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乃木坂46の『プロデューサー』

 乃木坂46のTwitterプロフィールの文言が変わったことが、話題になりました。

 以前は、秋元康が総合プロデューサーであることと、AKB48の公式ライバルであることが書かれていたのですが、その文言がなくなりました。
 ちなみに、公式サイトの『PRODUCER』のページには、普通に秋元康が載っていますし、AKB48の公式ライバルという記載も残っています(4/17現在)。
「AKB48の5年を5ヶ月で越えます」
 云々と書いてあり、最初期の文言をそのまま残しているだけなのでしょうが、とにかく残っています。


・『公式ライバル』と『総合プロデューサー』

 実際、『AKB48の公式ライバル』という設定は、とっくの昔に風化しています。初期の『名前を売るための設定』であって、その役目は既に終えたと考えるべきでしょう。
 2018年頃からファンになった私にとっては全く無意味な設定です。

 秋元康の『総合プロデュース』に関しても、繋がりはかなり薄くなっていることが伺えます。
 本人からも、あまり関与していない旨の発言はありますし、『乃木坂46のオールナイトニッポン』にゲストに来た際も、久保さんと実際に会うのはオーディション以来、との会話がありました。
 私が発言を聞いた範囲から判断するに、真夏さんや飛鳥さんら一期生は多少は機会があったのでしょうが、それ以降はほぼ無縁。実質的なトップは、メンバーが度々言及しファンにもお馴染みの、今野さんなのだと思います。


・やりたいこと

 これは、
「ソニーミュージックが秋元康を排除した!」
 とかいう話ではなく、そもそも秋元康は乃木坂46に関心がないのだと思います。
 初期は多少はあったでしょうが、その後は欅坂46、というか平手友梨奈さんに関心が移ったように見えます。平手さん脱退後の坂道Gへの関与は、楽曲以外ではほとんど見受けられません。他に多数ある『総合プロデュース』しているグループも、似たような状態ではないでしょうか。
 未熟な者を集めた集団を、国民の誰もが知るアイドルグループに育て上げた、という勲章は、AKB48で既に得ています。乃木坂46やその他のグループでもう一度それをやりたい、というタイプでもないでしょう。
 
 私が知る限りの言動から判断すれば、秋元康がやりたいのは、
「世間的なブームや話題を作りたい」
 ということ。アイドルグループの場合は、大ヒット曲、ということになりますが、別にそれでなくても構わない。より強い関心があるのは、ドラマの脚本や女優の卵達への関与の方ではないでしょうか。
 とは言えヒット曲への挑戦に関しては、大量の依頼が舞い込むアイドルの楽曲の作詞は、ちょうどよい機会。いわばヘタな鉄砲でも打ちまくっている状態、だと解釈するべきでしょう。
 乃木坂46への提供曲は手を抜いている、なんて言う人もいますが、私は、ヒット曲を作り出すために彼なりに力を入れていると思います。


・プロデュース

 楽曲だけでは、実質的に『プロデュースをしているとは言えない状態』ではありますが、それは悪いことばかりではありません。

 秋元康は予定調和を嫌い、ファンが拒否反応を示すようなことをわざとやったり、サプライズ的抜擢をしがちです。しかし、本来は『型に嵌らない、まとまり過ぎない』ためのそうした手法を長年続けたことにより、逆にマンネリ化している…『型に嵌らない方向を目指す、という型』となっているは否めません。毎回毎回逆張り発言をしている人間が、そのうち飽きられるのに近いです。

 結局、「とりあえずサプライズ、後は反応を見て考える」という方針で引っかき回して、そのサプライズも世間で話題になることはなく、現場が振り回されて疲弊するだけで終わって行く。秋元康の『本格的プロデュース』とやらの行く末はその程度であることは、既に底が割れています。
 これは、非難しているのではありません。人間の想像力、創造力に限界がある以上、一人の人間が采配している限り、生み出せるものにも限界があります。むしろ長年、手を変え品を変えて第一線を張って来たこと自体が、驚異的なことです。
 しかし時代の趨勢も加わって、秋元康が世間を躍らせることは非常に困難になっている。それは明らかです。

 とは言え、業界内の影響力はまだ多少はあるでしょうし、お飾りとして総合プロデューサーに据えておくという選択肢も、あり得ます。
 しかし、秋元康が楽曲面のプロデュースを独占している(と思われる)ことで、一つ大きな弊害が生じているように思います。
 それは、歌詞が決まるのが致命的に遅いことです。


・作詞の遅さ

 齋藤飛鳥さんが、MV撮影の現場で突然歌詞が変わったりすることに軽くクレームを入れて、苦笑混じりに詫びていたのは、ラジオ(乃木坂三昧)の時だったと思います。ジャケット写真と全くそぐわない曲がしばしば出て来る(君に叱られた、チャンスは平等)のも、その弊害の表れだと私は感じています。
 35枚目の発売が遅れたのも、秋元康の都合だという説も聞き及びます。真偽は定かではないですが、有り得そうだと思ってしまいます。

 今の時代、楽曲は単体で売るのではなく、特にMVとの相乗効果は大いに狙いたいはず。それなのに、それらの制作時に、歌詞がどんなだか分からないけど、衣装を作り、設定を練り、振りを決め、撮影場所を押さえてMVの準備をせねばならないというのも、変な話です。
 秋元先生だから最終的には素晴らしい歌詞が来て全て解決する…でしょうか?私には、そうとも限らないと思えます。曲の序盤、早口でベラベラ喋るように詰め込んでいるのを聞くと、またコレか、と落胆してしまいますし、何のために作詞を遅らせたのか、正直分かりません。
 まあ、その辺りは好き好きなのでさておくとしても、作詞家のスケジュール、タイミングが絶対的に優先されるのが不合理なのは、間違いないでしょう。


・不合理でも売れる時は売れる

 とは言え問題は、不合理なやり方では成功しない、とも言い切れないことです。
 当たれば斬新、外れれば狙い過ぎ。
 当たれば王道、外れればマンネリ。
 当たればリバイバル、外れれば古臭い。
 そうした結果論で全てが済まされてしまうのがエンタメの世界、という面は間違いなくあります。

 また、ファンの好みにばかり従っていては新しいものが生まれない、と言う秋元康の考え方にも一理あり、ファンの反発を覚悟で敢えて冒険するのも、必要なことです。全てのジャンルはマニアが殺す、という言葉は有名であり、真実でもあると思います。

 結局、秋元康を外したり、権限を縮小させたりしても、国民的な大ヒット曲が生まれるとは限りません。確率が上がるかどうかすら微妙なところです。

 そう考えれば、Twitterのプロフィールに関しては、抜本的な変革の前触れとは考え難い、というのが私の予想、というか憶測です。
 いつまでも残っていた『AKB48の公式ライバル』というどうでもいい文言を消すついでに、シンプルなプロフィール文にしてみた…その程度のことだと思います。

 公式ライバル設定を外そうが、今更誰も何も言いません。それに対して、秋元康を外せば、彼の影響力を失う、場合によっては活動を妨害されるかも知れないのに、成功が得られる保証もない…すなわち損する可能性の方が高い。単純な算数の問題です。

 とは言え、グループやメンバーの現状に興味も関心もないなら、楽曲の一部に関しては作詞等々の仕切りを委譲してくれ、とは思います。歌詞や曲調から逆算してダンスやフォーメーション、場合によっては選抜メンバーを決めることも、決して不合理ではありません(恐らく表題曲の権利は手放さないでしょうが)。

 重ねて言いますが、そうすれば成功する、とも限りません。しかし、いずれは試してみて欲しい、と思います。


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