定着支援後の交流会イベントの中止案内。

こんにちわ、レミーさんです(´っ・ω・)っ雨の五月、給付金やマスクの通知は遅くても、健康診断や福祉契約書類の書類がなぜ早い?

さて、2回目の記事は、障害者雇用の定着支援のイベントがあることについて。これ、初めて知りました。(え?)


ざっくり言えば、住んでいる地域で障害者定着支援の一環として、「障害者雇用した人を集めて交流会をしよう」というものですが。

新型コロナの影響で見通しが立たなくなり中止になりました。

■その交流会が存在すること自体全く知らなかったんですが。

はっきり言えば、就労支援施設内で在籍している時には定着支援機関があることは知っていました。しかし、このようなイベントがあること自体は知りませんでした。

私個人から言えばいえば・・・。

(´っ・ω・)っ働きだして、金もないのに、何で参加しなきゃならんの? それをやるのもいいかもしれないけど、就労支援に置ける工賃体系の最低賃金法に届かないことと利用者に社会保障制度の加入ができない現状をどうにかしないと、この先、災害や疫病が流行した時、経済苦から死を選ぶ人もいるぞ。その解決手段は構築済みなんですか?

と5年前から聞いている問題に、就労支援福祉では「解決できるけど解決できません」と言い続けて、もう「できない」とは言えない状況になっている。

(´っ・ω・)っぶっちゃけると金銭面の課題をクリアしないと災害に対しての備えができない。

これに関しては、低賃金以下の境遇にある就労支援施設では、日常のケガに対しての費用も利用者は用意できない。

具体的に言えば、バンソコーを買えない人が多い。

なぜかといえば、利用者の多くは。バンソコーは施設から貰えばいい。持っている利用者からタダで貰えばいいというバンソコーはタダという認識しかない。

実際、私自身、緊急時に、指を切って止血する必要がある相手には渡していますが。横から「ついでに私も貰うね」と緊急性の必要がない利用者から横取りされます。それを見ている職員は、「相手は重い障害持ちだから、ゆるしてあげて」という論点のすり替えという日常。これが相手によっては、殴って注意する人だった場合でも職員は「暴力はダメでです。みんなと仲良くしましょう」と念仏を唱えますが。災害などの非日常の世界では、恐怖心が強いと人の善性は簡単に壊れます。それを知った上で言えるのでしょうか?とその職員に聞いたことがありますが。沈黙して、目をそらすばかりで、災害時に起こり得ることも想像はしていないのです。

一応、職員も書く利用者に自分で買ってくるようにと言っていますが、衛生管理面の自分で守るというのが芽生えないまま就労支援施設の利用というのが開設当初からあり。2020年になっても改善されなかったというのもあります。その辺の利用者の内面が変わるのは、どうにもできないのです。

「本人が変わる意思がないかぎり」がないと、残念ながら無理でしょう。

話を戻しますと、正直に言えば、施設の利用代金や弁当代、交通費だけで工賃は全て消えてしまうので、足りない分は基礎年金から支払って通うというのを年単位で行っているのが現状。つまり、自立する為の費用である就職活動費だけでなく、災害や病気などの入院費も賄えないのが現状。

それで、施設は入院することになった場合の費用は持つかと言えば、もたないよ。

実際に体験しましたが、「心理的に悪化して、長期化した治療が必要になった際に、施設市側はお金を一切出さないで、また来てくださいね。」というおかしな状況を経験した身で言えば、福祉はあまりあてにならない。

つまり、自分の身は自分で守れ。となり、それでは、障害を持っている人が社会と壁を取り除く、減らしていくという福祉支援の在り方はどうなのか?
と障害者福祉の最前線に疑問が出ており、福祉への信頼関係も悪化してしまう。

これまでの社会の動きなどの関連をみますと「使っていないから捨ててもいい」という考えが90年代にあり、そのことを踏まえると。不信感から利用しないいう状況を作り出してしまうと。「不信感から利用しないだから、行政機関の無駄な部分を生み出すから、その費用は用意しなくてもいい」ということを「当たり前」という空気を全ての人間が勘違いしてしまう。

今回のような大災害の疫病では、福祉資源は、生きているすべての人間が会社などで働くことにより収入を得るシステムがほぼ機能できなくなったときに必要不可欠になる。だからこそ、そういった信頼関係に、不信を持ち込むような状態を災害が起きる前の日常生活の中で培わないといけないんだ。

■定着支援の集まりは未定になりゆく。しかし、今後の新型コロナが収まった後の世界で生きる情報はどうするの?

 これは、現在のニュースなどの倒産・廃業・仕事の量が減っていることを踏まえて言いますが、収まった後の「なりたい職業に就く」こと自体が難しくなる可能性が高いと思います。

なぜなら、職種によっては業界の縮小もしくは廃業が多くなり、就職することが難しくなっていく。そうなると「職種」ではなく「作業」に注目しての行動が必要になってくるのではないでしょうか?

しかし、就労支援施設や定着支援施設において、「過去の清掃業やリネン業」への就職はできて来ましたが、利用者が得意とする作業が清掃業以外にあったら、現在の就労支援施設では対応できない。では、利用者に我慢してもらい死ぬまで施設にいさせるのか?

それが職員にとって仕事が増えないから「楽」になるのは一面としてあるのかもしれない。変化することで仕事が増えるから利用者の目の前で泣きだせば、職員に合理的配慮を利用者がしてくれる。そう思っている人もいるかもしれない。

だけど、それは利用者の人生を食いつぶすことになる。死ぬ間際に恨みを晴らす機会を狙っている利用者に成長させることを手助けすることを支援者は知っているのだろうか? 拳を受ける覚悟はできているのか? と私は問いかけたい。

ある支援者は利用者に「殺意を持って仕事に当たることが礼儀である」と教えているが、その思想のきっかけが、医療福祉業界にいる人が知っている神奈川で起きたあの事件に影響を受けたこと。そして、その支援者は利用者から拳を叩きつけられる覚悟などはないということがわかったこと。

善も悪も知った上で、書きますが。

前に進む時は傷を受けずに進むことはない。最後まで綺麗なままで生きることはできない。後悔という傷を受けて、失望と絶望を目の当たりにし。
自身の命を投げ出すこともあるのかもしれない。

それでも、なお、前に進まなくてはいけない時がある。
それでもなお、前に進む為に使える社会福祉制度を周知し申請すること。そして経済苦を減らしていくことを昔の人々が願ったことを、大人が次世代の大人につなげられるように、小さな知恵というかがり火を渡していくのが世代間を超えた。新しくなる役割なのではないかと私は思います。

|ω・)ぶっちゃけ、ここまでの経験を就労支援施設でするとは思いませんでしたし、作中での利用者の目の前で泣きだして合理的配慮を受けようとする職員もいることにも驚きましたよ。

そして、就労支援からトライアル雇用して一か月経ちましたが。

地域支援センターや就労支援施設に関わらないでいる時の方が精神衛生面がよくて、仕事が終わった後に少し気力があるという状況を鑑みて。

◎ある日のレミーさん

「・・・・・・当事者にとって、自分で選択して、街中の講座を受けられる費用さえ公的な資金援助を受けられるようにした方が、色々と自分で挑戦して失敗や成功の経験のトライアンドエラーができて、再就職する際にも業務のどこでミスがしやすく。時間内でこれを終わらせるにはどうするのか?と言う経験値がつめるのに、なんで就労支援一択でしか助成金がでないようになっているのだろうか? レジ会計の仕事を職員がやって、利用者には触れさせないというのも色々とおかしいし。バイトでレジ経験した身としては
仕事するのは利用者なのに、何で就職に関連する技術を身に着ける機会を奪ってんの?ねえ? あまり相談しない方が衛生面がよくなるってどういうことよ?? 一利用者兼ヘルパー資格持ちであり大卒の私がここまで存在意義に疑問を想う時点で、破綻してないかこれ?」という疑問と過去の徒労感に襲われてしまうという日々。親でさえも、就労支援施設に行っているのは企業側の助成金が入るためという理解はしているので・・・。

(´っ・ω・)っ本当に、誰の為の支援? 誰の為の組織? と疑問に思うのでした。

投げ銭していただけると、喜びます(´っ・ω・)っ「創作関係に投資」(´っ・ω・)っ今さら編集できることを知る人・・・(天然すぎぃ)