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何度目かの転機でわかったこと。


こんばんは、この記事に目を通していただきましてありがとうございます!

アメブロで2つブログ持ってますが、このnoteの雰囲気はどうなのかしら?と恐る恐る昨日のはじめましてのご挨拶からいろいろとスキやフォローいただいて新鮮な驚きがあり、とても嬉しい気持ちでいっぱいです。

こちらは別荘?というかホントに素の自分でいろいろと書いていきたいです。

最初の記事がいきなりの転機のお話なんですが、これがなかったらnoteにお邪魔する事はなかったからです。

今年1月下旬、16年間続いた製造業界からなんの未練もなくサヨナラいたしました。

いや、ちょっと綺麗に書きすぎました。
まだ次の仕事が決まらないうちに契約終了となりあっという間に無職になりました。

もう数えて何度目なのか本人も覚えてないのですが、ここ何十年間の中で一番の転機ではないかと思ってます。

持病持ち(コロナ後遺症)前提での就業は建前で、元々派遣元もどんどん対応が悪くなっていく有様を見てこの際、登録のみにして仕事は請け負わないことにしました。

派遣社員は業界によって待遇も違えば、派遣元の営業やその会社の方針によって天国か地獄なんですよね笑

20代の時には事務系派遣会社の大手にも登録し仕事していたのでその点はよくわかります。

1番最後の派遣先が奇遇にもこの製造業界に入るきっかけになったところでした。

製造業界もピンキリだと思いますし、メーカー子会社か下請け孫請けで環境は全く違います。この会社は孫請けレベルでした。

無我夢中で右も左もわからない仕事を必死で1週間で覚えてたことしか当時覚えてなくて今になってそこに戻って改めて感じたのが就業環境の酷さがずば抜けてワースト1だったということでした。

10年前以上の初就業時と全く変わらない体制と職場の不衛生さ、指導や管理不足は他の派遣先に行かなければわからなかったことです。

派遣先は同じ業界で4回変わったり、また戻ったりの繰り返しでしたが、私は最後がここでよかったと思ってます。

ここじゃなかったらまた痛めた手指にテーピングをして身体と心を騙しながら止められずにいたと思ったからです。

まるで8年前やめた最後の煙草を吸うようだなと思いました。

やめられない煙草をやめるために一番不味いモノを思いっきり吸ってカラダと心に拒否らせてという笑

おかげであれから1本も吸ってない元喫煙者の私ですが、これと同じようにキッパリと心機一転といけばと再就職活動をしてますが。

コロナ後遺症の症状が日によって現れ方がランダムで今はふいに襲って来るブレインフォグが顕著なので何とか貯金と借金で生活を凌いでる状態です。

カツカツで神経まですり減らしてどうするのよ、これ!?と焦る気持ちはありますが
ここは波乱万丈スキルを駆使してゆっくりと1ヶ月ちょっと療養したと捉えて進むしかないじゃない?とドッシリ構えることにしました。

1ヶ月何をやってたの?仕事は見つければ見つかるでしょ?と他の方々の声が聞こえそうですが、働けていたらとっくに前のように後遺症を悪化させる程に自覚無しで働いていたと思います。

今一番自分で恐いのはまともに受診もできてない中でどんどん前の自分とは違う脳機能低下なんですね。

自分がやってる事すらわからなくなる日がやってくるかもしれません。

それなら今こうして文章に自分の事を記録しておきたいし、これが本来自分が好きでやりたい事だったんだなとこの1ヶ月でわかった事なんです。

毎日が希望と絶望の中で繰り返されるならせめて今までと違う自分の新しい世界をここで展開できればこれこそ後悔はないと思ってます。

無職で平気じゃないですが、今まで過ごしてる時間流れてる時間は無駄ではないと思ってます。

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