Netta@Eurovision2018

毎年欧州を中心に根強い人気を集めているユーロビジョンというけっこうローカルな歌のコンテスト、優勝国が持ち回りでホストになるのだが、今年はリスボンで行われ、前評判通りイスラエルのネッタ・バルジライが歌う”Toy"が優勝した。
国ごとに代表を送り込むという素朴なナショナリズム高揚番組というのはそのとおりなのだが、国柄というか今げんざいのその国の文化背景がうかがい知れるので、けっこうおもしろい。かのひろゆき氏もツイートしていた。
審査は、審査員による投票と一般投票が半分ずつ。審査員の点は、自国以外の国に点を配分する。一般投票はだれにでも開放されており、数十円払えば電話投票できるのだが、自分の居住国の代表には票が入れられない。いろいろと政治的な思惑が入る投票システムなので、まあ順位はさほど気にせず、ひろゆき氏が言うようにパフォーマンスの地域的特性を楽しむのが吉のイベントである。

私は、事前の評判では今年はイスラエルが優勢と言われていたのだが(ネット時代の今は事前に多くの人がYoutubeなどで映像を見て判断している)、今この時期に、つまりアメリカ大使館がエルサレムに移転する直前という微妙な時期に、イスラエルが優勝するとは思っていなかった。以前イスラエルが優勝したのは1998年であり、そのときは今の言葉でいえば多分MtFのダナ・インターナショナルが代表であった。それは2000年の第二次インティファーダ勃発前、まだイスラエルとパレスチナの和平合意が有効で、パレスチナ国家設立目前と信じられていた時期であった。優勝が決まったとき、イスラエル市民が「平和が勝った!」と叫んで、今はなきディーゼンゴフ広場の噴水に飛び込んでいたのを覚えている。だが私の予想を裏切り、審査員の点数が出た時点ではネッタは3位だったが、一般投票で2位のキプロスを大きく引き離して圧倒的な優勝を飾った。これまでは、イスラエルという国の政治状況が順位に大きな影響を与えていたのだけれど、今回、もはやそういう時代は終わったのかもしれないという感想をもった。もちろんSNSには、イスラエルを優勝させるというのはパレスチナでの虐殺を肯定することだという意見と刺激的な画像があいかわらず流れているのだが、それとはまた別にネッタの個人的メッセージに応えた、国や民族に関係ない投票が多かったと報道されている。

優勝が決まった瞬間は、真夜中だけれど私のSNSのTLは狂喜乱舞。テルアビブのラビン広場では噴水に飛び込んで踊る人多数。しかし今回は「平和」が勝ったのではなく、ダイバーシティが勝ったのだろう。ネッタの曲のメッセージは、一貫して「I'm not your toy(私はあなたのおもちゃじゃない)」であり、ヘブライ語でアニー・ロー・ブバー(私は人形ではない)という言葉も入っている。ダイバーシティと言えば、肌の色が黒いオーストリア代表もかなり票を集めて3位であった。

ネッタはセミファイナル後のBBCのインタビューに答えて、一般的な美の基準からかけ離れている自分自身をそのまま肯定し、自信を持つことの意味について語り、また優勝後のインタビューでも「順位は関係ない、ユーロビジョンという場所でそれぞれのパフォーマーがそれぞれの文化を示したということ自体に意味があるのだ」と強調した。出身高校を訪問する番組で、当時の先生と彼女が学校時代の孤独について語っているのを見ると、ネッタはいつも友だちを作ろうとするのだけれど、そして周囲も決して彼女を排除しているわけではないのだけれど、彼女にはどうしても真の友人というのはできなくて、常に孤独で異質だったらしい。そしてネッタは、もっと大人になってからようやく自分のやりたいことを通じて親しい人が周囲にできるようになった、そして全世界の自分が異質だと感じている子どもたちに自分のような人間がいるということを示せただけで、自分にとっては勝利だ言っていて、本当にいろいろ経てきた人なのだと思った。

彼女はイスラエルのスタ誕的な番組でごく最近出てきた人で、若い人たちの間ではとても話題だったのだけれど、私は最初見た時はよく理解できなかった。何度か見ているうちに、ようやくこの人は本物だと思うようになった。それは番組の審査員たちもそうだったようで、最初は批判的だった審査員たちが「これはどう解釈していいのか」「今自分はどこにいるんだ、未来か、未来にいるのか」というとまどいを見せながら、その才能を認めるしかないという状況になっていったのがよくわかる。
http://www.youtube.com/watch?v=I4h5AZDScq4

ユーロビジョン本番ではキモノ風の衣装で力強く歌うヴァージョンが演じられたが、リスボンの記者会見で披露されたアコースティックヴァージョンも、たいへんいい。
http://www.youtube.com/watch?v=izRFSEkIYl0

で、政治とは関係ないダイバーシティというメッセージの勝利だと思っていたのだが、その後ネッタは日本文化を盗用しているという批判が一部で上がっているらしい。文化の盗用というには盗用されていると感じている当事者がいるはずだし、いるとすればそれはまずネッタと同じイスラエル社会に住んでいる日本人である可能性が高いと思うのだが、私はまったくそうは感じていない。キモノ風スタイルにせよ、招き猫にせよ、歌詞のピカチュウにせよ、イスラエルの若い世代がいかにアニメその他の日本のポップカルチャーと共に育ち、それを内面化し、自由にそのようなアイテムを使って表現活動を行うようになったかの表れであり、このような力強いメッセージの発信に日本文化のアイテムが取り入れられていることを、喜びこそすれ、被害を受けているとは一ミリも感じられない。もうそういうくだらない揚げ足取りのような批判はやめたほうがいいんじゃないか。

私は「私は人形じゃない」と子どもたちが口ずさみ、大人の男たちもノリノリで「I'm not your toy, not your toy. You stupid boy, stupid boy‼」と歌いまくる社会に生きていられてよかったと思います。


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