2018年の場所

画像1 わたしが思い出と結びつけるのは「人」よりも「場所」が多い。 一人が好きだからかもしれないし、「人」とはいつか別れてしまうけれど、「場所」はいつまでも残るからかもしれない。 2018年に行った場所で思い出に残った一部をシェアしてみます。 ちなみにこちらは9月に行った韓国、漢城の城壁跡から見たソウル郊外。
画像2 新年は宮崎で。
画像3 3月に訪れた岐阜にある岐阜城。 いつか、近くに川辺のある場所に住みたい。
画像4 岐阜城のある金華山への道のり。 ロープウェイもあるけど、行きは歩いた🚶‍♀️ 「それでも地球は動いている。」 2018年の終わり、改めてこの言葉が 自分の身に刺さる。
画像5 4月の終わりにはWake Up Japanの企画で小倉へ。 暖かい出会いに溢れた場所だった。
画像6 門司港。 海辺の心地よい風を受けながら。
画像7 山口県周南市、JR徳山駅からフェリーで30-45分ほど行ったところにある大津島。 自然のとてもきれいな島だけれど、ここはかつて人間魚雷 回天 に 搭乗する若者が訓練を重ね、特攻へと出発する場所であった。
画像8 国民の命を守るはずの国がかつて、多くの国民の命という犠牲を産んだということ。 これが自分の友だちだったら。大切な人だったら。
画像9 広島は興味深い場所。 市内では今でも72年前の原爆の記憶が至るところに見出される。
画像10 「安らかに眠って下さい。過ちは繰り返しませぬから。」
画像11 平和祈念公園の川を挟んで対岸にある、本川小学校。 当時の校舎が一部だけ残っていて、資料館として公開されていた。 爆風に耐えた建物の中も、あの時のまま。
画像12 この掲示にすべての想いが詰まっている。
画像13 かつて海軍の重要な拠点の一つであった呉。 当時世界最大といわれていた戦艦大和もここで作られ、特攻へ向かった。 港の平和利用が取り決められた戦後も国連軍がベトナム戦争へ向かう拠点だったり、今も在日米軍がいたり。 そして「戦艦大和の」輝かしい歴史を見に多くの人びとが集まる場所。
画像14 江田島にある海上自衛隊第1術科学校の目の前にあるコンビニにあったポスター。 「美しい日本」はどこにある?
画像15 ずっと行ってみたかった尾道。 細い道が迷路みたいで、歩くのが楽しい場所だった。
画像16 猫よりも人間の多い場所だった。
画像17 今年話題になった向島からの写真。 瀬戸内海は美しい🍋
画像18 9月に大学のつながりで行かせていただく機会に恵まれた、福島第一原発。写真は富岡駅から。
画像19 同月には韓国にも行った。 前半はゼミ合宿で、後半は一人旅🏃🏻‍♀️ こちらは板門店。
画像20 都羅展望台から。 向こう側には北朝鮮、開城工業団地も見える。 すぐそこにあるはずなのに、心はとても遠い。
画像21 一人で元「慰安婦」の人たちが暮らすナヌムの家に行ってきた。
画像22 ナヌムの家では元「慰安婦」のハルモニ(お母さん)たちともお会いする機会に恵まれた。 同行した方がわたしが日本から来たとハングルで伝えてくださって。 言葉は通じなかったけれど、ハルモニの一人はずっとわたしの手を暖かく握ってくれていた。
画像23 日本大使館前の慰安婦少女像も見に行った。 銅像に込められた想いを わたしは直視できただろうか。
画像24 少女像の横には署名が。 韓国人の友人に聞いてみたところ、韓日合意の破棄を求めるものだそう。 わたしと何ら変わりない、今どきの女の子たちが通りすがりに署名していたことを思い出す。
画像25 西大門刑務所歴史館。 1908年に日本が植民地朝鮮の独立運動家を収容するために建てた刑務所の跡地にある資料館。 植民地支配が終わったあとは、1980年代まで韓国の軍事独裁下で民主化運動化を収容するために使われていた。
画像26 日本の統治下では、女性も、子どもも、そして男性も人権を侵害されていた。
画像27 ソウルの中心にある、景福宮。 なんと美しい場所なのでしょう。
画像28 たくさんの色を使っていて、 でもそこには調和があり。
画像29 迷路みたいに広い場所で、 お散歩するだけで一日過ごせる。
画像30 そして、12月は大分へ。 わたしの生まれた場所。

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