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【短編小説】ディアスポラ・オブ・アジア

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  1

 四角く切り取られた空は、夕闇に染まっていて薄暗い。見下ろすと、波一つ立たない雲海がどこまでも広がり、手の届きそうもない遠くの空と一線に交わる。その一線は赤とも紫ともつかない色で、この世ならざる世界への入り口かと思われる神秘的な雰囲気に包まれていた。
 そんな景色に見蕩れていながら、私はニューヨークで劉単(リョーダン)と交わした会話に思いを馳せていた。数年ぶりに再会した劉単の格好は相変わらずボーイッシュで、四角い顔に黒縁眼鏡、ハリネズミのような短髪に低めの声音、まるで初心(うぶ)な中学生男子かのようだった。しかし言葉の隅々に表れるのはそんな初々しさではなく、虚無主義(ニヒリズム)とも犬儒主義(シニシズム)とも取れる皮肉っぽさだった。
「真理なんてものはこの世界には存在しない。存在するのは人間が真理だと信じたい思い込みの総体だけだ」
 そんな具合に放たれた彼女の言葉は、単体だけ取ってみると中二病臭い屁理屈のようにも感じられるが、真正面から反論しようものなら、次から次へと出てくる言葉によって作り上げられる彼女の独特の世界観には容易くペースを乱されてしまう。
「あんた、キリスト教徒なの?」
 元日に一緒にセント・パトリック大聖堂を訪れた時、牧師に従って信心深そうに聖書の言葉を諳(そら)んじながら礼拝を捧げる劉単を傍で見て、私は驚いて訊いた。すると彼女は、
「そうだけど。因みに仏教徒でもあり、イスラム教徒でもある」
 と答えた。
「それは有り得ないでしょ? キリスト教もイスラム教も一神教よ」
「一神教なんて人間の勝手な思い込みさ。イエスが今ごろ雲の上で、アッラーと囲碁を打っているかもしれない」
 と劉単は言った。「因みに私は牛肉も豚肉も食べるし、酒も飲む。セックスだってする。それでも私が仏教徒で、クリスチャンで、ムスリムだってことは誰にも否定できない」
 確かに、劉単は宗教的な禁欲主義とは実に程遠い存在だった。私がニューヨークに滞在したのは三日間だけだったが、その間も彼女はセックスフレンドから連絡が来ないことを頻りに気にしていて、そのセフレの知人に連絡を取って二人の会う機会を作ってもらおうと取り計らっていた。彼女に言わせれば、肉体的な快楽を求めるのも、なるようにしかならない人生における彼女なりの生き方で、魂や精神のような観念論的な存在に比べても何の見劣りもしないことである。
「ホィッチ・ワン・ドゥー・ユー・ライク? チキン・オア・フィッシュ?」
 優しくて穏やかな女性の声が、私を冬の陽射しが降り注ぐマンハッタンから、シカゴ発東京行きのボーイング777に引き摺り戻した。いつの間にかキャビンアテンダントがフードカートを押しながら席まで来ていて、日本語訛りの英語で私にそう訊いたのである。
 彼女の胸元に付けてある名札に目を遣り、漢字で書かれている「米井」を読み取ると、私は日本語で、
「鶏肉でお願いします」
と返事した。彼女は表情一つ変えず、
「畏まりました」
と、今度は日本語で言い、アルミホイルで包まれたプラスチック容器をトレーに載せて渡してくれた。トレーにはサラダ、パン、バター、飲料水、フルーツとプラスチック食器一式も載っていた。嬉しいことに、ハーゲンダッツのアイスクリームもあった。チョコレート味ではなくバニラ味なのが些か残念ではあるが。
 キャビンアテンダントは続いて、私の隣、つまり通路側に座っているアジア人と思しき女性の乗客に、英語で同じ質問を繰り返した。乗客は流暢な英語で魚を頼んだ。私はブラインドを半分閉めて、読みかけの本を前の座席の後ろのポケットにしまい、食事に取り掛かった。
「你是中国人(あなたは中国人なの)?」
 発泡スチロールのような乾燥した食感の鶏肉をフォークで口に運び、ミネラルウォーターで流し込むと、隣の女性の乗客が話し掛けてきた。標準的な普通話(プートンホア)より少し巻舌音(けんぜつおん)が強くて些か高圧的に聞こえた。中国の北の方、恐らく東北出身の方だろうと推察する。私が読んでいる中国語の本の表紙を見たからそう訊いてきたのだろうけれど、私が読んでいるのは台湾出版の繁体字の本で、中国で使われている簡体字とは字体が違う。恐らく彼女はぱっと見、繁体字であることに気付かなかっただろう。
「不(いや),我台灣人(台湾人です)。」
 と私が答えると、彼女は恰も何か悪臭を放つものを間近で見せられたかのように眉を顰め、
「什么台湾人(台湾人だなんて),台湾人也是中国人(台湾人も中国人よ)!」
と言い放った。
 私は機内食のトレーを彼女にぶつけたい衝動を抑え込んで、できる限りの穏やかな笑みを浮かべて、
「そう思う方が気持ち良いなら、勝手にそう思ってもらってかまわないよ」
と言って、そして自分の食事に専念した。
 彼女はまた何か言いたげに口を開いたが、相手にする気が私にはないのを悟ったのか、決まり悪そうに強張った表情のまま立ち上がり、トレーを持ちながら斜め前の空席に行って座った。その隣に友人が座っているらしく、彼女は暫く思い切り友人に愚痴をこぼした。その席から聞こえてきた口調の強い断片的な中国語から判断すれば、彼女は相当怒っているらしかった。一体何をそんなに怒っているのか、私にはてんで理解できないが、台湾を離れて日本に何年間も住んでいると、中国人に主権宣言の類の言葉を言われることもしばしばで、一々相手にしてはいられないのである。日本に渡ったばかりの頃は学費と生活費を稼ぐためにコンビニでアルバイトしていた時期があったが、その時に先輩の中国人には名前まで難癖をつけられた。
「なんでアヤカなんて日本風の読みにしたの? 自分が中国人だってことを知られるのがそんなに恥ずかしいの?」
 確かに中国語の名前に、林(りん)郁馨(あやか)というふうに日本語読みを付けるのは珍しいことではあるが、それが何故「中国人と知られるのが恥ずかしい」という結論に結び付くのか、私には全く理解に苦しむのである。理解に苦しむことはもう二つある。何故この人達は、国を離れて海外に出てもなお、そんなに自分の愛国心を見せびらかしたいのか。何故愛国心というものを、他人のアイデンティティを攻撃する武器として使わずにはいられないのか。
 逆のパターンもある。東京で知り合った台湾人と話をしていると、偶に「中国語の発音が台湾らしくない」と指摘されたり、挙句の果てに「何故中国風の発音の真似をするのか」と怒られたりすることがある。私としては、ただ巻舌音でしっかり舌を巻き、四声にしっかり抑揚を付け、自分が美しいと思う中国語を表現しているだけで、別に誰かの真似をしているつもりはないのに。台湾に対する過剰な愛国心と、そこから派生したナショナリズムは、太陽花学運(ひまわり学生運動)の副産物らしい。中には解殖論者(殖民解放論者)という人達がいる。彼等は中華民国政府による台湾統治を殖民支配として批判し、その政権がもたらしたあらゆる文化的・政治的影響を排除すべきだと主張している。彼等からすれば、台湾人なら台湾語を話すべきであり、台湾語が流暢に話せなければそれは殖民支配に毒された証拠である。そんな人達が、六四天安門事件の追悼集会を「台湾とは関係のない他国の内政だから関わる意味がない」と冷やかしたり、天津大爆発の時には「携帯から倉庫まで何でもかんでも爆発する、流石爆発の大国」と嘲笑ったりするのである。
 そんな愛国心溢れた連中より、愛国心どころか、愛世界心の欠片すら見えない劉単といる方が、遥かに心地良かった。ネット記事かどっかで見た言葉に、「全世界を異郷と思うものこそ、完璧な人間である」というものがある。そんな境地に至らなくても、韓霙(ハンイン)のように、愛国心を武器としてではなく、信念として貫こうとする中台統一論者の方が、まだ十分マシである。

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【短編小説】ディアスポラ・オブ・アジア

李琴峰

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李琴峰

作家、日中翻訳者。台湾出身。単行本『独り舞』発売中:https://amzn.to/2yEoB8i 。第60回群像新人文学賞優秀作。個人サイト:https://www.likotomi.com/ 。仕事の依頼はメールアドレスに:qinfeng.kotomi@gmail.com
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