見出し画像

αM2018「絵と、 」vol.2 藤城嘘-作品ノートその6

昨年、浅草橋(馬喰町)にあるギャラリー、gallery αMにて、藤城嘘の個展が開催されていました。本展は2013年からの5年間の展示で作られた大作5点と、2018年に制作された新作4点によって構成されておりました。
さて、このnoteでは、会期終了までのあいだに出展作を1点ずつ紹介させていただく、というコンセプトでしたが、結局中途半端なところで止まってしまっていました…。改めまして、出展作を振り返りながら解説させていただきたいと思います。作品理解の補助になる部分があるなら嬉しく思います。

===

何らかの門》2018
木製パネル、ベニヤ板、キャンバス、アクリル、色鉛筆、インク、コラージュ
(撮影:木奥恵三)

今回の個展、普段はよく展示をしているドローイング類を展示しなかった。このようなホワイトキューブでしっかりと大作を見せる機会がほぼ初めてだったので、一作ずつが力強く見せられるよう余裕をもった構成にしたのであった。そのかわり、この《何らかの門》が私のドローイング要素を一手に引き受けている。

《何らかの門》(裏面)
(撮影:木奥恵三)

このパネルは五反田のアトリエで展示用の壁面として誰かが作り、そして残していったもので、それを別の展示でまた再利用するのに裏面に板を打ちつけ壁にして…という風に、適当な経歴を持ちかつ"無用"なものだった。"無用で重くてデカイ板のような支持体が自立している"状態が面白いなと思い、このような作品に。無骨な感じで、しかもコンクリートブロックの上に立っている(ギャラリーの松森さんが気を利かせ、ブロックと地面にボルトが貫通するように固定してくれた)。支持体でありながら"壁"でもあるため、表面にドローイングが貼ってあったり、ステッカーが貼ってあったり、キャンバスまでかけている。

決まった展示に向けて大きなキャンバスに向かって作品を作るとき、どうしても頭が固くなってしまうことがるものだ。変に気合が入ってしまったり、完成図が頭にあると作業的な描画になってしまうからだ。そのため、その脇で無意識かつ超適当に"ラクガキ"をしたほうが変に力の入らない絵が作れたりする。余ってしまった絵の具をなすりつけたり、息抜きに思いついた変なキーワードを書き留めたり、鉛筆で引っ掻いたり…しかしそれらを可視化しておくことも無意味ではない。私はもともと他人の何気ないメモなどまで愛おしく感じてしまうタチなのだ。

2013年の個展に出展していた、ベニヤ板に描いた"ラクガキ"的作品
左から《モンドリアンカレー》《余ったえの具描奴》《邪王》

しかし、「適当」であっても、あまりにLINEスタンプの挨拶のような、無意味なものよりか、人がふと裏切られるような気持ちになったり、思考の渦に引き込まれる、シュールな感じがいい。私はエロでもグロでもなくナンセンス派である(?)。

2017年の個展「ダストポップ」風景(撮影:水津拓海(rhythmsift))

大きく描かれた「人間」のワードは、2017年に五反田アトリエで行われた個展で制作した作品に基づいている。真ん中よりちょい左に写っている作品で、これは「αM2018「絵と、 」vol.2 藤城嘘-作品ノート その1」でも説明した、袋状の文字のシリーズに準じている。大きく描かれた「人間」の文字は、美術が徹底的に人工的なメディアである自明さを指し示しているのだ…ってほんまにィ?

===
『絵と、 』vol.2 藤城嘘
キュレーター:蔵屋美香(東京国立近代美術館 企画課長)
会場:http://gallery-alpham.com/
2018年6月16日(土)~8月10日(土)11:00~19:00
日月祝休 入場無料

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?