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透明な膜を隔てながら

 十二年前、私は台湾の田舎に住む女子中学生で、平仮名は一文字も識らなかった。十二年後、私は日本の大都市に住む会社員で、「群像新人文学賞」を受賞している。ほんと、「思えば遠く来たもんだ」。

 何故日本語を習おうと思ったか。何度そう聞かれたか、もはや数え切れない。そして聞かれる度に、眉を顰めながら悩む。何しろ、人に伝えるための、分かりやすいきっかけみたいなものは、何一つ無かったのだ。ただある日突然、そうだ、日本語を習ってみよう、と、ふと思ったのが始まりだった。就職のためでも、流行りに乗るためでもない。ニュートンの頭にぶつかった林檎のように、それは天啓に近い想念だった。

 それで私はアニメソングを歌いながら、仮名文字を一つずつ頭に叩き込んだ。高校受験が人生唯一の目標だと言わんばかりの抑圧的な中学生活で、文学と日本語が、私のささやかな趣味だった。日本語は学べば学ぶほど味のある言語だと感じた。流麗な平仮名の海に、宝石のように漢字が鏤められている。月光が降り注ぐと、海は音も無くきらきら輝き出した。

 趣味に無理解な人もいた。クラスの担任は、明言こそしなかったものの、「何故台湾に殖民した民族の言葉など」と、私が日本語を独学することをあまり快く思っていなかった。「日本語は所詮漢字の真似事だ」のようなことも言ったらしい。私は少しも意に介さなかった。もとより反抗的な私にとって、権威というものに楯突くことが日常茶飯事だったのである。

 やがて私は大学や大学院で、日本語・日本文学や日本語教育学を専攻するようになった。いつの間にか日本語で文学賞を取り、作家デビューすら果たした。ここまで来れば日本語はもはや母語のように自由自在に操れる――と思えば大間違いである。確かに私は、所謂バイリンガルである――第二言語習得論では「付加的バイリンガル」(additive bilingual)と言う――が、言語習得の臨界期(critical period)を過ぎてから学習を始めた私にとって、日本語は決して第一言語と同等にはなり得ない。逆説的だが、上達すればするほど――そして上達していると思われれば思われるほど――、日本語は第一言語ではないと実感させられるのである。

 ある時は、単語を声に出した後にアクセントが間違っていることに気が付き、心の中で密かに後悔する。ある時は、表したい概念を指し示す的確な言葉がそこにあると知りながら、その言葉に結び付く音節構造がどうしても脳内辞書から出てこず、「あのー」をいつまでも虚しく長引かせる羽目になる。またある時は、脳と舌を繋ぐ神経が何者かに切断されたかのように、脳が発音に関する指令を発しても、舌が上手く動かない。病気の時は尚更で、ちょっとした風邪でも失語症的な症状に繋がる。外国語副作用(foreign language side effect)のせいで思考能力の低下を感じることもしばしばである。

 「言葉の壁」という安易な表現がある。言語同士の間に立ちはだかる何かが、もし本当に壁のようなものだったらどんなに良かったのだろうか。壁なんて乗り越えれば済む話だ。しかし私と日本語の間にあるのは、壁より寧ろ透明な膜のようなものだ。膜は天と地の間に張られているから乗り越えられない。普段は目にも見えないし、感じ取ることもできないから、存在を忘れることもあるが、それは確実にそこにある。時には色を帯びて存在を宣言し、時には硬化して越境を阻む。辛うじて膜の向こうに散らばる言葉の宝石を掬い上げたとしても、恰もビニール手袋を嵌めているようで、宝石の手触りを確かめるのがなかなか難しい。

 膜を隔てるメリットもある。その方が日本語を分析的に見ることができる。お蔭で多くの母語話者の盲点に気付くことができ、それが原因で言語的センスが高いとお褒めに与ることもある。ただ、そうした言語的センスは、物書きにとって寧ろ前提のようなものだ。バスの運転手にとって道路標識を識別する能力が前提であるように。

 だから私は今でも自問自答を繰り返している。こんな私に、日本(語)文学には、どのように貢献できるか、と。残念ながら答えはまだ無い。いつかは出るかどうかも分からない。それにしても私は根拠も無く、信じたい。こんな私でも、こんな私だからこそ――自分の意志で日本と日本語を受容し、そして受容された私だからこそ――紡げる言葉は、きっとあるはずだ、と。それがどんな種類の言葉なのか、今はまだはっきりしていないが、確実なことはただ一つ――私はこれからも、それらの言葉を探す旅路を続ける、ということである。

 そんなわけで、私は今日も、透明な膜を隔てながら、日本語で世界を描く。

(『すばる』2017年9月号 掲載)

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