでいると「登場人物のだれもが病んでおり、だれにも感情移入できない」というのがあって、ああ私も病んでいる側なのか、とも思ったけれど。イスラエル人が仕事とはいえアラビア語を話し、彼らのうちに入り込むうちに次第に自分の本来のアイデンティティが揺らいでくる。この長年の争いの末、双方が実は互いを映し出す鏡像になっているということが明らかになる。性的に抑制がきいたパレスチナの文化と、比較的奔放にだれとでも関係するイスラエルの文化の対比においても、どちらが上か下かということではなく、どちらにもそれなりの苦悩と喜びがあることもうまく表現されており、レベルが高い。

もちろんこのドラマを見たからといって、何か政治的に事態が好転するわけではないが、大部分においてアラビア語で話しており、個々のパレスチナ人の状況にこれほどまでに感情移入できるドラマが、イスラエルのごくフツウの人々のあいだで、しかも娯楽作品としてヒットしたというのは、画期的な事態だと思う。意識高い人がシネマテックに見に行く文芸作品ではなく、一般の人がテレビにくぎ付けになるレベルでのヒットなのです。今私たちが生きている世界がどういうものなのかが、ひしひしと感得せられた。

しかし二期のネットフリックスでの配信が近づいてきたここにきて、やっぱり出てきたボイコット運動

イスラエルの製品、イスラエル国防軍にいた人間が作ったものは何であれ、世界に流通してはならないというポリシーが世の中にはある。いやでもしかし、このドラマをボイコットしても、事態の好転には一ミリも寄与しない。もちろんイスラエル視点であるのは間違いないが、結果的に多くの人が反対陣営に感情的なシンパシーを抱くのに役立っているのだから、今ここでそれを止めるべきではない。「ファウダ」二期のネットフリックス配信を止めてはならない。

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