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折り合いをつけたい


少し前下書きにしていたものです



母親から連絡がきて、会ってみることにした。
なにも変わってなかった。

ひとり暮らしどう?とか、学校はどんな感じ?とかじゃなくて
都合の悪い記憶だけ抜け落ちてて、逆に、私がしたことも無いことを、したかのように語って、ただ責められる時間だった。

私、あの人に死ねなんて言ったことない。
病院に付き添いで行った時も、あんな罵詈雑言、吐いたこともない。宥めるのに必死だった。
夜中に大声を出して、お金を払えって脅すような、そんなこと私はしてない
でもみんなあの人の味方だった。

いくらそんなことやってない、信じてほしいって言ってもだれもしんじてくれなかった。
あたしの痛かったことは無かったことになってた。


よく小さい頃に部屋でひとりで泣いていたら叔母が、何が悲しくて泣いているのか、あんたなんかの分際で産まれてきたのが悪いとか言い捨てて、階段を降りていってた足音を思い出した。

小学二年生のとき、庭のカランコエの枝が折れてたよと祖母に言ったら
勝手に折れるわけない、あんたが折ったくせに嘘をついてる、そんな子は要らないって、母親と祖母の前で、泣きながら土下座した。

そういう人たちだったよなって思った。

本当に悔しかったし悲しかった、けど、
もう信じてもらえなくていいやってようやく諦めがついた気がした。ずっと未練がましくいつか認めてもらえるんじゃないか愛してもらえるんじゃないかって幻想にしがみつくのはもう疲れた


毎日、ドアの開かないようにされた、ブレーカーも落とされたまっくらな部屋のなかで
誰か助けてくれないかなってぽたぽた泣きながらぼーっとして夜を明かした。寒かった。

名前じゃなくて、
なにかで診断がおりたわけでもないのに、精神の病の名前とか、
模試の順位で呼ばれてた。

名前で呼んで欲しかった。

痛いこと されたくなかった。

玄関に正座したときのブロック つめたかったな。

投げつけられた靴が当たったところもガラスで打撲したとこもおっきな痣になってた。

特にヒールのある靴は痛かった。

まくら押し当てられて、息できなくて、苦しかった。

包丁を向けられた時、あ、死ぬのかなって思った。

がんばって解いてた問題集、水浸しになった。

点数が良かったのが嬉しくて取っておいてた答案も全部びりびりになった。

悪い点はもちろん怒られるけど、良い点を取っても、カンニングしたんだろうと怒られた。

自殺しろって言われて、ほんとに死ねばよかった。

お金がかかるから電車の飛び込み以外でねって笑いながら言ってて、悔しいような悲しいような、ぐちゃぐちゃになった。

熱が出た時とか、心配されたかった。
仮病使うなって捲し立てられたくなかった。

ご飯、いっしょにたべたかった。

おかえりって言って欲しかった。

ママの誕生日に買って帰ったケーキも、あたし捨ててほしくなかったよ。

産むんじゃなかったじゃなくて、
生まれてきてくれてありがとうとか、
1度でもいいから言われたかった。

学校や塾にも行かせてもらえて、ご飯を買うお金も与えられてて、恵まれた環境なのはわかってたでも本当に憎くて悔しくてしんどくて死にたくて苦しくて仕方ない中途半端なこの気持ちに、
あたしはどうやって折り合いをつけたらいいの

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