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巨大でささやかな奇跡――『独り舞』著者あとがきに代えて

 台湾では文芸書を出版する時に「作者序(著者まえがき)」や「後記(あとがき)」を付すのが通例だが、日本ではそうした慣習が無いようだ。仕方なく、この短文はネットに載せることにした。

『独り舞』は第六十回群像新人文学賞優秀作「独舞」より改題、加筆したものである。「独舞」を書き始めたのは二〇一六年五月で、小説の最後の数章の元となる旅をしたのは二〇一五年十一月からの数か月間だった。シドニーのリンカーンズロックの眺めを眼下に収めた瞬間、いつか自死するならここ以外に死に場所は有り得ないと思ったのを、今でも鮮明に覚えている。

 旅を終えて日本に戻った後、ある日の朝の通勤電車でふと日本語で頭に浮かんだ「死ぬ」という一語が、この小説を執筆するきっかけとなった。「死ぬ」という言葉には不可思議な神秘性が秘められているように感じて、電車の中で何度も心の中で繰り返しながら玩味した。というのも、現代日本語において「ぬ」で終わる五段動詞は「死ぬ」という一語だけだし、「ぬ」という歯茎鼻音の音節が持っている特別な翳りというか、湿っぽさというか、そのぬるっとした語感がそのまま「沼」「水」「湖」といった単語を想起させ、それらの言葉はいずれも「死」のメタファーになり得るというところが面白かったのである。

 もしあの日に「死ぬ」という言葉が浮かんでこなければ、この小説は生まれてこなかったかもしれないし、日本語ではなく中国語で浮かんでいたら、この小説は中国語で書かれていたのかもしれない。日本語を母語としない外国人が日本文学を書くというのは、いかにグローバル化が進んだ現代とはいえ、やはり珍しいことではないかと思う。何故自分の母語ではなく、日本語で書くのか、という質問を何度か受けたことがあるが、前述の経緯を考えれば、日本語で書いたのは単なる偶然と言う他ならないかもしれない。考えてみれば、我々の誕生から死亡までの一連の流れにおいて、その中の多くの事象は単なる偶然によって構成されているのではないだろうか。意味や動機などというのは常に後付けで、ふと立ち止まって振り返った瞬間に浮かんでくるものである。日本語でこの小説を書いたこと、今となっては、そんな偶然に恵まれたことに深く感謝している。

 小説の中に、邱妙津と頼香吟という二人の台湾文学の作家の名前が何度も出てくる。台湾文学に詳しくない日本の読者に、邱妙津の存在と自死が台湾文学、ひいては中国語圏の女性同性愛者達に与えた影響がいかほどのものかを理解していただくのは、恐らく難しいだろう。親友の自死から立ち直る道程を記述した頼香吟『其後 それから』を読んだ時に覚えた戦慄はいとも強烈なものだったが、残念ながらこちらも邦訳は無い。『独り舞』はこの二人の先輩作家に対するオマージュである、と言えば些か自著を買い被り過ぎた気もするが、生きるための道筋を懸命に模索している(していた)という点においては、響き合うところがあるのではないかと思いたい。

 小説の最後に、主人公にとって都合の良過ぎる展開が、雑誌掲載の段階で既に様々な酷評を招いたが、苦慮した末、書き方は変えても結末自体は変えないことにした。現実世界では日本語を母語としない上、日本に移住して四年間も経っていない人間が初めて日本語で書いた小説が受賞してしまったというレベルの偶然と奇跡が起こっているのだから、小説の中でもこれくらいの奇跡があってもいいのではないだろうか。そしてこれらの奇跡は、この広い世界にとってはささやかで取るに足らないものかもしれないが、趙紀恵や私にとって、それはきっと生の深淵から救ってくれるような、途方もなく巨大なものだ。

二〇一八年 弥生

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