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絵本を介してのコミュニケーションについて考えてみた

赤ちゃんに絵本を読んでいるとき、ふとあることを思い出した。自分の小さい頃、お父さんに絵本を読んでもらった記憶が…ない、と。

スタンドライトの灯りの下、絵本を読んでくれた人の記憶にあるのは母だ。

幼い頃の話なので、単に記憶がすっとんでいるだけなのか(お父さんごめん)
我が家の役割分担として「絵本を読む」担当は母だったのか。

余談だが、最近「絵本の読み聞かせ」の機会自体が減っているという声も聞く。積極的に読んでください、と。あと、その辺で見かける「絵本を読み聞かせる」イラストは、母親の描写が多い気がする。

絵本の記憶と読み手の記憶

絵本の読み聞かせにより、どんな絵本を読んでもらったかの記憶は残っている。あの絵本のここが面白かった、とか、あの絵はトラウマだったなぁ、とか。絵本のビジュアルや感じたことの記憶はあるが、読んでくれた母の様子や交わした会話の記憶は蘇ってこない。

蘇ってはこないが、この経験は幼い頃の自身の心の安定、その日を締めくくる心地よい達成感を生み出してくれたと確信している。

読み手になった今

自身が子に絵本を読むターンになり、感じることは「幸福感」だ。子に絵本を読むことで穏やかな時間を得ることができると知った。

きっと、子の記憶には「あの絵本好きだった!」とか「あの絵本は怖かった!」という記憶でしか残らないかもしれないが、それでいいんだ、と思う。その時々に感じる、ゆるい心地よさを覚えててくれればいいなと思う。

…後日、母にこのことを聞くと、父も絵本の読み聞かせはしてくれていたそうな。ただ、回数が少なかったので記憶にないのだろうと。ごめんね、お父さんw

今子育てしているお父さんお母さんには絵本たくさん読んで幸福感を味わってほしいと思う。怪獣ものとか、お父さんが読むと迫力でるかもしれないしね(でるかなw)

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