コロナ禍で得た事

この情勢になり、1年半。ただひたすら自宅と会社の往復、移動距離恐らく5km未満。
最初の宣言では、恐怖を覚え体調崩すもどこかのタイミングで、(よくないけど)いいや的に思考に切り替わり、そこからニュースは見なくなった。
あのニュースのナレーションのテンションが、メンタルを崩す原因になる

朝だけしか見ないとしても、あの低い声で
今日は何人~的な事を言われ続けると流石にメンタルにくる。

幸いな事に、仕事は製造業で宣言が出ようと自粛が出ようと大量生産をしていた。 

コロナ禍になる前までは、持病を患い通院をしていたが、自粛を出され宣言を発令されると、考えるようになり、そのまま通院を卒業する事が出来た。
あれから1年半、薬を全く飲まなくなりのまなくても、普通に生活が出来て居る。
大きい進歩でしかないし、きっかけが無ければ恐らく「卒業する」という思考にはならなかったかもしれない。

公的機関を当時は恐れ、全て乗る事を避けてきたが、最近になりタクシー、バスを再び乗るようになった
基本1人行動で喋りもしない。安全を考えると乗らないのが1番かもしれないが、先ず田舎は満員乗車にはならなかった苦笑

つい最近自身の推し達がオンラインライブを開催したが、無観客で声援の聞こえないライブ程悲しいものは無かった
何組かのライブを視聴するも、やはり声が足りない、迫力も違う
逢えるのは嬉しくとも、この形じゃない
やはり求めているのは「生」だった
あの空間で無ければ味わえない感動、喜び、今までしんどくてもこの日の為に頑張った労力が全て解放され、心の底から叫べる最高の時間だったのだ。
声を出して推しに気持ちを伝えたい、魂の交流を一緒にしたい
ライブは不要不急なんかじゃない
アーティストとファンが逢える唯一の場所、コミュニケーションの場所
普段逢えない者同士が、同じ共通点を持ち集まり思いを吐き出させてくれる場所
その場所が不要不急な訳がない。
その大切は空間を絶対に無くしてはならない

いつ頃「落ち着く」のか分からずむしろ「落ち着く」って何を持っていうのか未だに分からない部分もあるが、その「落ち着く」まで、今はただまた推しと笑顔で逢えるよう日々自身をアップデートしていく毎日である

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