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支配欲を手放し、自分と向き合う勇気を手にして、人を愛する…。

あなたのまわりもいませんか?

・表面的には、「相手のため」、「あなたのため」といいつつ、
「自分の言うとおりにしようと支配したい」と思っている人

・相手に対して優位な立場に立って、相手を間接的な言葉や態度や相手を不安にさせたり、罪悪感を感じさせたりする言動でマインドコントロールしようとする人

・無視をすることで無言で相手を支配し、思い通りに動かそうとする人

これをされると、人はその相手の機嫌を損ねないように対応するしかなくなるんです。

子どもであれば、もう逃げようがない。

短期間ならいいけど、長期間このような人とつき合うと、失われるものがある。

それは、「自発性」。

ここまで書いてわかるのは、これってブラック企業いの本質だね。

恐いのは、無意識、無自覚のうちに「自発性」が失われているということ。

しかも、本人は、支配され、動かされているにも関わらず、
自分から動いている、行動していると思い込んでいるので、
「自発性」が失われていることに気がつかない。

「自発性」を自ら奪っておいて、
あなたには「自発性」がないと責め立てる矛盾。

そして、その行動は緻密である。

あなたに「自発性」が無いのは、
あなたのせいではない…。

でも、「なんか変だな、しっくりこないな。」と、
あなたは、心のどこかで感じている。

「なんか変だな、しっくりこないな。」と思うのなら、
相手にしなければいいのですが、
支配したい人はずるいので、そうはいかない。

あなたを逃さない。
オープンで多様性が認められている場では、
このような態度をとらない。

ある一定の閉ざされた中で、このような態度をとる。

例えば、家族、学校、比較的小さな職場や何らかの師弟関係…。

そう、逃げ場の無い中で、
相手を支配したり、
思い通りにしようとするのだ。

その根本の考えは、極端な言い方をすれば、

・他人は自分の要求を満たすために存在し、要求を満たさないなら存在しなくて良い、と考えている。

・「立場の弱い人間は、すべて自分の思うように動くはずだ」と考えている。

では、なぜこのような考えを持っているのか?持つようになったのか?

おそらく、子どもの頃、親の気に入る行動をとらなければ自分は見捨てられるという恐怖に怯えていた…。

無条件に愛されるという経験がないと、他人に愛されるためには相手の機嫌をとらなければならないと思い込んでしまった。

だから、他人にも同じように「私に愛されたければ、私の機嫌をとりなさい」と要求するようになる。

そして、相手が従おうとしなければ、「私の機嫌をとらないのであれば、あなたを見捨てるぞ」という、まさに自分が子どもの頃にもっとも怖れていた言葉を突きつけるのです。

支配欲が強く、思い通りにしたいと考える人は、「人を愛する。」という人生の課題から逃げている人…。

人生の課題から逃げるということは、結果として自分以外のまわりの人を巻き込み、迷惑をかけることになる。

仕事の課題
交友の課題
愛の課題

人生の課題は、自分でしか解決できないのに、人を巻き込んで迷惑をかけてはいけない。

そのようなことを繰り返しているから、
いつまでたっても心が安らがず、
幸せを感じることができなくなる。

2人で生きるために、1人でよりよく生きる。

1人で生きるために、2人でより良く生きる。

あり方で生きる。

笑顔で心穏やかに生きる。

支配欲が強く、思い通りにしたいと考える人は、
「人を愛する。」という人生の課題から逃げている人…。

支配欲とは、
人生の課題、
愛の課題の裏返し。
愛の課題は、
自分に向き合うことからしか、
その解決の糸口は見つからない。
自分と向き合うことは、
本当に勇気を必要とする。

自分と向き合い、
勇気を持つことで、
人から嫌われるかもしれない。

『嫌われる勇気』という本がありますが、
その本質は、
自分と向き合う勇気を手にして、人を愛することなんだと思う。

支配欲を手放し、
自分と向き合う勇気を手にして、
人を愛する…。

アドラー心理学が、「勇気の心理学」と言われる意味がわかる…。



人生で最も大切なこと、それは 笑顔で心穏やかに生きること。これだけで、私たちは、人として価値がある。これだけで、私たちは、まわりの人に貢献でき、まわりの人を幸せにできる。