性的マイノリティの人と分かり合うには?

私事ですが、最近そういうことでいろいろ考えています。
そのことで人を怒らせてしまって。相手は恋愛感情が無い人です。
私が嫌われたりとか不快に思われたりするのは全く構わないのですが、「分かり合えない」と思われたのだけ気がかりで。
こんな記事を書くと許されたがってるとか、言い訳をしたがってるとか、嫌われる覚悟があったという言葉が嘘になるようなかんじがしたんですが、それでもどこかに吐き出したいんです。「分かり合えないことはない」と。

恋愛感情が無い人へ、恋愛感情とは何かの説明

濁して書いてますが、まあ性欲ですよね。
いえ、本来は恋愛感情と性欲はイコールではないのですが、お互いついて回ることも多いし、恋愛感情が無い人にとっては同じものに見えることが多いようなので、話をシンプルにするためにここでは乱暴ですが全く同じものとして扱います。
それを持たない人にとっては、得体が知れないだとか、何かしらマイナスなイメージが付き纏うようです。
が、恋愛感情ってそんな得体の知れないものじゃないです。

あなたは、お腹が空いたり眠くなったりしますよね?
大好きなご馳走が目の前にあるのに満腹だからお腹が空かなかったり、あるいは寝てはいけない時に眠くなったりしますよね?
望んでも湧いてこない、あるいは望んでないのに湧いてくる、それが生理的欲求です。
恋愛感情も同じ生理的欲求です。

なんで恋愛感情があるんですか?と言われても、それは なんで食欲があるんですか?とか なんで眠くなるんですか?と言われてるようなもの。
どれも理性では制御できず、勝手に出てくる欲求ですよね?

そんな言い訳して、性的な目で見ることを肯定しようとしてるのか?というご意見が飛んで来そうです。
確かにそうかもしれません。
しかし、お腹が空いてもご飯をいつ食べるか、どれくらい食べるか決められるし、健康である限り食べるのを我慢することもできます。
子どもの時、怒られたことあるんじゃないでしょうか?「こんな時間にお菓子食べたらご飯食べられないよ!」とか。これは不適切なタイミングで食事をしようとしたことを怒っていますが、食欲があること自体を怒ってはいません。
もちろん、食欲があることを怒るなんてもってのほかです。

要するに、欲求は制御できませんが、大人であるなら自身の行動の制御はできます。
行動の制御ができないのは悪いことですが、欲求があるのは悪いことではありません。悪いことではないどころか、当然のことだし健康である証拠です。
そんな言い訳して、性的な目で見ることを肯定しようとしてるのか?というご意見がまたも飛んで来そうです。

ではこれならどうでしょう?近年はLGBTの方々への理解が進んできました。
道半ばですが、「彼らは自分の意思でその性に対して恋愛感情を持ったのではない」ということは浸透してきたのではないかと思います。
この話、とりわけ「同性に恋愛感情を持つのは本人の意思ではない」部分に理解が示されがちですが、そもそも「恋愛感情を持つのは本人の意思ではない」のです。
男性が男性を性的な目で見るのは本人の意思ではない。
女性が女性を性的な目で見るのは本人の意思ではない。
もうこの続きはお分かりですね?

まあ話を小難しくしてしまったところでまたシンプルな話に戻しますけど。

性欲とは食欲や睡眠欲と同じ生理的欲求である。
生理的欲求は本人の意思によらず現れたり消えたりする。
欲求は制御できないが、行動は制御できる。

ということです。
そんなに得体の知れないものじゃないでしょ?
性欲も食欲も睡眠欲も無いわ!と言われたらお手上げですね。千日回峰行を完遂して大阿闍梨となり人々を救ってください。私のことも救ってほしい。

恋愛感情がある我々へ、恋愛感情が無いことを考察してみよう。

私が今反省するべきところです。
ですから自分なりに反省しながら考察してみましたが、誤りがあったら当事者の方にはご指摘いただきたいところ。

先ほどは一方的に恋愛感情とはそんなに得体の知れないものじゃないと書いてしまいましたが、本当にそうでしょうか?と、お互いが理解できそうな例えを交えて考えてみました。

先ほどの節で、生理的欲求とは何か?というお話しをしましたが、ここでは一旦、生理的欲求の中でも「食欲」にフォーカスしてみます。
皆さん、牛肉食べますか?豚肉食べますか?鶏肉食べますか?一旦、これを読んだ全員が食べれるし大好きということにして話を進めます。
ではみなさん、牛って可愛がれますか?豚って可愛がれますか?鳥って可愛がれますか?
可愛がれますよね?可愛いですよね?そう思わない人も一旦そう思ってください。

可愛がってるくせになんで平気で食べられるんですか?
食欲があるのなら、その可愛いっていう感情は嘘なんじゃないですか?

もちろん、屠殺場とかを見せられたら非常に心がブレそうですが、皆さん「そんなこと言われてもなぁ…」といったかんじではないでしょうか?

あ、ところで皆さん。(今ではとっくに廃れていますが)韓国の人って犬食べるそうですよ。
悪い意味で「え〜っ!?」って思いましたね?
でも食べてる人からすれば「そんなこと言われてもなぁ…」ですよ。

ちなみに日本人も国際社会から言われてますね。
「なんでクジラを食べるんだ!」と。

食欲は誰しもが持ってる普通の生理的欲求です。
それ自体に良いも悪いもありません。
しかし、自身にとっては食べることが異常なものを食べている人に出くわしたら、得体の知れない欲求に出くわし、恐怖感や嫌悪感を抱くものです。
それもまた生理的な反応かもしれません。

ちなみに私は朝鮮半島を旅行した時に犬肉料理を食べたことがあります。かわいそう!なんて漠然とした理由で、食べられるはずのものを一度も食べないのってなんか損な気がしたからです。
めちゃくちゃ美味しかったです。犬肉を食べる文化がある場所に再び行くことがあればまた食べたいくらい。
だからと言って別にそのへんにいる犬を食べたくなったりはしないですね。
でも犬からしたら怖いでしょうね。普段人と仲良くしてるのに、自分の仲間を食べた人が目の前に現れたら。
でも皆さんなら知ってるはずです。可愛がるのも本心、食べるのも本心。食べたくないのも本心。相反するけど全ての気持ちが本物だと。
もし人類を食する謎の化け物に出会っても。「確かに人類に対して食欲はあるけど、君を食べようとは思ってないよ」と言われたなら、信用しましょう。
…いや、謎の化け物はさすがに怖いな。普通に嘘である可能性もあるし、信用するべきじゃないですね。謎の化け物は生態が分かるまでは疑いましょう。

でも実際は、相手は謎の化け物でなくて話も通じるんですから。
思想が違うとはいえ同じ人間なのですから。食欲や睡眠欲と毎日必死に戦う同じ人間なのですから。
お互いの意見を尊重できるはずです。

なんだかどこに向けて話してるのかよく分からなくなってきました。

最後に

性的嗜好が違う人とは分かり合えないか?
皆さん今どう感じるでしょうか。
違う人と向き合った時、得体の知れない化け物と向き合っているかのような気持ちになっていた人もいるかもしれません。
でも、自分の意思でそうなったのではないことは共通しているし、そういった生理的欲求が無い人も、別の生理的欲求なら共通して持ち合わせています。
分からない時は、共通項を探して、共通項から想像したら良いんです。

あとは、何か迷うことがあれば頭の中で条件を変えてみたり。
例えばあなたが、好きだけど性の対象としては見ることができない人から愛の告白をされたとします。どう断って、その後その人とどう付き合いますか?
ではその回答を踏まえた上で、もしもシチュエーションはそのままに、相手の性別が逆だったら、どうしますか?
いずれの性的嗜好の人にとっても、これはかなり深く考えさせられるものがあるのではないでしょうか?
もちろん、自身と相手の性別が同じほうが、少なくとも体は同じだし、話した時間は長いから対応のしやすさも違うだろうし、マイナスな感情を持ってしまったとしてもその強さの度合いは違ってくると思います。
しかし、もしも『丁寧に断れるし友達としての関係も続けられる、マイナスな感情も無い』だったのが『性別が逆であれば丁寧に断れないし友達としての関係も続けられない、マイナスな感情も強い』となったら…
ここから先言いたいことは、皆様ご自身で考えていただけることでしょう。

ちなみに私は恋愛感情を持っていない友人から酔った勢いで襲われかけたことがありますが、おまけにその他に金銭関係などのトラブルがありましたが、その友人と普通に話せます。その時は怖かったですが、酔ってなければ襲ってこないのでまあ普通に話せます。
さすがにそれはちょっと異常かもしれない。こんなふうにはならなくて良いです。

この手の話は、どれに分類される人にとってもお互い「分からん」の嵐でなかなか先に進まないように思います。
私が大切にしている言葉として「理解と共感は別物」というのがあります。
つまり、「全く共感はできないが理解はできた」というのが人間にはできるし、そうでなくてはどんな人とも分かり合えないと考えます。
しかし「共感できないし理解もしたくない」という人がとにかく多いです。そういう私も時々そうなることがあります。
でも、相手を受け入れられない人は、相手に受け入れてもらうことも難しいです。やっぱり誰しも自身を受け入れてもらいたいものじゃないですか?

とはいえまあ、正直理系っぽいというか理屈っぽい考えではあるんですよね。簡単じゃないです。
理系、特に物理学の世界だと「理由は全く未解明だが、その理論から得られる結論は矛盾が無いので正しいものとする」みたいなトンデモ思考がよくあります。
それが「全く共感はできないが理解はできた」の一例です。そんなトンデモ思考、誰でもできるわけはないんですよね。

けれど、人間は知恵を共有できます。
皆さんが学校で習って使いこなしている学問は、当然自分自身で築き上げたものではなく、先人たちが私たちに教えてくれたことです。
それをまるで自分で思いついたことかのように自由に使いこなすことができるのが人間なのです。
だから共感も理解もできなかったことだって、いつの日か少なくとも理解だけはできるようになるはずです。

今回述べたことは、まだまだ考えの浅いところや穴のある理屈が多いと思います。
人類がこれだけ生きてきてもなお難題として横たわるこの話題が解明されて、知恵やヒントを共有できるものとなることを願ってやみません。
そのためには、誤解や認識の間違いがあったら、どうか腹を立てたりせずにご教示いただければ何よりです。

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