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子宮ちゃんと私⑥そんなに大きいのかよ

先月末にMRI検査を受けた。1週間後以降に結果を聞きに来てねと言われたので、その通りにしたわけだが。

「ごめんごめん、調子悪くてPCがなかなか立ち上がらなくてねー」とお医者さんが申し訳なさそうにしている。

「この位置がおへそね」と、MRI検査の画像を説明してくれて、頭から足へと向かう画像を見せてくれた。お腹周り分厚いなと思いつつ。

筋腫がね、大きいなあと思った。検査結果では98ミリあるそうで。白く丸く浮き出ている。目視するとやばいなと思った。「こんなに大きいんですか!」と口に出してしまった。

便秘はないか聞かれた。「ないです」。太っている割に快便です。

お医者さんが言うには、子宮筋腫は大きくなると多臓器に影響することがあるらしい。便通とかおしっことか。おしっこについては我慢したあとトイレに行くと、少しお腹に引きつる痛みがあるんだけど、それぐらいで困ったことはない。

「適応力のある臓器ですね」と言われて泣きたくなった。それは、私の人生そのものだ。

多少の異常も、「ああ、そういうもんっすよねー」と受け入れてしまう。ちょっと「無理かも」と感じるまで受け入れてしまう。我慢しているわけじゃない。そういうものだと無意識に思っている。

知ってるよ、それ私。

長兄の15歳年下の妹である私についての思い出話。

小さなころ、地元のお祭りで私は浴衣を着せられて家族と歩いていた。多分3歳ぐらい。長兄がふと私の足元を見ると、私の足が血だらけになっていた。下駄が足に合っていなかったらしい。長兄は驚いて「おまえ、血ぃ出てるねっか!」(新潟弁。「血が出てるじゃないか!」)

それを聞いて、私は火のついたように泣き出したそうだ。痛みを我慢しながら、空気を読んで大人たちに付いて歩いていたのか。大きな声に驚いたのか。私には全く記憶がない。

この件で、長兄の中で「わがままを言わない妹」とインプットされたらしい。

自分の痛みに鈍感で、他人に迷惑をかけるのが苦手な私を表しているエピソードだと思う。身内にすら甘えられない。大人になってから聞いたこのエピソードは、ことあるごとに思い出すことになる。これが私の本質なんだろう。

いや、鈍感なのだろうか。3歳の子供が、自分を庇護してくれているはずの大人に対して「痛い」「もっとゆっくり歩いて」と言えない環境とは、どんなものだったのだろう。記憶にないからこそ、悲しくもなる。

いつもストレスから抜けた後に「あの時の私は傷付いていたんだよな」って振り返っていることが多い。振り返っては「何故その時思わないんだろう?」と不思議な気持ちになる。振り返るといつもそこに3歳の私がいる。3歳の子供に痛みを肩代わりさせているのかもしれない。

母が精神病んでいても、父にいきなり思い込みの激しいことを言われても、ブラック会社で上司が異常者でも、長年暮らした恋人が自己中心的でも。取り敢えず受け入れて、自分を歪ませる。性格が臓器にも影響するのか、臓器が性格に影響したのかわからないけど興味深い。

臓器よ、お前も私だったのか。…当たり前か。

異常を自覚すれば、正常に戻ってきた人生だ。行きつ戻りつ、私らしさを取り戻してきた。いい加減、3歳の私を労ってあげなくては。さっさと手術を受けようと思ったのであった。

つづく。

そんな自己分析をしつつ。「空気読む臓器」っていうのも、面白おかしく自分を語るネタになるな、オイシイなと思う私が結構好きです。

深刻に分析する私と、面白おかしくしたい私が並行に生きている。

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