古代イスラエルにおけるレビびと像「はじめに」

最近報道されている日本における一連の令和への移行への行事を見ていて、自分がずっと抱いてきた関心を改めて明確にしておいたほうがいいという気がしたので、今さらですが私の博士論文の「はじめに」をここに公開しておきます。

はじめに
 本書は、1995年3月国際基督教大学大学院比較文化研究科に提出した博士論文、「古代イスラエルにおけるレビびと像」の全文である。この論文により、 筆者は同年6月に博士(学術)の学位を授与された。
 「古代イスラエルにおけるレビびと」は、筆奢が修士論文から継続して取り組んできたテーマである。レビびとは、イスラエル史において極めて重要な役割を果たしたと言われながら、その詳細については今日まで殆ど不明だとされてきた。レビびとのヤハウェ祭司としての正当性は旧約聖書において繰り返し主張されているが、彼らは第二神殿時代には祭儀執行権を持つ祭司とは区別された補助役としての下級祭司としての職務に就いていた。しかし彼らの起源が何であったのか、ヤハウィズムの初期における彼らの役割、またその結合の基盤が何であったのかに関しては殆ど分かっていない。何らかの形で彼らの初期のありようを伝えると思われる旧約聖書の叙述において、彼らの姿は矛盾に満ちている。彼らは家族紐帯から離脱して土地所有を行わず、ヤハウェやモーセ の意志を実行するヤハウィズムの担い手として肯定的に描かれる一方で、その 暴力と怒りの激しさ故に四散させられる呪われた存在として否定的に描かれているからである。レビびとの研究史をたどってみると、なるほど多くの研究者が、このように錯綜し、互いに矛盾する旧約聖書の叙述の背後に、史実としてあり得たレビびと像を可能な限り正確に想定しようとしてきた。だがそのような試みは、それを誠実に行おうとすればするほど確実なことは何も言えないという結論をもたらし続けて来たのである。そしてまた皮肉なことに、毀誉褒贬の錯綜するレビびとに対するこのような記述が、レビびとを旧約聖書におけるきわめて魅力的なフィギュアにしているのも確かなのであった。
 筆者もまた当初は史実としてあり得たレビびとの姿を通時的に追跡しようとしていたのだが、レビびとに対する叙述の矛盾はレビびとの社会的地位の変遷のみを考察対象としていたのでは解決できないこと、レビびとを位置づける側がレビびとに注ぐこの複雑な視線の意味の解明が必要なこと、そしてその上でレビびととレビびとを位置づける側の関係およびあり得た史実としてのレビびとの姿の通時的変遷を考えるべきであることに思い至った。故に、本書で考察の対象とされるのは、史実としてあり得た「レビびとの実体」のみではなく、 旧約聖書テキストにおいて表出されてきた「レビびと像」なのである。旧約聖書の「レビびと像」に共通して見られる特徴として本書で'挙げられる、祝福と呪い、ヤハウェとの特別な関係と暴力の行使、兄弟殺しに代表される紐帯離脱と新たな兄弟関係の創出、秩序の維持と混乱、厳格な処罰遂行者あるいは教師としての役割と滑稽な表象といったレビびとの両義的性格は、こうして抽出さ れた。このような視点から考察すると、レビびとに関する表現の様々な矛盾は、まさにその両義性故にレビびとを特徴づける重要な性格として積極的に意義づけられるのである。
 また一方で、この論題を考察する筆者の関心の底流には、「肯定と否定の両極をもつ表象で語られ、畏怖と蔑視の対象とされたレビびとのようなグループが、なぜイスラエルにおいては共同体にとって不可欠の存在として位置づけられたのか」という問いがあった。旧約聖書の叙述において、レビびとは確かに畏怖と蔑視の対象とされているのだが、レビびとを位置づける側の彼らに対する姿勢は決して排除するもののそれではない。ときにはユーモラスに、ときには揶揄の対象として描かれるレビびとは、前述したようにその両義性故にある意味で魅力的なのである。さらにこうした視座が生じた背景には、「なぜその一方で、聖なるものを囲い込み、賤なるものを贬めて、その双方を分割したまま共同体の外側に位置づけようとするメンタリティが存在するのか」という(たとえばわが国の近世のような)社会構造に対する問いがあった。言い換えれば、筆者は畏怖と蔑視の差別構造を固定化しないメンタリティの確立のひとつの本源を明らかにしたかったのである。この問いに対する仮説的な応答を筆者は古代イスラエル人の自らの歴史に対する認識に求めた。即ち、彼らはレビびとに対して畏怖と蔑視の対象としての両義性を一方的に付与するだけでなく、レビびとのありようの内にイスラエル自身の歴史的な姿を見出し、揶揄の対象としつつも自らの共同体にとって不可欠のものと認識したと想定するのである。
 本書の構想はこのようにして組み立てられたわけだが、執筆過程の様々な局面において、筆者は幸運にもこのような問題意識に多大な理解を示してくださる多くの指導者、友人に恵まれた。中でも、筆者が旧約聖書学に関心を抱き始めて以来ほぼ15年に互り指導教授としての役割を続け学位論文の完成まで忍耐強く励ましてくださった主査の並木浩一教授、またこの拙い論文を綿密に審査し、様々な機会に貴重な助言を賜った副査の鈴木佳秀教授(新潟大学)、川島重成教授、小泉仰敎授、古屋安雄教授にまず感謝の言葉を申し述べたい。さらに本書は国際基督教大学比較文化叢書の第3巻として出版されるのだが、この ような学位論文の出版に意欲的に取り組む国際基督敎大学比較文化研究会の会員の方々にも深く感謝する。専門分野を越えた自由な議論を尊重する比較文化研究会の種々の活動に関わることがなければ、筆者は今日まで学問を継続し得なかったであろう。とりわけ実際の編集作業に当たってくださった1995年度博士論文出版委員会の方々には、本書にかなりの量のへブライ語が含まれているのに加え、筆者がイスラエル在住ということで、大変迷惑をおかけした。同様の理由で、主査の並木浩一教授およびキリスト教と文化研究所助手の高木久夫氏には、出版作業の全過程を通して並大抵ではない助力と配慮を賜った。こうした方々の尽力なしには、本書の出版は不可能であった。心から感謝したい。
 最後に、筆者の論文執筆中日常的な側面で協力してくれた(恐らくはレビびとの末裔であろう)夫のラン・レビィと2人の子どもたちにも感謝を捧げた い。「レビびと」というテーマに取り組み始めた当初は想像すらしなかったことだが、偶然が重なり筆者はいつのまにかレビィという姓をもつ家族の一員としてへブライ語を日常語としながら暮らすことになった。このため、離散していたユダヤ人が再び国家という社会基盤を手に入れたが故に直面する様々な問題を目の当たりにしながら、自己のアイデンティティの確立と差別の構造、また日常倫理の維持と暴力の行使に深く関わるこのテーマについて筆を進める機会を得た。確かにこのような環境が古代イスラエル史に対する筆者の関心のありかたに影響を与えたことは否定できない。そして日本においては外国人の家族を持つ日本人、イスラエルにおいてはイスラエル市民権を持つ非ユダヤ人という形で、二つの全く異なる社会の双方において「異人」として生きる機会を与えられた筆者は、古代イスラエルにおけるレビびと像が提起する問題は時代や民族を問わず全人類が様々な生の営みの場面において普遍的に取り組んでき たテーマのひとつであるとの感を改めて深くしている。
 本書における考察が、旧約聖書学の発展のみならず、現在なお世界中の社会で多様な形で継起している差別の固定化、あるいは不幸な暴力の発露を阻む手掛かりとして僅かなりとも有益であることを願ってやまない。
                      1996年1月  山森みか



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