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理解される、理解しやすい、と心

こんにちは。まめのすけです。
社会貢献活動の場所に行くようになりました。

対岸の火事、自分と違うモチベーション

そう思っていたのですが、実際やってみると意外に自分の中の正義感がムクムクしてきます。

最近、障害がある方とお話する機会がありました。
マイノリティーだと、彼らは言いました。

確かに就労するにも、対話をするにも
人と出会うにも障害を意識せざるを得ない。

一方、彼らを知ろうと彼らのコミュニティーへ足を運びました。そこでは、私がマイノリティーでした。

「私達の気分がわかった?」

あれ?と感じました。違和感。自分がマジョリティーだと思ってなかったけど、相手からはマジョリティーに見られていたんだと。

私自身、病気で多少偏見を受けたり、職場が外資だったりと日本ではマイノリティーになることはまぁまぁあったのですが、そんな私も他人から見たらマジョリティーだった

でもそんな中でも少しだけ私は彼らが「羨ましい」って思うのです。
一言で、自分のマイノリティーを示す言葉があるから。見たり接したりしたらわかるから。

結局そう思う私もマイノリティーとマジョリティーが自分基準であることや、マジョリティーを自負する方たちに、さらにマジョリティーを感じさせられたり、そして自分の感じるマイノリティーが理解されづらかったり、、

理解しやすいマイノリティー、それが理解されること、そしてそれを受け止める心

どれもがその人の生活が基盤になった、狭い範囲なんだなと改めて気づいた。


泣いて喜びながらお酒や旅のお供にします。