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グラフィックアート、アニメ、マンガの起源|日本とミュシャのシンクロニシティ

Bunkamura ザ・ミュージアムにて9月29日まで開催中の「みんなのミュシャ ミュシャからマンガへ ― 線の魔術」に行ってきた。学生の頃から好きで企画展の度に足を運んでいたが、今回は初めて知ることも多く、改めて彼の影響力の大きさを思い知らされることになった。

アルフォンス・マリア・ミュシャ(Alfons Maria Mucha, チェコ語: アルフォンス・マリア・ムハ、1860年7月24日 - 1939年7月14日)は、アール・ヌーヴォーを代表するチェコのグラフィックデザイナー、イラストレーター、画家。「ミュシャ」という表記はミュシャが活躍したフランス(フランス語)での発音によるものであり、母国チェコ語の発音を日本語表記するとCs-Alfons Mucha.ogg 「ムハ」となる。
多くのポスター、装飾パネル、カレンダー等を制作した。ミュシャの作品は星、宝石、花(植物)などの様々な概念を女性の姿を用いて表現するスタイルと、華麗な曲線を多用したデザインが特徴である。イラストレーションとデザインの代表作として『ジスモンダ』『黄道十二宮』『4芸術』などが、絵画の代表作として20枚から成る連作『スラヴ叙事詩』が挙げられる。
(「Wikipedia」より)

ミュシャというとグラフィックデザイナーとしての印象が強い。幾何学的で繊細に描き込まれた模様と背景に、存在感のある曲線美しい女性の出で立ち。例えば、下は有名なタバコメーカーJOB社の宣伝ポスター。今から120年以上前の作品である。

120年前というと日本は日清戦争の時代。この時代にあって、今でも全く古さを感じさせないオリジナリティを発揮している点に驚きを隠せないが、女性と巻きタバコというコントラストも死ぬほどカッコいい。

ただ日本も卑下することはなく、この時代のヨーロッパはジャポニスムが流行しており、ミュシャも少なからず影響を受けている。葛飾北斎の「北斎漫画」はミュシャ生誕より50年近く前であり、日本流グラフィックアートとも言える「浮世絵」も海外の作品とは異なる素晴らしい魅力を有している。葛飾北斎はさることながら歌川国芳の「相馬の古内裏」なども、ミュシャの衝撃に勝るとも劣らない。ジャポニスムがなければ、もしかすると今日のミュシャの作品もなかったかもしれない。世界をまたがるグラフィックアートのシンクロニシティが起こったと考えると、その偶然に興奮せざるを得ない。

改めて本題のミュシャである。今まで意識して見たことはなかったが、装飾のような円からはみ出るように女性を描く構図は、今の多くのグラフィックアート作品に取り入れられている。古くは「グレイトフル・デッド」「ピンク・フロイド」「ジミー・ヘンドリックス」そして「ローリング・ストーンズ」のジャケットやコンサートのポスターがそれだ。ミュシャの作品にある既視感は、実は身の回りのアート作品に取り入れられているからかもしれない。

本展ではミュシャに影響を受けた日本のマンガ家やアニメーターの作品もあり、その中にはファイナルファンタジーで有名な天野喜孝さんの作品と本人のコメントもあった。言われてみると、共通点があるようにも見える。日本の大御所をしても素直にリスペクトを表させるミュシャの影響度に改めて感服するばかりである。

ジャポニスムに始まり、ミュシャ、そして今日のグラフィックアートやマンガ、アニメに繋がっていく系譜は新鮮であった。ミュシャの構図は心理学も取り入られており、ほぼ最初期のグラフィックアート作品でありながら鑑賞者を虜にする要素が散りばめられている。

最近掛け算を意識することが多いが、「心理学」や「統計学」と何かの組み合わせというのは普遍的なものを導き出す上で鉄板なのだろうか。最後に個人的な呟きになるが、先日某母に占ってもらったら多くが的中しいろいろ考えさせられることがあった。本日ミュシャに改めて触れたことと相まって、人間というのは意識的・無意識的に何かに(誰かに)引っ張られて生きていくものなのだろうかと最近考えさせられている。

常に不確実性伴う人生を生き抜くに当たって、自分自身の深層心理も含め「人間」というものにもっと向き合っていく重要性を実感する。ミュシャの美しい女性の青い目の奥底は、1900年前後のあの頃から、現時代をじっと見据えていた。


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