過去メモ「ラビン暗殺20年」(2015年10月25日記)

イツハク・ラビンがテルアビブでの平和大会出席直後、極右ユダヤ青年に暗殺されて、20年が経つ。西暦では1995年11月4日だが、ユダヤ暦では今年は今日に当たる。

もうそんなことを言っても若い人たちは記憶にないのだろうけれど、1993年のオスロ合意後、イスラエルの人々は本当に希望に溢れていた。だれもが平和の夢を見ていた。1995年のラビン暗殺はショックだったけれど、2000年の第二次インティファーダ勃発までは、まだ希望があった。明るい時代だった。

ラビン暗殺について、ひとつだけ言っておきたいのは、暗殺の前に、イスラエルの右派勢力(ネタニヤフ現首相を含む)が、ラビンの「葬式」行進をしていたことである。彼らはラビンの平和路線はイスラエルに死をもたらすとして、ラビンの棺に見立てた箱と共に、デモをしていたのである。そして、現実に過激派ユダヤ人によって起きたラビン暗殺。それ以後イスラエルでは、その種の「葬式デモ」はどのような政治的立場においても自粛されるようになった。

どれほど自分の政治的主張が正しいと思っても、過激な言葉、過激な表現で対立者を罵倒し、人々を煽ることは、だれかの思わぬ行動を引き起こすことがある。だからと言って表現の自由を制限すべきだとも思わないが、過激な言葉や表現の濫用には、本当に気をつけたほうがいいと思うよ。

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