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なぜ "リビア" なのか。 後編

なぜ"リビアなのか"。 前編こちらから。

...しかしながら、一度経済が疲弊し、
武器が出回り、勢力が分裂した国で
次に誰が権力を持つのかという争いが
起こるのは、時間の問題だった。

リビアでは様々な勢力が
利権や権力を求めて争い合い、
権力の空白帯となった国内にISILが伸張、
その支配と掃討作戦の間に
またしても多くの人びとが犠牲となった。

選挙で選ばれたはずの政府は
支配を確立することができず、
もともと多数の部族が集まってできた
リビアにおいて、
何もしなければ分断が深化するのは
当然のことであった。

そして、これに対して世界は
リビアの人たちの権利や生活の保護
という点においては、
見て見ぬ振りを続けてきたと言える。


そうしたリビアでは、2015年に
やっと国連が二度目の介入を行い、
"統一政府"が樹立された。

それでも戦闘が終わらない地域もあって、
ISILがいなくなったのかも疑問である。

そして、こうした環境のなかで
ヨーロッパに渡ろうとする
サハラ以南のアフリカからの移民の
経由地であったリビアでは
移民が過酷な状況に置かれるという
新たな痛みまで生まれてしまった。

しかし、最近は年末に選挙を行うことが
対立する勢力の間で合意されたり、
どうなるかはわからないけれど、
前に進むことができるかもしれない。
でも、不安が残る、というのが現在。

もちろん、
リビアの経済は以前のように
うまく回っているわけではないこと、
多くの若者が武器を取ってしまったこと、
そして、ここまでに多くの犠牲が
生まれてしまったこと。
一度負った傷は決して癒えない。

第二の都市ベンガジは、
ISILやその他の勢力の掃討で
一部が瓦礫の街となってしまった。

そんなベンガジでは今でも
テロ事件などが頻発している。

ただ、もちろん
それでもみんな生きてるし、

こちらは首都トリポリだけど
この国はとても美しい。

そしてわたしは、今、思う。

まずはわたしにとって大切だった
場所、日常を返して欲しい。

ただ、それが叶わないにしても
今のわたしはそれでも幸せだから、
同じように、リビアの人たちの
幸せを心から願う。

そして、リビアが
暴力や欠乏への恐怖を克服して、
みんなが言いたいことを好きに言えて、
やりたいことを自由にできる
国になって欲しいし、

リビアでも、そうでなくても
もう二度と、暴力が起きている場所が
見て見ぬ振りをされないような
世界になって欲しい。

わたしがリビアと日本で見たこと。

それは、こうした世界を作るために
求められるのは、
例えばリビアへの支援や
リビアにおける平和構築だけでなく
暴力が起きている様子を見て、
何かすることができる"わたしたち"の側の
変化でもあるということ。

世界のどこかで人の命や日常が
奪われているときに、
自分には関係ない、と思うのではなく
大切なかけがえのないものが
奪われていると思うことができるか。


自分の周りが大切なのは当然で
何もしないで遠くの誰かを想う、
ということは難しいと考える。

だからこそ、
遠いからしょうがない、で
終わらせるのではなくて、
遠くても想う、ということを
文化にしていきたいと強く思う。

わたしはたまたまリビアに暮らし
リビアで起きていることの
一部始終を目の当たりにした。

だから、
わたしには、リビアのことを伝え、
遠くのリビアの人を想えるような
世界を作るという責任があると考える。

そして、わたしがリビアを伝える
ということの延長線上にきっと、
遠くの誰かに何かが起きた時に
それを見て見ぬ振りをしないような
世界があると信じて、
わたしは自分の人生を歩んで行きたい。


これをもって、わたしの
なぜ "リビア" なのか。への
答えとしたいです。

Minori.

Where is リビア? プロジェクト
「日常」や「希望」が人の手によって奪われることのない世界へ🌍
中東北アフリカを知り、考え、実践することを通して、そうした世界の実現を目指すプロジェクトです🐪🌅🌴

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