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誰かと自分を比較しすぎるのは良くないけれど 自分だけの世界で全てを完結させてしまうのは 少し切なくて勿体無い

見えてしまう、見たくないものも。

小学生の頃、好きな女の子に虫を投げつけていた少年は今頃誰かと結ばれているだろうか。学校の窓ガラスを割ってしまったあの子は、今頃どんな仕事をしているのだろうか。勉強もそこそこに、大した個性もなかったわたしは、今頃何を目的に息をしているのだろうか。

苦労、すると思っていた当然。でもどこかでどうにかなると思っていた、自分なら。だってわたしは普通だったから。普通に暮らして、普通の人間になる。順風満帆に行くとは思っていなかったけど、きっとどこかで驕りがあったのかも知れない、普通のくせに。

この世の99%の人間は普通の人間で、だとしてもその中で才能は細分化されていた。よく聞く「好きなことで生きていく」なんて言葉。呑気でそれでいて幸福の鉄屑のようだ。わたしはそれに日々足を引っ掛け、躓いている。安いお酒を飲んで長閑に頬を赤らめるわたしは、ベランダから流れてくる雨の匂いに全身の自由を奪われていた。

どうして自分のことを普通だと思っていたのか。それは周りと比べていたからだ。無意識に、そして意識的に周りを見渡し品定めをし汚い言葉を吐き、自分を可愛く守り続けていた。平均点を彷徨く自分は、誰からも注目されていなかった。無個性という個性だとか、そんな苦し紛れな言葉を使われればわたしはまた自傷してしまう。悪いことをしなければ誰にも見てもらえない自分の無力さに溺れている人間はこの世にどれほどいるだろう。そんな人間たちは至極まともで、誰にも見つけてもらえず、そのまま砂になってしまうのだろう。

対照する値と在処

「比べる必要なんてないよ。」

そう自分で自分に言った気がした。比べてしまうことに疲れてしまったから。誰からも求められていない、それなのにわたしは度々気持ちよくなることをしてしまう。

あの人より自分は劣っている。
あの人より自分はマシだ。
あの人より自分は努力している。
なのにあの人より自分は結果が出ない。

じゃあ結果って何?と聞かれて、わたしは唾をいつも飲み込む。いつも勝手に定めている"あの人"というのは大抵わたしのことなど気にしていない。わたしを軸に結果を決めていないのだ。あの人はあの人の中で、決めた道をただゆっくりと歩いているだけだった。それをわたしは自分の道も忘れてあの人の道に割り込もうとする。無理して早く走ろうとしたり、辛そうな表情を浮かべて気を引こうとしたり。虚しかった、自分が自分に。

大人になり、お金を貰いながら生きる行為は誰も許してくれなどしなかった。数字が全てではないけれど、結局数字がわたしたちの周りを散らつきながら干渉してくる。

noteもTwitterもフォロワーの数があって、スキやいいねの数があって。それで面白さが決まっているわけではないけれど、わたしは決まっていると思っている 全てではないけれど。
見られていないけど、あなたの言葉は素敵だよという台詞は一瞬救われていそうで、わたしの寿命はいつも縮まってしまう。つまらない言葉でも、見られる場所にいる人が勝ちなのだ。見られる場所まで行った人が勝ちなのだ。じゃあ"勝ち"って何?と聞かれて、わたしはいつものように唇を噛み切る。

切っ掛けだとか、運だとか。そんな不確定な要素も絡んでくるこの世がやっぱり憎い。そうして生まれた時から勝負が決まっていたりすることも。モデルのように可愛い少女の自撮りと、わたしの自撮り。どっちが素敵かは"いいね数"で決まってしまうのだ、それは呆気なく。だったら勝てる土俵に立ちたい、何事もだ。職場での仕事も、恋愛も、noteだってTwitterだって。

「生き生きしているね。」

というのはただ生きているだけではない、勿論。

我慢するだけの行為は努力ではない。自分が輝ける場所はきっと最初から決まっている。肩を組む行為も、お酒の入ったグラスを仲間と中央に寄せ合い写真を撮る行為も。それは必要な行為なのだと思う。
狂っているようにも見える。わたしは一匹狼のように見せかけて、誰かに寄り添いたくてたまらない。弱く脆く。それは比べてきたからわかる。今更事実を捻じ曲げて自分は強くなったと虚言を漏らすつもりはない。

見られていなくても平気なふりしないでほしいよ。ここが生きがいではないのであればわたしの前に現れないでほしいよ。結果を出す気がないのに、わたしの前で結果を出さないでよ。譲ってもらうのはやっぱり癪だから、わたしはあなたに勝ちたい、そのために藻掻く、足掻く。毎日ここにいることを笑わないでほしい。だってわたしは見られたいのだから。だって可愛く生まれなかったのだから。

泥水だって美味しいよ。可笑しいね。

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女の子にしてよ…
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いちとせしをり

この文章は女の子が書いてると思ってすべて許してほしい。性と日記。言葉で会いに行く、エッセイで詩に至る。11月24日 文学フリマ東京[ト-19]【毎日更新253日目】Twitter : https://twitter.com/liegirl_1chan

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コメント4件

人を軸にしても自分は変わらないとわかっているのに、比べてしまうのは羨ましさと妬みがあるからでしょうか?

本当は素直に甘えたり、頼ったりしたいのに上手に出来ないからほかの人がよく見えてしまうのでしょうね。

でも、人は千差万別でそれぞれに良さがあるのだとすれば散々傷ついて惨めな思いをしていても何か1つは自分が1番だといえるものを持ちたいですね。

いつもありきたりな事しか伝えられなくてすいません。
あいかもさん
いつもコメントありがとうございます。謝らないでください。正解はありません。あなたからの言葉が聞けるだけでわたしは満たされています。
人と比べる必要ないと自分に思い込ませるのではなく、所詮自分なんかと卑下するのでもなく、「あ、他人なんてどうだっていいや」と思えるようになる日が、僕には来ました。きっかけは不明で、どうしてそうなったか分からないのですが。いちとせしをりさんにも来るのではないでしょうか。楽ですよ。他人が視界から消えると。
他人と自分では環境も延び代も才能も違うので、私は『昨日の自分と』『今日、明日の自分』で比較します。昨日できなかったことが今日できた…ってだけで可也希望が湧いてきます。長い目で見れば一年前、三年前の自分と比較すると楽しいです。
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