「ユダヤ人」をめぐる議論と相対化の試み ――いまイスラエルで語られていること

山森みか  
初出『福音と世界』2017年11月号

イスラエル国のいま
 私がイスラエル(以下イスラエルとは現在のイスラエル国を指す)に住み始めてから約二五年経つが、その間にイスラエルと日本の関係は大きく変化した。イスラエルの若者にとってバブル期の日本はお金を稼ぎに行く場所であり、安全で豊かな国であった。しかし二〇一四年の日本の一人当たり名目国内総生産(GDP)は経済協力開発機構(OECD)に加盟する三四カ国中二〇位で、一九位のイスラエルに追い越された。それは私も実感しており、日本に行くたびに物価が安いと思うし、今ではイスラエルの若者が自国で稼いだお金を日本に消費しに行くようになっている。学生が従事しているカフェの給仕アルバイトでも、チップ収入があるので時給一五〇〇―二〇〇〇円ぐらいはもらえるのである。かつては紛争が激化するたびに観光客が激減し、経済状況が悪化して国民生活を圧迫していたイスラエルが、今では政治状況にかかわらず、ある程度安定した経済発展を続けているという事実に驚かされる。
 また最近の日本の報道を読むと、その論調が大きく変わったのにも気づく。かつて日本でイスラエルのことが報道されるのは、紛争が激化したときだけであった。しかし今はイスラエルがセキュリティ関連を中心にスタートアップの会社が多くあるイノベーション大国なのに、日本が他国に比べてイスラエルに注目してこなかったことが指摘され、ひいてはそのベンチャー精神の源は、直接的には皆兵制度、とりわけ情報部のエリート部隊選抜と訓練、間接的には聖書やタルムードに基づいたユダヤ式教育にあるのだという分析がしきりになされている。実際日イ両国間の経済発展を進める投資協定交渉が二〇一五年末に合意されてからは、多くの日本のビジネス関係者が頻繁にイスラエルを訪れるようになり、イスラエルに来る日本人は宗教か紛争に興味がある人ばかり、というこれまでの状況が一変した。
 日本からのイスラエルに対するこのような視線の変化は、いちがいに間違いとも言えないわけだが、一方で別の意味でのステレオタイプなイスラエル観へとつながるのではないかという危惧もある。私個人は、紛争解決には何の貢献にもならないむやみなイスラエルの怪物化やイスラエル・ボイコット運動には反対であり、日イ両国の経済的協力関係は好ましいと考える立場にあるが、それでも「ユダヤ最強説」といった記事の見出しやビジネス関係者たちの「イスラエル詣で」にはとまどっている。それはたとえば「国民皆兵」という言葉から日本人が抱くイメージと、イスラエルで実際に運用されている制度の内実がかけ離れているため、認識のずれが蓄積されていくのではないかという懸念等にも基づいている。
 本稿では、イスラエルで何がいま議論されているのかを、なるべくわかりやすく述べてみたい。

シュロモー・サンド――ユダヤ人であることから降りる
 私は以前本誌に、歴史学者のシュロモ―・サンド著『ユダヤ人の起源――歴史はどのように創作されたのか――』(高橋武智監訳、浩気社、二〇一〇年)の書評を寄稿したことがある(二〇一一年四月号)。その号は「隔ての壁――パレスチナ・イスラエルの今」という特集だったが、私はサンドの意図がいまひとつ掴めなかったこともあって、幾分あいまいな書き方をしてしまった。今ここで、サンドの新著で明らかになった主張を踏まえて改めて説明しておきたい。
 『ユダヤ人の起源』におけるサンドの論点は、現在のユダヤ人全体に共通する日常的文化も遺伝子も存在しないということから、イスラエル建国と維持に大いに利用されてきた「ユダヤ人」というネイションの神話を脱構築し、それに代わる相対的な物語、新しい種類の記憶の接ぎ木を創出しようというものであった。具体的には、イスラエルはユダヤ人であればだれでも国籍を取得できるという帰還法を廃し、今そこに住むすべての市民を平等な構成員とする民主主義国家になるべきだという結論であった。
 このサンドの主張を読んだとき、私はそのヴィジョンがあまりにも国民国家という、「ユダヤ人」神話とは別種の仮構に依拠しすぎているという懸念を抱いた。国民国家を個人の唯一の帰属意識の拠り所とするとその国家への忠誠が過剰に求められるようになる。さらに、民主主義という制度それ自体が内包する衆愚政治の危険に対する歯止めの根拠が失われるのではないか。また、そもそも国民国家の存在の永続性の保証はどこにもない。人間の帰属意識は重層的であり、その重層性こそが社会と文化の豊かさの基盤ではないかと考えたのである。
 だがサンドの意図はイスラエルのネイション神話を脱構築するだけではなかった。二〇一三年に出された著書『私はいかにしてユダヤ人であることをやめたか』(How I Stopped Being a Jew未邦訳)において、サンドは世俗派ユダヤ人というアイデンティティの存在そのものを否定する。それも自分のアイデンティティだけでなく、他人のそれも否定したのである(1)。
 ユダヤ人とはだれかという問題は歴史的にも複雑である。そもそもだれがそれを決めるのか(2)。今のイスラエルでは大きく言ってユダヤ人とは「ユダヤ教に改宗した者」(宗教的根拠)および「母親がユダヤ人である者」(血縁的根拠)と考えられている。だが改宗と言っても、ユダヤ教正統派以外の手続きは認められておらず、また「帰還法」ではユダヤ人を祖父母とする者、すなわち母親が非ユダヤ人であっても祖父母がユダヤ人の者にはイスラエル国籍が付与されると規定されており、その妥当性が議論されている。この規定は、ユダヤ人を祖父母とする者がユダヤ人と見なされ迫害された歴史を踏まえている。
 世俗派ユダヤ人とは、戒律を厳格に守る人々とは異なり、基本的に戒律や宗教共同体を重視せず、自由な生活を送っているユダヤ人のことである。イスラエルにおいては、ユダヤ人は一般的に宗教派と世俗派に分けられる。宗教派と世俗派は学校も別々で、居住地域も分かれていることが多い。とはいえその中の諸個人がどの程度ユダヤ教の戒律に基づいた生活をしているかには様々なグラデーションがある。また一人の人間が人生のある時点で、世俗派から宗教派に移行することもあれば、その逆の場合もある。そして兵役や納税の義務を主として担っているのは世俗派である。厳格な宗教派に属するユダヤ人は兵役を免除されているし、子どもの数が多い宗教派の人たちの社会保険料を払っているのも世俗派なのである。世俗派ユダヤ人はいわば、近代的で合理的判断ができる自分たちこそがマイノリティにも寛容で民主主義を理解しており、実質的にイスラエル国家を運営しているという自負を抱いている。
 サンドによる世俗派ユダヤ人というアイデンティティの存在の否定は、それまでサンドの主張に比較的好意的であった人々をもとまどわせた。
 サンドは問う。ユダヤ教を信じていない世俗派ユダヤ人が共有するものは何もない。世界に散らばる世俗派ユダヤ人同士が遭遇しても宗教的基盤はなく、言語も文化もバラバラである。それを同じ民族と言えるのか。異なる民族をも包含するフランス人、ドイツ人といった概念に、なぜイスラエル人はなれないのか。自分自身もずっと自分はユダヤ人だと思ってきた。なぜならそういう教育を受けたからだ。だがそれはたまたま母親がユダヤ人だったからユダヤ人のカテゴリーに入れられたにすぎない。そしてイスラエル内務省の書類に書かれたその記述は変えることができない。ユダヤ教徒になるにはユダヤ教に改宗すればいい。キリスト教徒になるにも、イスラム教徒になるにも宗教的な手続きがある。しかし非ユダヤ人に生まれた無神論者が、神を信じない世俗派ユダヤ人になる手続きはない。とはいえ自分にとってイスラエル文化は深く関わりのあるものであり、それを捨てることはできない。また世俗派ユダヤ人というカテゴリーは空虚で内容がないのに対して、イスラエル文化には、まだ混乱状態ではあるが実質がある。だから自分はイスラエル人から降りるのではなく、ユダヤ人から降りるという結論に至ったのだと。
 このサンドの新著へのリベラルなハアーレツ紙での書評において同紙記者のアンシュル・プフェファーは、サンドの世俗派ユダヤ人を認めないという態度は、ユダヤ教超正統派のユダヤ人に対する考え方を想起させると指摘する。そして宗教的に自らを定義されることを拒否する世俗派ユダヤ人の存在そのものに対するサンドの挑戦は、ある意味で妥当だと認める。その上で、次のように反論する(これはおそらく多くの世俗派ユダヤ人の声を代弁した意見だと思われる)。これまでユダヤ人は歴史上のあらゆる世代において、自分たちの信仰の矛盾と戦ってきたし、「ユダヤ人」アイデンティティの意味を自分たちで選んできた。ユダヤ人は常に漠然としたアイデンティティであったが、それは確かに存在した。懐疑主義者や異端派、反抗する人もまた、彼らがそれを選んだがゆえにユダヤ人である。彼らがユダヤ人ではないと誰が言えるのか。サンドが自らをユダヤ人でないというのは彼の権利である。しかし同時にサンドは、誰がユダヤ人かを定義する権利をラビの見解、すなわち歴史の一時期において生まれたものに過ぎない見解に譲っている。サンドはそうして、自分以外の人々すなわち私たちが、私たち自身の観点においてユダヤ人であることの自由を奪っているのだと(3)。
 サンドの「ユダヤ文化はないがイスラエル文化はある」という主張は、イスラエルがすでに七〇年近い歴史を持つ国になったという事実と、もはやそう簡単にはその存在を消滅させられまいという人々の認識の反映であろう。確かにイスラエル国内の住民は、その属する民族集団に関係なく、何らかのものを共有している。同じ政治経済問題、同じメーカーの製品の消費。私自身イスラエル国籍のアラブ人から、エジプトに旅行したけれどチーズがまずかった、イスラエルのトゥヌバ社のチーズがいちばん口に合うと聞いたことがある。そして紛争が激化すれば、ロケットやミサイルは民族出自に関係なく同じ頭上に降ってくる。またサンドの立場は、一方では自らを民主的な国民国家と規定しながら、他方ではそれがユダヤ国家だとする、イスラエルが建国当初から抱いてきた矛盾を改めて突き、いかにも自分は良心的だと思っているリベラルな左派ユダヤ人にその矛盾に対する再考を促すという意味もある。そこには、イスラエルは西欧的な政教分離の原則に基づく、ふつうの民主主義国になるべきだというサンドの理念がある。だが神を信じてはいないかもしれないが、ユダヤ教にルーツをもつ習慣に部分的であれ参加している世俗派ユダヤ人に、そのアイデンティティから降りろと要求するのは非現実的である。さらにこのような立場は、世界で反ユダヤ主義が激しくなると成立し得なくなるだろう。ユダヤ人はその内面にかかわらず、外側からユダヤ人だと規定されてきた歴史をもっている。サンドはそのような過去への固着こそを否定し、未来に目を向けよと言っているのであるが、今の状態が永続する保証はない。世俗派ユダヤ人というアイデンティティを共有していない私個人は、このような立場が表明され大いに議論が交わされること自体が、あらゆる可能性を吟味検討するダイナミックなユダヤ的伝統に則っているのではないかと思う。

アモス・オズ ――狂信者への処方箋
 平和運動に長年携わってきたイスラエルの代表的作家、アモス・オズの三つの講演を収録した書籍『親愛なる熱狂者へ』(Dear Zealot)が、先日ヘブライ語とアラビア語で出版された。なお同書に収録された講演の一つ「狂信者への処方箋」は、村田靖子訳『わたしたちが正しい場所に花は咲かない』(大月書店、二〇一〇年)に収録されている。またそこには村田自身によるオズへのインタビュー(二〇〇九年)と解説も収録されており、最近のオズの思想を知るには最適の書物になっている。オズの思想とは、自らも他者もひとしく相対化しようとする試みである。
 オズは言う。狂信主義はどんな国や政府、イデオロギーや宗教よりも古く、人間の本性に常に備わっている。片方に正義が命より重要だと考える人々がいて、もう片方には命こそが重要だと考える人々がいる。狂信者は善意から他人を変えようとしているのであり、圧倒的に利他的な人である。もっとも脅威なのは暴力ではなく、この種の攻撃性である。この種の狂信主義は、少しやり方が違うと仲間内でも攻撃性をあらわにする平和運動家の間にもみられる。そしてイスラエルとパレスチナの争いの中にも、狂信主義者と現実主義者の戦いが複雑に絡み合っている。このような狂信主義は誰にでもある人間の本性なので、教育によって消すことはできないが、ユーモアのセンス、想像力、文学がそのワクチンとなりうる。
 さらにオズは、イスラエルとパレスチナの紛争は宗教戦争ではなく、領土紛争にすぎないことから、困難ではあるが解決は可能だという。オズの言う解決は一貫して、二つの民族が二つの国を持つといういわゆる二国家解決である。そしてそのためには国境の制定が不可欠である。国境の画定のためにはイスラエルとパレスチナの双方が妥協しなければならないのだが、その妥協を妨げているのが狂気なのである。そしてオズは、いわゆる分離壁についても、それが通っている場所が問題なのであって、壁そのものは必要だと言う(4)。
 分離壁問題については、イスラエルの国民が持つ前提と、そうでない人が持つ前提がかけ離れているようなので、ここで私が少し解説しておきたい。分離壁設置の案が出たのは、パレスチナからの自爆等の攻撃が連日のように行われ、またそれへの反撃にょり、イスラエル側にもパレスチナ側にも多くの死者が出た時期であった。分離壁そのものは、とにかく早急に物理的に両者を分け、死者の数を減らして事態をできるかぎり鎮静化させようという発想に基づいていた。交流のない冷たい関係であっても、多くの死者が出るよりはいい。当初分離壁の設置に反対したのは、左派ではなく右派の人々であった。壁を作るということは、自分のものと相手のものを明確に分けるということである。壁を作らないということは、すべてを自分が(あるいは相手が)制御する可能性を残すということである。そして実際分離壁が作られると、双方の死者の数は劇的に減った。私は、分離壁がもたらす弊害はもちろんあるし、また自分の住んでいる地域にそのような壁ができるのはとうてい承服しがたい施策だと思う。しかし分離壁のもたらすマイナス面と、どちらの側であれ死者の数の激増という二つを考えると、分離壁がある世界のほうが相対的にマシだと考えざるを得ない。ここには理念はどうであれ、結果的に死者の数が多くなる施策と、死者の数が少なくなる施策のどちらを選ぶかという問題がある。もちろんオズも指摘しているように、分離壁が通っている場所は明らかにイスラエルに一方的に有利であり、その位置は双方の合意が得られる場所に将来移動させるべきだ。だが、壁そのものの設置への反対は、論理的に二国家解決案とは矛盾する。国家というものは明確な境界があって成立するものであり、少なくともイスラエルの現状においては、分離壁に反対なのであれば二国家解決案は手放すべきなのである。
 しかしこのオズの、ある意味で文学的、抽象的な論に対して、ハアーレツ紙では手厳しい批判が展開された。左派の政治家であったアブラハム・バーグは本書の書評において、オズのこのような具体性を欠いた議論は問題に対する処方箋ではなく、一時的な麻酔にすぎないと言う。そして国境の画定にしても、イスラエル政府は自国の入植者の問題すら解決できていない状況だと指摘する(5)。それはまったくそのとおりなのだが、具体的な解決案が次々に挫折してきた今となっては、こうすべきだという具体的な自らの確信や政策ですら相対化していくような持続的な態度に未来を託すしかないのかもしれないとも思う。サンドもオズも、それぞれのやり方で人々が無意識のうちに依拠している基盤や思い込みを揺るがし、人々もそれに真摯に応答しているのである。
ーーーーーーーーーーーーー
(1)サンドによる同書刊行時の講演「私はいついかにしてユダヤ人であることをやめたか」 מתי ואיך חדלתי להיות יהודי(ヘブライ語)はYoutubeで視聴可能。この講演の質疑応答部分においてサンドは、フランスでの講演のあと一人のチュニジア人が『私はいかにしてムスリムから降りたか』という本を書きたいと伝えてきたが、それには「その場合あなたの立場は私なんかよりよほど危うくなるだろう」と答えたという興味深いエピソードを語っている

https://www.youtube.com/embed/njwAJXSJ-ts


(2) ユダヤ人のアイデンティティについての議論は、たとえば市川裕ほか編『ユダヤ人と国民国家――「政教分離」を再考する』岩波書店、二〇〇八年の諸論考を参照されたい。
(3) “Shlomo Sand to Secular Jews: I'm Not Jewish and Neither Are You”by Anshel Pfeffer, http://www.haaretz.com/life/books/.premium-1.626312
(4)オズ自身がこの書籍について語る動画(ヘブライ語)はYoutubeで視聴可能

https://www.youtube.com/embed/7WWj94yHcfc

(1:28:07から)
(5) “Amos Oz, a Fanatic of the Two-state Solution”by Abraham Burg,
http://www.haaretz.com/israel-news/.premium-1.797798


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?