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大江ちゃん

前回は東日本大震災の時のお話をさせていただきました。(先週は所用で投稿できなかったので今週は2回投稿させていただきます。)

東日本大震災の時のお話になると必ず思い出すのが、私の30年来の友人,大江ちゃんです。

今回はその大江ちゃんについてお話をさせていただきます。

大江ちゃんと私の出会いは私が42歳の時、私の恩人の一人でもあります井ケ田製茶の先代の社長、井ケ田徳治さんの勧めで仙台青葉ロータリークラブの設立の際の初代会員として入会をしたことがきっかけでした。

その時に同じように入会した一人が大江ちゃんです。お互いまだロータリーの事も何もかもわからない状況で、同じ年齢という事もあり当時同じ年代だったH君やT君らとよくお酒を飲み交わしてはロータリーについての勉強や談義をしていた仲間でした、それ以来ずっと良き?友人としてお付き合いをさせてもらっています。

ロータリークラブとは社会に奉仕する心を育てていく職業人の集まりです。(詳しくはまたの機会にお話をさせていただきます)

トップの写真が現在の大江ちゃん、少しは私の方が女性にはもてるのではないかと思わせてくれる数少ないタイプの私の友人です。

写真で拝見するとどこにでもいる好々爺、でも東日本大震災の時の彼の働きはまさに超人的なものでした。

彼が東日本大震災の時に手掛けた事業、ざっと思い出すだけでも二十件以上、その主なものだけを列挙してみました。

①名取閖上朝市にテント20張と2t車4台を寄贈(大阪茨木RCと仙台青葉RC)

②女川御前浜漁協に4tのフォークリフト寄贈(仙台青葉RC)

③北上十三浜へのフォークリフト2台、トラックリフト1台(石巻西RCと仙台青葉RC)

④大船渡漁協に軽自動車3台寄贈(台湾新竹RC・北上西RC他)

⑤石巻に孫兵衛草船を13艘寄贈(広島・山口RC地区・石巻4RC他)

⑥山元町の幼稚園に園児用のバス2台寄贈(海外3クラブと亘理RC)

⑦大船渡での野球場の整備、中古バスの寄贈、養殖用いかだ寄贈(韓国RC地区・大船渡西RC)

⑧石巻支援学校への大型コピー機と学習器具の寄贈(川口RC・オーストラリアのRC・仙台青葉RC)

⑨被災地の子供たちをディズニーランドへの招待、広島・山口への旅の招待、大阪USJへの招待ほかの心の癒しのプログラムを多数実施(浦安RC・茨木RC・気仙沼RCなど)

⑩北上十三浜の仮設住宅へ仏壇40個を寄贈(大阪・山口のお寺さん)

*( )内は支援の母体になったRC(ロータリークラブ)です。

この他にも沢山の支援活動を・・・大江ちゃんは自分の人脈を使って、日本国内のロータリークラブはもちろん海外のロータリークラブにも声がけをして支援の輪を広げました。

そして大江ちゃんはその中心的存在になって被災地はもちろんの日本国中を毎日のように飛び回っていました。

まさに超人的な活躍でした。

その時の様子をまとめた東日本大震災ノートという小冊子も後年大江ちゃんが作成しました。

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話に本題はこれからなのですが、大震災の発生した何日か後のことでした。

大江ちゃんが我が家を訪ねてきました。そして大江ちゃんの独特なズーズー弁で私にこう切り出しました。

「伊勢ちゃん、俺はや、今回の災害で被災すたつく(した地区)やひったち(人たち)のためにいろいろなことをやろうとしてんだよ。伊勢ちゃんも手伝ってけねが・・・」

私は悩みました・・・が、その場でその申し出を断りました。

「大江ちゃん、ごめん、大江ちゃんのやろうとしていることは素晴らしい、できることなら手伝いたいが、今の自分にとって優先順位は会社を守ることなんだ、会社の従業員のためにも今自分にしかできないことが山ほどある。今はそれを優先したい。」

あの時やりとりが、今でも昨日のことのように頭をよぎります。

でも大江ちゃんはやり遂げました・・・立派です。

そして、私もあの時の自分の判断が正しかったと思っています。

その人や立場によって何を優先させるかは違ってよいと思っています。  多様性が大切なのだと思っています。

私も身体はあまり動かせませんでしたが、会社の商品を通じていろいろな支援活動には力を貸すことができました。

大江ちゃんと私は今でも大親友でよく近所の居酒屋で飲み会を開いてはその当時の話や、ロータリー談義をしては喧嘩(笑)しながら飲んでいます。

そういえば、大江ちゃんは去年の丸森地区の水害の時もどこよりも早くトラック1台分の飲料水を丸森RCに運んでいました・・・やはり大江ちゃんは立派です。

次回は大江ちゃんとフィリピンのパラワン島にマングローブの木を植えに行った時の事を投稿させていただきます。


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