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いつ福島に帰るのか

「で、いつ帰ってくるの?」

手土産に持って行った菓子折りの包み紙を目の前でビリビリに破かれたような衝撃だった。
帰省した際に挨拶しに行った地元のNPOの重鎮におもむろにそう尋ねられた。彼女は60代で、市長にもトヨタの章夫社長にも歯に衣着せぬ発言で言いたいことをズバズバ物言うため、好き嫌いが激しく分かれるおばちゃんだ。いや、結構嫌われ者かも。でも僕は裏表なくハッキリと本音を言うこのおばちゃんが好きだった。それもあって、南相馬に帰った際には年に1、2度詣でるようにしている。

いつもであれば、最近の地元の動向を教えてくれたり、こちらの状況をシェアしたりするのだが、今回はのっけからガツンとかまされた。彼女の言う「いつ帰ってくるの?」は福島にいつ帰還するのか、と言うこと。まさかこの人からも言われるとは・・・。

これまでも実家に帰るたびに父から「福島のことはどうなんだ」「まだまだやることあるんだぞ」「どう考えているんだ」とはっきりとは言わないが、幾度となく帰還するよう要請されてきた。その度に、考えを説明するのだがどうにも平行線で噛み合わない。

僕らは帰省するたびにたくさんの仲間や友人たちに会う。けれども誰もはっきりと「帰ってこいよ」と言う人はいない。でも、「いつでも帰っておいでよ」という温かい気持ちは感じている。

生まれ育った故郷は変えられない

福島という場所について存在感が大きくなってきたのは昨年の9月、北海道胆振大地震のときのこと。1ヶ月ほど福島に避難してきた僕らを福島の仲間たちは温かく迎えてくれた。それに正直、僕らも福島にいると過ごしやすさを感じていた。車で走る街並み、規模感、故郷の味、そして気心の知れた仲間たちとの時間。水が合うってのはこういうことなんだと思った。

郡山にある家具屋・ラビーダさんに行けば、社長から毎回ラビーダ住宅のプレゼンを受け、こんな家に住みたいなと思わされる。今回は実際に須賀川にラビーダハウスを建てた若夫婦の家にも見学に行ってきたくらい。

札幌も島牧もいい街だと思うが、この街に骨を埋めたいと思うほど愛しているわけでもない。家という不動産を建てるのであれば、ここだという愛する土地を選びたい。そう考えるとやっぱり福島?正直、教育環境考えても南相馬はないな(あと慈にも合わなそうだ)と思うが、福島市や郡山市はどうだろう?三春は?会津もいい場所。今回の帰省でそんなことをぐるぐると妄想してしまった。
2011年に牡羊座に移った天王星が次の牡牛座に移る2019年。そろそろタイミングなんだろうか、とも考えたりもする。

南相馬のNPOのおばちゃんには
「やっぱり福島は好きです。でもまだ帰れないなと思ってます。まだ北海道で何も為していないので」
と答えた。でも本音で言えば、それはたった三分の一の理由。あと二つ理由がある。

『トモエ幼稚園にもう少し通いたい』

『もっとワクワクする環境にいたい』

この二つ。帰りたいという気持ちはとーってもある。福島にいると落ち着く。帰る場所はここなんだと、どこにいても思わされる。311で強烈に気づかされた郷土愛は、「裏切り者」と罵られようが、かつての同志に冷たい目で見られようが、誰に何を言われようとも色褪せることはない。生まれ育った場所が福島だということも生涯変わることはない。生きているだけで福島とは繋がっている。これからどんどん行き来して交流して、もっと知っていきたいと思うが、今はまだ帰るときではないと思っている。ただ、帰る度に揺れるし、切ないし、やっぱり福島だな、とか思うんだろうけど、この揺れる気持ちをじっくりと見つめていきたい。こんな風に書くと、なんだか忘れられない元カノみたいだな(笑)

さてこの話、ここまで一切妻にはシェアしてなかったけど、妻はどう思うだろうか。僕が帰ってもいいと思うタイミングと、彼女が帰りたいと思うタイミングが重ならないと物理的には難しい。福島にはまだ帰らないけど、福島には拠点が欲しいなとは思う。この欲求はどうしたら叶うのだろうか。

ありがとうございます!これを励みに執筆活動頑張ります!