大人になるということ
大人ってなんだろう。
いつからわたしは大人になったのかな。
わたしは学生時代、同級生との会話があまりうまくできず、歳が上の人との方が話が合った記憶がある。人はもちろん子供として生まれるのだけれど、精神的な意味では生まれた時から大人のような人もいれば、歳を重ねても子供のような人もいる気がする。どちらが良いと言うわけではなく。わたしはどちらかというと物分かりの良い、子供らしさがあまりない子供だったかもしれない。
20代半ば、大学院を卒業して就職してからの5年ほど、わたしはどちらかというと子供のように本当に毎日一生懸命に目の前のことに取り組んで、常に全力だった。それが身体を壊す原因になったのだけど。
身体を壊してからは、ずーっと、無理をしないように自分の行動をセーブしながら過ごしている。先回りして、疲れないように、体調を崩さないように、なるべく省エネで。それはそれで良くて、身体のためには必要なこと。
でも心はどこかで寂しかったかもしれない。社会人駆け出しの頃に全力で生きていた日々のことをいまでもよく思い出す。あのときは本当に毎日、思うままに楽しみ喜び怒って泣いた。あの頃に戻ったら、多分わたしは体調を崩さないようにセーブしながら暮らすだろうし、あんなに一生懸命に働くことも遊ぶこともなかっただろう。
病気をしてわたしは、もっともっと大人になったと思う。自分のキャパシティを理解して無理をしない。無理ができない身体になったことで、以前ならやっていたかもしれないこともたくさん選択肢から外してきた。本当に、大人しく生きていると思う。
わたしは日常を愛している。変わらない毎日が好きで、非日常はあまり好まなくなった。予測可能な毎日に居心地の良さを感じている。
そうやって過ごしていると、たまに心の渇きを感じる。これといった趣味もないので、これさえやれば満たされる、というものも特にない。わたしにとって心を潤す方法は、自分の心の赴くままにわずかで良いから時を過ごすこと。自分の本当の声を聴いて、それを実現させてあげること。
20代までは、それがたとえば海外に住むこと、だったりしたので結構大きいことだったのだが、最近はそんな大きなやりたいことはあまり思いつかない。
どうしても心が落ち着かなくて不安で、エネルギーを持て余していたある晩、わたしは唐突に、朝日を見に行きたいと思った。だからそれを叶えてあげることにした。
翌朝、日の出に合わせて海が見える桟橋に行き、暗く寒い空気の中でただ一人、たまにランナーが通り過ぎる中で、日の出を待ってカメラを構えた。写真をたくさん撮って、満足して帰宅してまた布団に戻った。
そうだ、わたしの心はこうやって潤すんだった。
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