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超衝撃作「爆弾処理兵 極限の記録」を観て何を想う

英語タイトルは「THE DEMINER」。2018年に公開されたドキュメンタリー映像作品。日本では今年2月にNHK BSで「爆弾処理兵 極限の記録」として放送され、4月にも再放送された話題作。

ファーケルは2003年、フセイン政権崩壊直後に地雷除去を始めた。買ったばかりのホームビデオで、活動の日々や家族との団らんの日誌をつづる。アメリカ駐留軍も、彼の鋭い嗅覚を評価。ナイフとワイヤーカッターだけを手に、600件を超す爆発物を処理した年もある。「無実の市民の被害を食いとめる」と、目の前で起きた爆発で右足を失った後も故郷モスルで活動を続ける。使命感に人生をささげた男の一生を、長男の語りでたどる
(出典:話題作!BS世界のドキュメンタリー「爆弾処理兵 極限の記録」<https://www.nhk.or.jp/docudocu/program/253/2145696/index.html>)

今までのテレビ番組の中で、一番衝撃を受けた作品となった。別の目当てのテレビ番組の放送後、続けてこの作品の放送が始まりそのまま釘付けになった。動けなくなった。

主人公のファーケルはクルド人。フセイン政権下で圧政に晒され、イラク戦争終結直後に誕生したIS(イスラミックステート)によって再度厳しい支配を受ける。そこで犠牲になる市民や子どもたちのために、爆弾処理の志願兵として立ち上がったのが彼だ。

ホームビデオに残された約50時間の記録が編集されたこの作品。短い放送中の時間の中で、3回大きな爆発がファーケルに降り掛かる。爆発によって足を失った瞬間も、モザイク処理なく生々しく放送される。そして最後は、ブービートラップに引っかかり衝撃的な結末を迎える。

「なぜ爆弾を仕掛けるんだ」

冒頭に兵士間の無線でこのような問いかけがある。爆弾による破壊で、人々を無力化する「焦土作戦」。「戦場」という特別に用意されたフィールドがあるわけではなく、人々が暮らすその普通の「街」が戦場と化し、家屋や庭、道路や車、ありとあらゆる場所に爆発物が仕掛けられていく。それを見つけては一つ一つ除去していく兵士たち。爆弾のすぐ側で、人々は生活をしている。その凄まじいリアリティがこの作品で眼前に広がる。

主人公ファーケルが涙しながら訴える、「なんでこんなことをするのか」という無力感を伴う問いに、僕も答えを失う。

宗教、人種、国境、政府、組織、地域、家族。

僕たちは、常に何らかの単位や枠の中で生きている。単位や枠が仲間の範囲であり、その中で利益を分かち合いたいと願う。一方で、単位や枠の外は敵であると認識をする。

複雑に絡み合った宗教、人種、政府、人々の思惑の狭間でもたらされる悲劇の連続。大元を辿れば宗教的、政治的な争いに帰結するかもしれないが、現実には生活をするために(日銭をもらうために)やむを得ず爆弾設置に加担している人たちもいる。

自分自身が生業とするビジネスは、敵があることは良いことだ。切磋琢磨して成長することで、消費者を始めとするステークホルダーに利益をもたらすことができる。ライバル会社の敷地に地雷を埋めるようなこともしない。

しかし、ビジネスは世界を構成する一部でしかなく、本当の世界は「暴力」の危うい均衡で成り立っている。軍事力、武器。宗教、人種、国境、政府、組織、地域、家族、何らかの単位と枠の間の、その均衡が崩れてしまった場所で戦争が起こる。イラクのように公権力がなくなると、途端に混沌が訪れる。マックス・ウェーバーの暴力の独占の理論が頭をよぎる。

改めてこの映像作品を観て、僕たちは「暴力」の世界に生きていることを思い知らされた。それを認識した上で自分がどう生きるのか。VUCA世界において、自分の属する単位や枠の外にしっかり目と意識を向けていきたい。その単位や枠なんて、所詮人間が勝手に作り出した想像に過ぎないのだから。

映像作品のオフィシャル・トレーラー映像


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