それは、チュニジアのカフェでの会話から生まれた #令和のお祭り騒ぎに思うこと
「令和」が始まった。
わたしは、天皇制としての日本の植民地支配の歴史と、元号による時間の支配という観点から、(これらの文脈を考慮に入れずに)「令和」を取り上げるということ自体、ある種の暴力性をはらむものなのではないかと思っている。
そもそも、すべて神道が前提であって、多様な信条を持つ人たちが排除されているとも感じる。
だから、「平成」から「令和」という時間軸で生活することをわたしは避けてきたし、本当はこのタイミングに合わせて何か書く、ということもしたくない。
しかし、世間